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合わせ鏡が描く天弓(にじ)~卵から憧れのイケメン先輩が生まれちゃったんだけど、セーカクサイアクで困ってます  作者: 東條零
第二章 期限切れの悪魔

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第10話 いたずらなキス

 素奈多は、自分の持っている服の中でもいちばん大きいと思われるメンズブランドのトレーナーと、スウェットのズボンを出してクランに押しつけた。


 絶対に外に出るなと言い含めて、男物の服を買いに街へ出る。

 学校なんて、行ってる場合じゃなかった。


 頭の中がぐるぐるで、なにがなんだか判らなくて、だけど、下着も着けていない裸の男と対面しているのは気が変になりそうだったから、とりあえず服を着せることにした。


 でも、男の服や下着を選ぶのは、猫のトイレを買うのとはわけが違った。

 スーパーの特売品で済ませようと思って出かけたのに、気がつくと、九嵐先輩に似合いそうなシャツをちゃっかり選んでいて、慌てて我に返った。


 あんなわけのわからないもののために、楽しく服を選んでいる自分が信じられなかった。


 だけど……。

 人間がたった一晩で、卵から産まれちゃうなんて……。


 誰が信じてくれるだろう?

 警察に届ける?


 クランが言っていたことが気になった。


 ――犯罪……。


 あたし、死刑になっちゃうのかな?

 これは、どんな罪になるんだろう?


 素奈多は、靴のサイズが判らないことに気づいて途方に暮れた。


 よくよく考えると、Gパンのサイズも判らない。


 とりあえず、Tシャツとウエストがゴムのハーフパンツとサンダルを選んで、急いで家に帰った。


 もし、彼を創ってしまったことが犯罪で、死刑になっちゃうかもしれないなら、このことは隠し通すしかないのだろうか?


