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第二話

 バターと砂糖の焦げた香りと、濃厚な生クリームの魅惑的な甘みは、次の日の麗奈の口の中で、まだ強烈な記憶として残っていた。そして、それ以上に残っていたのは、夕日に照らされた宙の澄んだ瞳と微笑み。登校している時も、授業を受けている時も、宙のことをぼんやりと考えてしまっていた。

 気づくと、昼の授業が終わっている。麗奈は、自分の頬を軽くたたいた。


 「いかん、いかん。新作のことを考えなくては、夏休み中に長編を一本書き上げるためには、せめて構想くらいは、終わらせないと」


 弁当を机に出し、包んであったランチクロスを解く。

 と言っても、この間の作品は酷評だったし。ネタが無いんだよね。

 弁当箱の蓋を開けると、のり弁とタコさんウインナーが二本、甘い玉子焼、プチトマトが詰め込まれていた。麗奈は一度、閉眼した。


 そう、この子たちはついに運命の日を迎えた。総菜として生を受け、その使命を全うする日を待ち望んでいたのだ……。


パチっと開眼すると、麗奈はおもむろにウインナーを箸でつまんだ。


 「タコ子、先に行くぞ! 胃袋の中で待ってるからな! あ、タコ助さん待って。私、自信がないわ。ちゃんと栄養になれるかしら。大丈夫だタコ子! 胃袋に入ってしまえば、タンパク質に油分にビタミンB群が豊富に供給できる。立派にお勤めができるんだ! じゃあな! あ、タコ助さん!」


 そうして麗奈は、パクリとタコさんウインナーを一口で頬張る。パリッとした食感のあと、程よい塩分と旨味が口に広がる。そして次のタコさんウインナーを箸でつまみ、口元の前で揺らす。


 「あおうえあ~ん!(タコ助さ~ん!)」


 ああ、私は今、旨味を最大に生かし、この人間に幸福と栄養を与えているのだ! タコ子、ああこんな素晴らしい仕事が出来て、我のウインナー道に一片の悔いなし……。

一生懸命、麗奈がタコ助を咀嚼していると、詩織が背後から声をかけてきた。


 「おい、ひとり寸劇女」


 「あえああええん!(誰がやねん!)」


 詩織は、笑いながら空いている麗奈の前の席に座ると、麗奈の机に自分の弁当を広げ始めた。麗奈は、つまんでいたウインナーを一旦置き、ステンレスボトルからお茶でタコ助を喉に流しこんだ。


 「珍しいね。お昼は、あっちのグループだろ」


 「いや、別に。たまには麗奈と食べようかなって」


 「ふ~ん」


 詩織の弁当は、ささみチーズのフライらしい。ソースの香りがしてくる。だが詩織は、箸を遊ばせながら、なかなか食事に入らない。なにか言いたそうだ。

 麗奈は一瞬、詩織の目を見たあと、しなしなになったのり弁の海苔を一片、箸で丁寧につまみ上げると、残ったタコ子にそっとかけた。


 「とりあえず少し寝るわ。タコ助さん。あたし眠いの」


 「まだ、続くんかい」


 詩織のツッコミに麗奈はくすりと笑う。麗奈は玉子焼きを箸で刺すと、詩織の鼻先まで持ちあげた。


 「なんか話したいことがあるなら、早々に言いたまえ。昼休みは五〇分しかないのだよ」


  詩織は、麗奈の玉子焼きをパクリと食べる。


 「あ、ひどい! 一番好きなやつなのに」


  さっさと咀嚼して飲みこむと、詩織は箸でささみチーズフライを一つ、麗奈の弁当箱に入れてきた。意外な交換に麗奈は顔がほころぶ。


 「あ、あのさ」


 詩織の顔に少しの緊張を感じる。麗奈は口をつぐみ、詩織を見つめる。


 「陸斗って彼女とかいるのかな」


 その言葉を聞いた瞬間、おもわず麗奈は吹き出した。


 「おい、笑わせるな。あんなアホにいるわけないだろ。せいぜいアイドルのポスターが部屋に貼って、いやフィギュアだな、アニメのキャラが飾ってある程度だよアイツは」


 陸斗も詩織も、小学校からの仲だ。どちらの家も行ったことがあるし、二人も麗奈の家に来たことがある。陸斗に彼女なんているわけない。麗奈にとっと、そんなことは確かめるべくもないのことなのだが、詩織には、そうではないらしい。頬を紅潮させ、クラスメートとパンを食べながら談笑している陸斗をちらちらと見ている。


