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第7話(終)


 湯煙が天井を湿らせ水滴を作っている。オレンジ色にぼやけて光る浴室の灯りに、落ちそうで落ちない雫が、ゆらゆらと揺れてそこにいる。

 麗奈は一日の汗を落し、湯舟に浸かりながら、宙との会話を思い出していた。


 『だったら、どうしてあの時来てくれなかったんですか?』


 『あの時?』


 『覚えてないんですか? 私は確かにあなたにメッセージを残したはずです』


 雫が、ついに麗奈の頬に落ちる。だが、麗奈の頬はすでに涙で濡れていた。


 なんて女だ。私は大事なことを、なにひとつ覚えていない。いい加減で、勝手にわかったつもりになって、おまけに一方的に好きとか言って……。


 麗奈は、湯舟に思い切り拳を叩きつけた。お湯のしぶきが飛び散る。


 何が小説家だ……、人の気持ちも読めないなんて……。


 麗奈はお湯で顔を洗う。しかし涙はどんどん溢れてくる。


 なんで……。


 閉じた瞼を何度もぬぐう。


 なんで、覚えてないのよ!


 拳に足指に、全身に力を込めて麗奈は身体を縮こませた。


 「ちょっと麗奈! あんたまた長風呂で。夏場はみんな汗落としたいんだから、ちゃっちゃっと入んなさいよ」


 浴室の摺りガラスの向こうで、母親が洗濯機で作業をしている。


 「もう、放っておいてよ。今、自己嫌悪で感傷に浸ってるんだから」


 「感傷? へえ、珍しい。いつもひょうひょうと生きてるアンタが感傷に浸るなんて小三以来じゃない?」


 小三?


 麗奈は湯舟の中で体の角度を変えて、摺りガラスの方を見た。


 「お母さん、それなんのこと?」


 「覚えてないの? あんた夏休みの途中、ちょうど今ぐらいだったかな? 友達が急に居なくなったって泣きわめいてたじゃない」


 宙のことだ。覚えてる……、団地の改装工事が終わったと共に養生が撤去されて、トンネルが急に無くなって、宙も忽然と居なくなったんだった。私はショックで悲しくて、かなり長い間引きずって泣いていた。


 「あの時は大変だったわ。アンタが友達と団地の花壇荒らしたって言われてさ。アタシ謝りに行ったんだから、団地の自治会長さん所に……」


 「荒らした? てゆーか、私たちがあそこで遊んでたって知ってたの?」


母親は摺りガラスの向こうでモザイクのように映り、身体を揺らして笑った。


 「何言ってるの。令和に子供が秘密基地作ってるって、あの時みんな微笑ましく見てたのよ。工事の人も邪魔しないように、そこだけアンタ達がいない時間見計らって塗ってたのよ。まっ、あの自治会長は別みたいだったけど」


 「自治会長?」


 「そうだよ。大事なサルビアの花壇に、クッキーの缶を埋めたってさ。あのババ……いや失礼、あのおば様自治会長もさぁ、子供のやったことなんだから、あんなに目くじら立てて怒らなくったっていいのに、まったく」


 クッキーの缶?


 「ああでも、アンタがあんまり友達が居なくなったって泣いてたから、アタシあんまり叱れなかったのよね。あんまり覚えてないかもね。でもあの時からでしょ? アンタが小説書き始めたの」


 「え?」


 「クッキーの缶の中の小説よ。私、開けて見たもの。あれを友達に見せてたんでしょ? アンタの初めての読者ってわけね。そりゃ突然居なくなったらショックだよね。つか、早く出なさいよ。後がつかえてるんだから」


 そう言うと、母親は脱衣所から出ていき、洗濯機の動き出す音がし始める。


 クッキーの……缶……!