 ――隠しとくってことは、いっしょに住むってことで……。


 素奈多は、家路を急ぎながら九嵐先輩を想った。


 ――ああ、先輩……。どうかあたしを、ニセモノから護ってください……。


 先輩に祈りを捧げながら、素奈多は家に帰った。


 もしかしたら、あれは夢で、家の中には誰もいなくて、買ってきた男物の服なんか無駄になっちゃうなんてことがあったらいいな、とちらっと思った。


 でも、それもなんだかもったいない……。


 もったいないと思ってしまった自分を、素奈多はあわてて否定した。

 顔も声も先輩そっくりだけど、あいつは、乱暴で、無神経で、意地悪で、女心が判ってなくて……。


 最悪なヤツだ。

 性格さえまともなら、夢のように幸せなはずなのに……。


 ふうっと、大きく息をついて、素奈多は玄関のドアを開けた。


「ただいま」


 いつもは言ったことのない台詞を口に出した。


 クランがいることが前提の自分の態度に、素奈多は少しとまどった。

 こんなとんでもないことを、受け入れつつある自分もまたとんでもないヤツだと思った。


 リビングを覗くと、テレビがつけっぱなしになっていた。

 ソファに、見慣れたトレーナーを着込んだクランが横になっている。

 その手から、ぽとんと床にポテトチップスが落ちた。


 素奈多は、そっとソファに近寄った。


 茶色の髪がふわっと目にかかっている。

 クランは気持ちよさそうにうたたねをしていた。


 人の気も知らないで、のんきなものだ。


 素奈多は、買ってきた荷物を抱きしめたままクランの寝顔に見入った。

 口をひらくと粗野で乱暴でデリカシーのかけらもないヤツだが、それでも、憧れの先輩にそっくりなことに違いはなかった。


 ――似てるんだよね……。


 素奈多は何度目かのため息をついた。


 ――違うのに……。ニセモノなのに……。


 ソファの前にペタンと座って、荷物を傍らに置いた。


 ――側にいたら、錯覚しちゃいそう……。


 素奈多は、眠っているクランの額にかかった髪に、そっと手を伸ばした。


「せんぱ……い……」


 伸ばした素奈多の手首を、クランの手がパシッと掴んだ。

 眠っているとばかり思っていたクランの鋭く射るような瞳が素奈多を見つめる。


 思わず後ろめたい気持ちになって、素奈多は体を引いた。

 ドギマギと慌てる。

 顔が赤くなったかもしれない。


「や……ごめ……」


 クランは、体を起こす。

 掴んだ素奈多の手首は、離さなかった。


「なんで謝んだよ?」

「だって……」


 素奈多は身をよじる。


「俺の寝込みを襲おうとしたから?」

「なっ、なに言って……!」


 クランは、首をかしげた。


「それとも、オリジナルとの区別がつかないから?」


 素奈多の心臓が、ドキンと跳ねた。


「こんな風に触ることもできねぇし、ヤツにとっておまえはただの患者だろ? そんな九嵐先輩が、マジで好きなのかよ?」


 さっき買い物に出る前に、先輩のことをすっかり話した。

 でも、話さないほうが良かったかもしれないと、素奈多は後悔した。


 こいつは、別人なのだ。

 本物の先輩とは似ても似つかない……。


「ニセモノなんかに、わかんないわよ!」


 語気荒く、素奈多は言い放った。


 ――ニセモノ……!


 クランの表情が、一瞬、こわばった。


 掴まれた腕がかすかに震えたような気がして、素奈多はクランの腕に視線を落とした。


 少しだけ、心が痛んだ。

 しかし、クランは相変わらずだ。


「わかってたまるかよ。おまえこそ、夢見てんじゃねーよ」


 素奈多はカッとなった。


「あんたなんか、嫌いよっ!」


 素奈多は、掴まれていないほうの拳でクランにポカっと殴りかかった。

 そのゲンコツも、クランにたやすく受け止められる。


「ああ、嫌いでけっこうだね」


 クランは、ふっと笑った。


「だけど、嫌いだろうがなんだろうが、俺を創ったのはおまえだ」


 素奈多が身動きが取れずにじたばたしていると、クランは、掴んだ腕を引き寄せ、素奈多を抱きしめた。


「きっ……気安くハグしないでよっ!」

「へ~? 憧れの先輩の胸の中だぜ?」

「だから、あんたは違っ……!」


 ジタバタする素奈多の耳元で、クランは言った。


「責任とってもらうぞ」


 抱きしめられた腕の力が強くて、とても逃れることなどできなかった。

 怖くなって、素奈多は必死に叫ぶ。


「やめてよっ!」


 素奈多は、いっしょうけんめい身をよじった。

 でも、駄目だった。クランは、ソファに素奈多の体を押さえつけるようにしてキスをした。


 ――うそ……っ!


 重なった唇に驚いて、素奈多は思わず膝に力を入れた。


 思いっきり、右膝をクランの腹にめり込ませる。


「なにすんのよっ! ニセモノのくせにっ!」


 ぐえっ、と変な声を出して、クランは床に転がった。


「いてててて……。蹴るこたぁねぇだろう?」


 腹を押さえて苦しみながら、クランは呻くように言った。


「だって……」


 みるみる素奈多の瞳がうるむ。

 カタカタと全身が震えた。


「だって、そんな先輩と同じ顔して……あたしの……」


 あとは言葉にならなかった。


 素奈多は、自分で自分の肩を抱き、声を殺して泣きじゃくった。

 こぼれ落ちた涙が、パタパタとフローリングの床を鳴らした。


 素奈多があまりに儚げに泣くので、悪ふざけが得意なクランもさすがにしおらしくその様子を見守る。


 腹を押さえながら、クランは起きあがった。


「えっと……。もしかして、初めてだったとか?」


 その声が少し申し訳なさそうだった。


「ばかぁっ! 変態っ!」


 素奈多は、泣きながらクッションをクランにぶん投げた。

 そして、そのままソファにつっぷす。


 クランは、肩をふるわせて泣いている少女の頭を撫でようと、そっと手をのばした。


 手の先が素奈多の髪の毛に触れる直前に思いとどまって、きゅっと拳を握りしめる。


 クランは、素奈多に触れるのをやめ、すっと立ち上がってキッチンに向かった。


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