 麗奈は、嘆息した。なんとなく次の展開を読めるからだ。昔からこういう所があるこの女は……。


 「ね、お願い。夏休みの陸斗の予定と、ラインID聞いてきくれない?」


 「はい、出た~。聞いてくれ女」


 麗奈は落胆し、肩を落とす。箸を弁当箱の上にゆっくりと置くと、詩織の両肩を掴んだ。


 「いいかね。麗奈くん。こと青春モノにおいて、このパターンは大抵失敗する。まず、私が聞きに行く、だが呼び出された陸斗は妙な緊張感と、私の美貌に『俺、詩織よりお前の方が好きだ!』となるだろう、間違いない。それでこうなる。『え、そんな私、陸斗の予定を聞きにきただけなのに』、ドキドキ。結果、陸斗と私が幸せになり、詩織は悪役令嬢のごとく私をイビリ始めるんだ。そこに新たな男が現れて、私を救い陸斗から私を奪おうとドロドロの四角関係の学園愛憎劇が幕を開く」


 詩織は、眉間にシワを寄せ、軽く麗奈を睨む。


「おい、妄想ばかワナビ。まさか断る気か? いつも小説読んで感想言ってるじゃん」


「む、それを持ちだすのか。ズルいぞ!」


詩織は顔を赤くし、無言で麗奈に合掌してきた。麗奈は大きく息を吐く。


「はぁ~。もう自分でやった方が絶対上手く行くと思うけどなぁ」


 麗奈は弁当箱の蓋を閉じ、立ち上がる。


「え、今から行くの?」


「私は、宿題はすぐやる派なのだ」


面倒くさいことになったが仕方ない。こういう時は微塵も勘違いさせないのが一番だ。

麗奈は、ポケットに両手を突っ込みガニ股で歩き、わざと机に当たり、音をたてながら陸斗に近づいていく。焼きそばパンをほうばっていた陸斗は怪訝な顔で麗奈を見た。


 「顔貸せや」


 「あんだよ」


 陸斗の口の中に、咀嚼中の焼きそばパンが見える。麗奈は思わず陸斗の肩をはたいた。


 「汚ねーな。飲みこんでから喋れ! いいから廊下来い!」


 麗奈は、ガニ股歩きのまま、先に廊下に出る。熱気がむんと身体を包む。陸斗すぐについてきた。麗奈が振り返ると、牛乳を飲んだのか、陸斗は口の周りに白い輪を付けていた。


 こ、こどもか……。


 「なんだよ、いきなり。なんか新作の相談か?」


 「そ、その時は、よろしくお願いします。だが、今は違う。時に陸斗よ、夏休みの予定はどうなっておる。あと口拭け」


 陸斗は嫌そうな顔をして、手の甲で口元を拭うと、今度はお尻でその手の甲をふいた。そして、麗奈の顔をじっと見て、少し沈黙すると、口元を緩める。


 「なに、お前まさか、俺のこと好きなの?」


 麗奈は、あまりの勘違いに脱力し、膝から崩れ落ちた。

 こ、ここまで演出しても勘違いするのか。だ、男子ってバカすぎる。

 全力で手を振って、再び立ち上がり全力で嫌な顔を表現した。


 「あたしゃ、オマエが小二の時、教室でウンコ漏らした時から知ってんだぞ! んなわけあるか! 今でもあの匂いが鼻腔の奥に残っとるわ!」


 陸斗は、赤面し拳をワナワナと震わせ、慌てはじめる。


 「ば、ばか! そんな昔のことを叫ぶな! やめろ!」


 「くそぉ。なんであの時、詩織も同じクラスじゃなかったんだ。あの時の匂いを嗅いでいたら、こんなヤツ……」


 「詩織?」


 「そうだよ! どうも詩織が陸斗のことが気になるらしい。夏休みの予定とラインID聞いてきてくれって頼まれたんだよ」


 陸斗は後頭部を掻きながら、微妙な顔をしている。


 「なんか、サッカー部のマネージャーからも詩織からって、似たようなこと聞かれたけど、そういうことか~」