 麗奈の脳裏に、鮮明にクッキーの缶が映しだされた。丸くて、青地に白のラインの飾り文字、数種類のクッキーの写真が蓋に印刷されていた。


 そうだった。私があの場所に行くのが楽しみだったのは、宙が私の書いた小説に感想をくれていたからだ! 確か、あのトンネルで会った宙に、前の日に見たアニメの話をしたら、宙が見たことがなくて、私があらすじを書いて上げたのが始まりだった。それから、あらすじが、私の妄想に変わっていって、私の書いた物語を宙が楽しんで感想を書いてくれていたのが楽しくて……。


 麗奈は無意識に口元を隠し、何を見るでもなくシャンプーのボトルを見つめた。


 そうだ。だからだ。小さなころの宙の顔をあまり思い出せないのは、そのせいだ。彼は学童に通っていた。普通、学童に通う子は夏休みも学童に行く。日曜だけ休みで、たぶん彼があのトンネルに来ていたのは、日曜だけなんだ。だから私たちは、どちらでもなくクッキーの缶を用意して、文通のようにメッセージを送りあった。というか、ほとんど一方的に私が小説を書いていたんだ。


 麗奈は、湯舟から飛び出ると体も拭かずに、浴室を出て、脱衣所を通り過ぎ、リビングに出た。突然、ビショビショの全裸で現れた娘を見て、両親は口をあんぐりと開けた。


 「お母さん、そのクッキーの缶ってまだあったりする?」


 「麗奈! なにやってるのはしたない!」


 菜箸を持ったまま母親はすっ飛んできて、麗奈の肩をパチンと叩いた。ワイシャツを脱ぎかけていた父親は、久しぶりに見た娘の裸を見て赤面しながら、咳払いをした。


 ひとしきり怒られたあと、麗奈は、自室の部屋の押入れをひっくり返していた。だが、クッキーの缶は見つからない。物音が気になったのか、母親が、風呂上りで部屋に入ってくる。


 「なにやってるのよ。もうパジャマがホコリだらけじゃない、後でもう一回お風呂入りなさいよね」


 「ねえー。ホントに知らない? クッキーの缶。お母さんさっき中見たって言ったじゃん。てことはさー。自治会長さんから回収したのお母さんてことじゃん」


 「はぁ? 人のせいにしないでよ。あんたのモノだから、アタシは……」


 突然、母親が黙る。麗奈は母親を見た。母親は首を傾げながら、天井の右や左を見ていた。


 「あれ? ちょっと待って」


 母親が急に麗奈の部屋を出ていく。後を付いていくと開かずの納戸の扉を開いた。中には古いミシンや、滅多に使わない鍋などが置いてあった。母親はミキサーの箱を出し、奥に手を突っ込んだ。


 「あった。これだわ」


 母親が持っていたのは、ほこりだらけの白いゴミ袋だった。


 「思い出した。回収したけど土だらけだったから、とりあえずゴミ袋に入れたんだ。いつのまに、こんなとこ入ってたんかね」


 「もうっ、おかあさん!」


 麗奈は白いゴミ袋を母親から、奪うように取った。


 「んまあ、嫌な子ね。せっかく思い出してあげたのに。痒い! あー痒い。もう一回お風呂入んなきゃ、あーやだやだ」


 母親は、怒りながら、どすどすと階段を降りていく。麗奈は自分の部屋に戻り、ゴミ袋を開けた。中から、少し錆びたクッキーの缶が出現した。土はもう乾ききって、砂のようにゴミ袋の中に残った。

 麗奈は、白いゴミ袋をフローリングの上に敷き、その上にゆっくりと缶を置いて、自身も直に座りこんだ。爪をたてて、硬くなった蓋を開けた。


 すぐ目の前に飛び込んできたのは、クッションのような柔らかくボロボロのサッカーボールだった。


 これ、大城さんと一緒に遊んだって言ってたボール?


 サッカーボールを出し、沢山のノートの切れ端を手に取る。


 間違いない。私の字だ。裏に書いてあるのが、宙の感想。


 麗奈は、幼い頃の自作を読んで顔が熱くなった。


 な、なんだこれ! 魔法で変身した少女が、若おかみして、カードバトルしとる。恥ずかしい! 恥ずかしくて死にそうだ!