 詩織の奴、別ルートも使ったのか? 無駄な手間をかけさせやがって~。

 麗奈は、少しイライラして奥歯を噛みしめた。

 陸斗は、遠い目をしながら廊下の窓に近づき、三階からの街の展望を眺めはじめた。


 「俺さぁ、今はサッカーに集中したいんだよね」


 麗奈は思わず口が開いてしまった。


 こ、こいつ、フロうとしてるのか、陸斗の分際で……。


 「ほら、ウチの親、歯医者だろ? 機材とかも揃ってるから継げって言われててさ。本当はサッカー一本でやりたいって思ってるけど、そこまで才能あるわけじゃないし、プロになれないことくらいわかってる」


 陸斗は、麗奈の方に振り向いて、微笑んだ。


 「だから、高校の間だけだと思うんだよ。全力でサッカーやれるのって、だから……」


 微笑む陸斗の白い歯には、焼きそばパンの青のりが付いていた。

 麗奈は、怒りで震える右手を左手で抑え、深呼吸をした。陸斗とは長い付き合いだ。だから知っている。この男は、そこまでサッカー狂なわけではない。どちらかというとオタクよりで、アニメや漫画の方が好きだが、なんとなくサッカー部を続けている奴だ。現に中学は、レギュラーにはなれずにいた。それに対する悔しさなども微塵も感じたことはなかった。まあ、他人の心などわかるはずもない。そんな男が高校で本気でサッカーに取り組んでレギュラーを勝ち取る、泥臭い青春ストーリーもあるだろう。


 だが……。


 麗奈は、陸斗を睨みつけた。


 だが、ならなぜ、オマエはニヤついているのだ! 明らかに、頬と目つきが緩んでいる。こいつ、駆け引きをしているとしか思えん! もっと好きって言って欲しいとか、どうしても付き合って欲しいとか……。

 悪いヤツじゃない、そうなんだが、だがムカつく! 本当なら平手打ちしたい! しかし、コイツも私の小説を読んでくれる貴重で数少ない読者であり友人なのだ。


 麗奈は怒りのエネルギーを、全てため息で放出した。そして目をつぶり、わざと沈黙を長くおき、そして大きく頷いた。


 ここは、一度、あっさり引く。


 「わかったよ。陸斗は本気でサッカーやりたいから、夏休みもサッカー漬けで、一日も休みが無いって、詩織に伝えておくよ」


 「え? あ、いや」


 麗奈は踵を返し、教室の開き戸に近づき、手をかけた。

 そして、戸は開けず動きを止める。

 ここが大事。奴は今、この一瞬の間で、焦りと後悔とくだらないプライドを戦わせているハズ。スーパーコンピューターばりに、自分にとって何が大事を考えている。だが、答えなど出ない。


 麗奈は動かず、沈黙を続ける。


 一、二、三、四……。この沈黙が決定的な言葉の重みを生む。『間』とはそういうものだ。


陸斗に聞こえるように息を吐くと、麗奈は振り返り静かに、そして冷ややかに言った。


 「だけど陸斗。高校生でいられる期間は、詩織も一緒だよ」


 「え?」


 陸斗の目は見開いていた。


 そう、お前が一番ダメなのは、自分の事しか考えてないということ。


 麗奈は素早く陸斗の横に移動する。陸斗は驚いて麗奈の顔を見た。


 「想像してみて、スカートをなびかせて近づいてくる詩織。頬を紅潮させ見つめる詩織の顔。そして熱い吐息で言うの『り、陸斗くん、帰りにコンビニ寄ってこ』って」


 陸斗の顔が、みるみる赤くなっていく。


 「この先、卒業したら制服の子とそんなことは一生出来ないんだぞ。陸斗も詩織も」


 「で、でも」


 もう一押し!