 しかし、幼き日の麗奈が書いたとんでもない二次創作に、宙は喜び、面白かったと、何度も何度も書いてあった。そして、一枚だけ裏面に感想が書かれていない二つ折りになった紙が、一番下から出てきた。


 『覚えてないんですか? 私は確かにあなたにメッセージを残したはずです』


 夕刻の宙の言葉が蘇る。麗奈は、それをゆっくりと開いた。



 れいなちゃんへ

 いつも、おもしろいお話をありがとう。

すごくおもしろくて、ここにくるのが楽しみでした。

もっとれいなちゃんのお話を読みたかったけど、

また引っ越すことになりました。

水曜に、ここに来るのがさいごになります。

そのとき、おわかれのあいさつをしたいので、

ぜったい来てね。

もらってばかりでわるいから、

ぼくのボールをあげます。

あと、ぼくのほんとうのなまえは

高森宙です。

この間はおしえられなくてごめんなさい。

こんど、れいなちゃんのなまえも教えてね。

                    高森宙



 麗奈はその手紙を胸に押し当てた。瞳からまた涙が溢れだす。


 私を待ち続けて、幼い宙はどんな気持ちだっただろう。

 私は知っている、その気持ちを……。


 悲しくて、寂しくて、自分は、相手にとってそんなに小さな存在だったのかと感じ、裏ぎられたような、怒りのような……得も言われぬあの感情を……。


 ごめんね、宙。届かなかったんだよ。知らなかったんだよ……。


 頭の中で、麗奈は小さな宙を抱きしめた。そして一緒に泣いた。


 ごめんね。


 気づけば、宙からの手紙をくしゃくしゃに握っていた。麗奈は床で丁寧に伸ばし、ボールと共に缶に戻した。


 パジャマの裾で涙を拭き、ティッシュで鼻をかんだ。


 謎は解けた。ようやく思い出せないわけが解った。思い出せるはずもない。知らなかったのだ。おそらく、このクッキーの缶を最後に私が見る前に、工事が終わった。それで、久しぶりに花壇を見た自治会長さんが、サルビアが荒らされたと言って怒って、お母さんを呼び出し苦情を言って、この缶をお母さんに渡した。お母さんは、泣いてる私を怒れず、缶はウヤムヤのウチに納戸に入ってしまった。

つまり、私は忘れてたんじゃない。宙の名前も知らず、約束も知らず、いやメッセージが届いていたことも知らなかったんだ。おそらく宙は最後のメッセージを缶に入れた後、工事が無くなってから見に行って、缶が無くなっているから私が回収したと思っていた。

だから、宙の中で私は約束を守ってないってことになったんだ。

なんのことはない。要はすれ違いだったのだ。


 麗奈はそのまま腕組みをして首をひねる。


 えっと、これはどういうことになるんだ……? 宙の誤解を解くのがいいのか? いやでもなんか、宙にフラれたのはこれが原因てワケじゃないような気が……。ダメだ、私のキャパを越えている。