 麗奈は、息がかかるくらい陸斗の耳元に顔を近づけ、囁いた。


 「知ってる? 詩織の鎖骨には、星型のほくろがあるんだよ」


 陸斗が、ぴくりと身体を震わせたのを麗奈は見逃さなかった。


 「ど、どうだった?」


 麗奈の席で、弁当を食べずに待っていた詩織が、廊下から帰ってきた麗奈に、不安そうな顔を向けた。

 麗奈はスマホの画像に映ったQRコードを詩織に見せる。


 「これがID。夏休みの部活は、木曜休みで、お盆の一週間は休みだって。だが、こんなことは今回で終わりだよ。金輪際しないからな」


 詩織は感激して、麗奈に抱き着いた。


 「すごい! さすが麗奈!」


 「暑いわ」


 麗奈は詩織を振り払って、どっかりと自分の席について弁当箱を開ける。


 「そっか、やっぱ部活かぁ。仕方ないなぁ、差し入れとか持って行ってやるか」


 「私がワナビで良かったな」


 「え?」


 「いや、なんでもない。登録したら、すぐメッセージ送ってやれ」


 「うん! ホントありがとう。麗奈なら上手く言ってくれると思ったんだ」


 ハッとして麗奈は、嬉しそうに自分のスマホでQRコードを読み取っている詩織を見つめた。


 結局、私もコイツの掌で躍らされたにすぎないと? お、女ってコエ~。


 「時に詩織くん。君、鎖骨にほくろとかあるかね?」


 「え、なにそれ。無いと思うけど」


 麗奈は、思わず吹き出しつつ、舌ベロを出した。


 「いや、なんでもない些末なことだ」


 先ほど詩織からもらったささみチーズフライを、麗奈は口の中に放り込んだ。

 陸斗が、真っ赤な顔をしながら教室に入ってきた。詩織のことをチラチラと見ている。それに気づいた詩織も、頬を紅潮させ頬を緩ませ、胸元で小さく手を振る。

 麗奈は、お茶を口に含みながら詩織をぼんやりと見た。


 恋愛……か。


 麗奈は、ふと寂しくなる。

 麗奈にとって恋愛は、物語に出てくる現象である。小説の中では、大恋愛も沢山読み、さも自分の体験のように感じたことは、幾度もあった。しかし、現実世界の人間にそこまで惚れ込んだことはなかった。だから、女子同士で恋愛の話になると、いつも自然に輪から退場していた。語るべく相手と体験がないからだ。

 十六歳にもなって、初恋もない自分は異常なのかもしれない。そしてもしかしたらこの先も、無いかもしれない。

 そんな自分を置いて、まわりはどんどん大人になって行く。そんな漠然とした未来への不安と孤独感が、麗奈の心に孤影を落すのだ。


 「ねぇ、人を好きになるって、どんな感じ?」


 食事を終え、弁当の空箱を包んでいた詩織は、麗奈の言葉に少し驚いたような顔をしながらも、すぐに微笑んだ。


 「そうだね。なんかその人のために何かしてあげたくなる。そんな感じかな。私の場合」


 詩織は、麗奈の肩をポンと叩くと、それ以上は何も言わず自分の席に戻っていった。


 その人のため……。


 クレープを焼く宙の姿が、麗奈の脳裏に浮かぶ。


 「そういえば、あいつも客に対して、そんなことを言っていたな」


 そうなると、宙は客を全員好きということなのだろうか……。


 いつの間にか食べ終わっていた空の弁当箱に、麗奈も蓋を閉めた。


 冷房が効いたバスの中なのに、ガラス窓から入る日光が顔に当たっていると、ローストされている気分になった。目的地に着く頃には程よく焼き上がり、どこかのスーパーの総菜コーナーで売られてしまう。そんな妄想をしながら、麗奈は鞄の中から財布を出し、小銭を数えた。


 「一、二、三……」


 百円玉がしっかり十枚入っている。昨日の夜、母親に事情を説明しお小遣いを前借りした。


 どこかで飲み物でも買っていってあげようかな。


 海浜公園前の停留所を降りると、公園に入らず外周を覆うフェンスの貼られた道を歩く。この先を曲がったところにスーパーがあるのだ。

 麗奈の歩く道の先に、フェンス越しに公園の様子を、どこか心配そうに見ている中年の女性がいた。女性を避けるように進路を変えて通り過ぎて、しばらくして麗奈は足を止め、少し振り返った。