 麗奈は、机の上に充電されていたスマホを手に取る。時間は、二十三時を越えていた。


 すまん。だが、時間がない。


 顔認証でロックを解除すると、麗奈は詩織にラインで電話をかけた。

 呼び出しメロディーが続く。


 もう寝てるか~。


 そう思った時、ガサガサと鼓膜に雑多の音が聞こえてくる。


 「おおい、何時だと思ってるのよ……」


 不機嫌そうに、呂律がいまいち回ってない詩織が、低音ボイスで電話に出た。


 「ごめん、寝てたよね」


 「あたりまえだろ、なに? 急用? 明日じゃだめなの?」


 「明日って何時に起きるの?」


 「九時……くらいかな……」


 「よく寝んなあ。いやごめん、それだと遅いかも」


 「美容には十時間は睡眠必要って、どっかのモデルが行ってたのよ、あと水二リットル飲む」


 「宙が移動になっちゃうかもって……」


 麗奈の言葉で、詩織は無言になった。そしてまた、ガサガサと音がする。


 「もぉ~。わかったよ。話してみ」


 「しおり~」


 「うるせー、はやく言え」


 麗奈は、大城と話したこと、かっぱ橋に行ったこと、駅の広場でフラれたこと、クッキーの缶の事、しどろもどろになりながらも、全部を話した。

 詩織は寝てたんじゃないかというほど、沈黙し麗奈の話を静かに聞いていた。答えを待っていると、スマホの向こうから、大きなため息が聞こえる。


 「前に、女が相談ごとする時は、たいてい答えが決まっているって聞いたことあるけどホントだねアレ」


 「え? どういうこと?」


 「どういうことって、わかんないの? 答えは決まってるでしょって言ってるの」


 今度は、麗奈が絶句し、詩織の話を聞いていた。


 「ねぇ麗奈。私、何十本、いや何百本って、麗奈の小説読んでて、ひとつだけ解ったことがあるの」


  麗奈は、唾を飲みこんだ。


 「あんたは、ハッピーエンドしか書かない。絶対、主人公は幸せになるのよ」


 麗奈は瞳を見開く。視界が明るくなった気がした。


 「今度は、あんたが主人公になる番だよ麗奈。あんたの物語だよ。あんたなら、この続きを、どう書くの?」


 心臓の音が聞こえる。鼓動が速くなった気がする。麗奈は、机の上のノートパソコンを見た。


 「さすが詩織だ。その通りだね」


 詩織の鼻息が聞こえた。


 「でしょ? わたしさすがでしょ」


 「ありがとう」


 「じゃね。私寝るから」


 「うん、明日起きたころ、またラインしていい? 聞きたいことある」


 「わかった、わかった。じゃね」


 通話が切れる。麗奈はそっとスマホを耳から離した。大きく息を吸いこみ、そして吐いた。震える体が吐息を揺らしていた。

 麗奈はそのまま目を閉じ、考えた。

 ただ、宙のことを、ひたすら彼のことを、想った。



 翌日の十一時ごろ、麗奈は海浜公園の入り口に来ていた。

 海浜公園内の市民プールには、沢山の人が来ていたが、『アホウドリのクレープ屋さん』のキッチンカーは、まるで人に見えていないかのようにポツンとそこにあった。

 麗奈が遠目から見ると、昨日のことが響いているのか、宙はどこかうわの空で、ただ車内に突っ立っていた。麗奈は、キッチンカーの売り場から見えない角度から近づき、背部に回っていきなり厨房のドアを開けた。


 いきなり現れた麗奈に、宙は驚いて変な立ち方になって固まっている。

 麗奈は、恐れることなく宙の目をじっと見た。何も言わずしばらく見続けた。

 宙は、きょろきょろとしたり、目線を合わせたりしたが、次第に視線をおろす。


 「き、来てくれたんですね」


 麗奈は、それでも黙っている。宙は麗奈を改めて見て、瞬きを一度した。


 「今日は、エプロンしてるんですか? 下は制服?」


 麗奈は、後ろに隠し持っていたクッキーの缶を厨房の床に置く。それを見て、宙の目が大きく開く。


 「私には、小学三年の時、ひと夏の友達がいました。名前は高森宙。彼は、私のつたない小説を喜んでくれて、感想を書いてくれて、私にとっての初めての読者で、大好きで最高の友達でした。でも、彼は、いきなり、なんの前触れもなく、忽然と消えたんです」


 「え?」


 宙が、何か言いかけたので、麗奈は掌を前に出して、待って。とジェスチャーした。


 「でも、彼は突然消えたわけじゃなかった、二人の秘密の場所にメッセージを残していたんです。でも、不運なことに、彼がメッセージを残してすぐ、団地の塗装工事が終わり、秘密の場所は消えてしまい、ただの花壇になってしまった。しかも、団地の花壇を世話していた人が、そのメッセージの入ったクッキーの缶を持ち去ってしまった」


 宙の口元を少し開き、驚いたように麗奈の目を見た。


 「それをわかったのは、昨日の夜。そうです。私は知らなかった。高森宙くんがお別れの約束をしていたのを、七年後の昨日、初めて知った。いえ、あなたの本当の名前も昨日初めて知ったんです」


 脱力したように、折り畳みの椅子に座り込んだ。


 「じゃあ……私のことなんて、どうでも良かったわけじゃなくて……」


 「大好きだったに決まってるじゃない!」


 宙は震えだし、瞳から涙が溢れだす。うつむいて膝を叩いた。


 「良かった……」


 麗奈は、クッキーの缶を拾い上げ、厨房に入り宙の膝に置いた。


 「でもね。私、少し怒ってる。こんなのどうでも良くない?」


 掌で涙を拭いながら宙が麗奈を見る。


 「宙さん、いや、宙がどんな人生を送ってきたか、どんな辛い目にあったかは、私にはわからない。でも、その大変な時間を過ごしてきた宙が、一人前になろうと必死に生きてる姿に、私は惹かれた。それで良くない?」


 麗奈は、自分の思いの丈をありったけを、思いっきりぶつけるように、宙の目を見つめた。


 「私は七年前の高森宙が好きなんじゃない。今の、真面目で将来を考えて生き抜こうとしているクレープ屋さんの宙が好きなの」


 宙の瞳が潤いに満ち、この星の全てのきらめきを集めたように、輝いていた。


 「あなたは?」


 視線を一度落とし、再び麗奈に視線を合わせた宙は、擦れた声で何か言った。


 「聞こえない。もっと大きな声で言って!」


 麗奈が大きな声を出すと、宙は突然麗奈を抱きしめた。クッキーの缶が大きな音を立てて床に落ちる。


 「好きです! 行動的で、頭も良くて、思いやりがあって、優しくて、クリームを頬っぺたに付けて気づかない所も、ちょっと短気なところも、みんな好きです!」


 麗奈は宙の額に自分の額をくっつけて呟くように言った。


 「そんな大きな声で言わないで、恥ずかしいから」


 宙が、ふき出して笑う。


 「どっちなんですか」


 「私にも、わかんない」


 「まぁ、いいか。これからも、よろしくお願いします」


 その言葉を聞いて、麗奈は突如、宙の身体を押した。


 「よくなーい!」


 宙は、また目尻を人差し指で拭いながら、キョトンとした目をする。


 「私の月のお小遣い、いくらだと思ってるんですか、五千円ですよ。県外なんかに行かれたら交通費だけで破産しちゃうでしょ」


 「あ、そ、そうか」


 宙が慌てた様子でいると、売り場の方から、沢山の拍手が聞こえる。

 気付くと、宙の回りに、十数人の高校生くらいの男女が、キッチンカーを取り囲むように拍手していた。その中に、詩織と陸斗、そして大城もいた。


 「話はまとまったかな。やあ、井上宙くん。いや今はまた違う名前なのか? 久しぶりだなぁ。大きくなった」


 大城が近づいて、宙に挨拶してきた。宙はまた目を見開き大城を見た。


 「もしかして、あなたは学童の時の……」


 「そうだ。ここにいるみんなは、あの時学童にいた時のメンバーだ。久しぶりに連絡を取り、あの時サッカーをやった井上宙がクレープ屋を開いたと言ったら、是非食べてみたいという事になってね。こうして集まってくれた」


 麗奈は、売り場に置いてある『アホウドリのクレープ屋さん』のメニューチラシを、全部、大城に渡す。大城は陸斗や詩織に配った。麗奈は、みんなに向けて大きな声で話し始めた。