 あれ? あの人、どこかで……。


女性は、麗奈の視線に気付くと顔をそむけて、去っていってしまった。しまった。と思いながら頭をかく。


 「どうも私は、人の顔をじっとみてしまう癖があるなぁ」


 反省しつつ、麗奈も公園の中をチラッと見る。すると、なにか人が沢山いるのが見えた。


 「列?」


 よく見ると、沢山の人が列をなして待っているのだ。そしてそれは、見覚えのあるキッチンカーに繋がっていた。


 「ウソでしょ?!」


 麗奈は走り出し、急いで公園の入り口に向かう。列は公園の入り口まで続いている。ざっと百人は並んでいるように見える。そして、それは宙のいるキッチンカー『アホウドリのクレープ屋さん』まで繋がっているのだ。

 麗奈は、列の横を走り、キッチンカーに向かった。宙は一心不乱にクレープを焼き続けている。しかし、その顔には焦りの表情が滲みでていた。


 「あ、あのどうしたんですか?! この行列」


 宙は、一瞬横目で麗奈を確認するも、すぐに視線を手元に戻し作業を続けた。


 「き、昨日の、あの女性のお客様が、インスタってヤツで」


 そう言うのが精一杯のようで、宙はそれ以上口を開かない。麗奈はスマホをポケットから取り出すと、インスタで、#海浜公園、#クレープ屋で検索する。一瞬で、昨日の麗奈を平手打ちしようとしていた女性客の記事が出てきた。


 『親切なクレープ屋さん! 生地もモチモチしてるけど、生クリームも絶品! 苺もたっぷりで美味しかったよ♪ みんなも是非行ってみて!』


 昨日とは、同じ人間と思えないほどの加工で美人になっている。


 「あの人、インフルエンサーだったんか」


 麗奈は、改めて行列に並ぶ人々を見た。時計を見るもの、貧乏ゆすりをするもの、ため息をするもの、何度もキッチンカーを見るもの、客は明らかに苛立ちを見せていた。

 宙を見ていると、丁寧に仕事をしているのだろうが、宙を知らない客にはただ動きが遅い店員にしか見えない。


 「ありがとうございました! お待たせしました! 次のお客様ご注文をどうぞ」


 「苺とバナナの奴にチョコソーストッピングと、苺カスタード」


 「す、すいません! カスタードはもう売り切れてしまいました」


 「え~! ずっと待ってたのにマジかよ。じゃあ、苺とバナナの奴二つでいいよ。ったく先に言えよな!」


 「すみません! すぐ作ります!」


 その男性客は不機嫌そうに舌打ちをした。麗奈は横で、思わずその客を凝視した。


 「稲村さん!」


 その言葉で我に返って宙に視線を移すと、宙は口を噤んで顔を小刻みに横に振った。麗奈は、握った拳で自分の太ももを叩いた。


 おんなじことを! でもこのままじゃ……。宙の焦りを、まるで自分のことのように感じる。

舌打ちした男性客の次の客が、一生懸命キッチンカーの窓に貼ってあるメニューを見ていた。


 「そうか!」


 麗奈は、走ってキッチンカーの後ろ側に回ると、鞄の中からノートとシャーペンを取り出す。そして車のタイヤの後ろに鞄を、隠すように置いた。キッチンカーの正面に回り、置いてあったチラシを二、三枚貰った。


 「あの! 私が注文してきます。カスタードの他に売り切れたのありますか?」


 麗奈の言葉に、宙は驚いて目を大きく開いた。


 「な、何言ってるんですか、大丈夫ですよ! お客様にそんなことを」


 「見てわかんないの?! このままじゃ昨日のおんなじ事が起きるよ!」


 麗奈は、自分でも理解できないが大きな声を出していた。宙は、動揺で目を泳がせつつ麗奈の事を見つめたが、すぐに大きく息を吐いた。


 「じゃ、じゃあお願いします! 苺はあと十五人前で、マンゴー南国クレープがあと二人前です! あとは多分まだ大丈夫です。生地はまだ百枚以上人焼けます! あ、あと私が作るとどうしても、一人前八分位はかかります!」