 「では、みなさん。よろしくお願いしまーす!」


 チラシが行きわたると、集まっていたみんなが散り散りになっていく。


 「はい、はい。練習休んで、なにやらされんのかと思ったら、こんなのかよ」


 陸斗がブツブツ言ってると、詩織が陸斗の顔を触って見つめる。


 「そう言わないで、この後クレープ食べながら泳ぎにでもいこうよ。私この中水着なの」


 鼻の下を伸ばした陸斗は赤面しながら「あ、ああ」と頷く。

 それを見て大城が陸斗の背中を叩く。


 「何言ってる。終わってクレープ食べたら、すぐ学校に戻って練習だぞ」


 「はあ……」


 陸斗は、がっかりしたように、肩を落とした。

 事態を、意味がわからず見ていた宙は、麗奈の顔を見てきた。


 「みんな、メニューをコピーして、一人二十枚、この公園から、海岸にいる人に配ってくれるって」


 「え! そ、そんなことを?」


 「みんな宙のこと心配してるんだよ」


 宙は複雑な表情で俯いた。


 「でも……それじゃあ、一人前とは……。申し訳ないし」


 麗奈はため息をついて、宙の肩に手を置いた。


 「ねぇ、知ってる? 小説って面白い小説書くだけで終わりじゃないんだよ? 担当編集とブラッシュアップして、直して、直して、直しまくって、やっと出来上がった小説を今度は校正にかけて、また直して、表紙を作ってくれるデザイナーさんとかイラストレーターさんに依頼して、それで本になったら今度は営業さんが本屋さんに置いてくれるように頼みに行くの、それで今度は本屋さんが棚にディスプレーして飾ってくれて、やっと読者の手に届くまでになるの」


 宙は、麗奈の顔を見た。


 「きっとどんな仕事もそう。一人っきりじゃ出来ないことばっかりで、自分の得意を持ち寄って協力して、やっと人様に届けられる仕事になるんだよ。人に頼れるようになって初めて、『一人前』って言うんじゃないかな」


 「人を頼る……」


 麗奈はポケットからスマホを取り出すと、インスタのアプリを起動して昨日行ったクレープ屋のページを出した。


 「ただでさえ、宙はスマホとか苦手で知らないこと多いでしょ。ほら見て、昨日行った場所、みんなSNSやってるんだよ? こうやってネットも頼ってやってるの。ここは? やってないでしょ?」


 宙は、ショックを受けたように、また俯く。麗奈は宙の肩をそっと抱いた。


 「これから知ればいいの、教えてあげるから。言ったでしょう? 私はあなたを一人にしないって」


 頭を上げ、宙は、また泣きそうな顔で麗奈を見る。麗奈は、宙の肩をタップした。


 「ほら、シャキッとしなさい! いつもの宙さんに戻って」


 宙は俯いて、すこし笑うと、いきなり立ち上がった。


 「ありがとう。麗奈さん」


 立ち上がると、屈まないと天井に頭をぶつけるほど大きい宙を、見上げる麗奈。

 じっと眼を見つめる。自分が映っている宙の瞳に吸い寄せられる。宙も少しずつ顔を近づけてきた。麗奈は、ゆっくりと瞳を閉じる。


 「すみません。そこでチラシを頂いたんですけど」


 二人は、跳ねるように距離を離した。

 そして、また目を合わせて、お互いに微笑みあうと、息合わせるように口を開いた。


「「いらっしゃいませ! アホウドリのクレープ屋さんにようこそ!」」


 売り場から見えない所で、宙が麗奈の手を握ってくる。

 麗奈は、思い切り、体中の愛情を込めて握り返した。




 ピピピピ、ピピピピ!


 スマホから目覚ましの音が鳴る。自分の机で寝落ちしていた麗奈は薄目を開ける。

 一階から、母親が壁を叩く音がする。


 「ちょっと~、麗奈~! 今日から学校でしょう! 早く起きなさ~い!」


 だるそうにスマホを見ると、七時を回っていた。


 「やばっ」


 慌てて体を起こすと、ハンガーにかけてあった制服と鞄を持って部屋を出る。


 「ご飯食べるの?」


 「少なめで」


 「あー、あんた最近太ったからね。クレープ食べ過ぎじゃない?」


 「うるさいな!」


 麗奈の居なくなった、カーテンの閉まっている薄暗い部屋で、机の上で電源の入りっぱなしのノートパソコンがぼーっと画面を光らせている。

 開かれたワードには、一行、タイトルらしき一文が書かれていた。


 『恋するワナビは、アホウドリの名前を呼べない』


 了


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