 麗奈は、ノートを捲ってメモに記す。


 「わかった!」


 麗奈は次の子供連れの女性客から声をかけた。


 「あの、お聞きになった通りです。ご注文をお聞きします」


 「え、じゃあ南国マンゴーとチョコバナナクレープで。あなたえらいわね。店主さんと友達なの?」


 「はい」


 「そう。頑張ってね。二つでいくら?」


 麗奈はメニューをみながら、スマホで計算をして、女性客に画面を見せる。


 「一四〇〇円です」


 「そう。じゃあこれ」


 女性客は、財布からピッタリの金額を渡してきた。


 「い、いえ代金のやりとりは店主とお願いします」


 「注文聞いて、お客さんが居なくなったらどうするの? こういう時はお金ももらって番号札渡すか、電話番号をもらっておくのよ。取りっぱぐれがないもの。私もね実家で商売やってるの」


 女性客はニコリと笑う。麗奈は宙の顔を見た。話が聞こえていたのか、宙は麗奈の目を見て頷いた。麗奈はそれに答えて頷いた。そして、注文を書いた場所に『1』と書くと、ノートの端にまた『1』と書き、破いて客に渡した。


 「ご助言、ありがとうございます」


 切れ端を受け取った女性は、また微笑みノートの切れ端を受け取った。


 「頑張ってね」


 「はい!」


 そうして、麗奈は次々に並んでいる客の注文を取っていった。自分の財布がいっぱいになると、キッチンカーに戻り注文と書いたノートを破り、宙に渡し、財布のお金を渡す。そしてすぐに、また行列の先にならぶ客に向かって走っていった。


 最後の客にクレープを渡した時、空は赤く焼けていた。

 麗奈はキッチンカーの向かいにある花壇の縁で、自分の鞄を膝に置いて座っていた。宙が客にお辞儀をして売り場の窓を閉めている。麗奈はバイトなどしたことがない。初めての心地よい疲労感が脱力した体に染みる。宙は、車の背部から降り、走って麗奈の目の前まで来ると、いきなり深々とお辞儀をした。


 「ありがとうございます。稲村さん! おかげさまで初めて完売することができました!」


 「おめでとう! そら……店長さんが昨日のお客さんに優しく接したからですよ」


 「いえいえ、それも偶然ですし、稲村さんが居なかったら、絶対乗り切れていませんでした。本当にありがとうございます」


 麗奈は、鞄から財布を取り出し二〇〇円を、宙に差し出した。


 「遅くなりました。昨日の分です」


 「え、受け取れませんよ。仕事手伝ってもらったのに」


 「ダメだよ。お金のことはしっかりしないと」


 麗奈は、いつもそう言われている母親の顔を思い出しつつ、立ち上がり、宙の掌に二〇〇円を入れて両手で包んだ。宙は顔を赤くして、俯く。その顔を見て、麗奈は急に恥ずかしくなり、すぐ手を引っ込める。

 また、十七時を知らせる『夕焼け小焼け』のメロディが、公園のスピーカーから鳴り始めた。


 「じゃあ、あの。かき集めればあと一枚くらい焼けるんです。お好きなクレープをお礼に焼かせて頂きます」


 「じゃあ、昨日と同じの」


 「え、いんですか? なんでも焼きますよ」


 「なんでもって、ほとんど売り切れじゃないですか。それに私あのシンプルなクレープが一番好きなんです」


 宙の顔が明るくなる。


 「わかります! 私もあのクレープが一番好きなんです。職人の腕が一番出ますよね」


 「そう! 本当に美味しかった、店長さんのクレープ。腕がいいてことかな?」


 「ははは、止めてください。それに私は店長じゃありません。ただここに派遣されているにすぎない、ただの新入社員です」


 宙は、キッチンカーの方に踵を返しながら笑った。麗奈も、宙についていく。


 「派遣て、運転してここまで来てるの?」


 「いえ、私はまだ車の免許は取れませんので通っています。この車は八月末日までここに置きっぱなしにして良いことになっているんです」


 なるほど、謎が一つ解けた。


 キッチンカーの背部から宙が乗り込むと、重さで車がグラグラ揺れる。麗奈は中を少し覗いてみる。売り場の窓の下には、焼き代の鉄板が備え付けてあり、その下にはコンパクトに冷蔵庫が収納してある。鉄板のサイドにはトッピングが沢山並んでおり、トッピングや生地のカスが沢山落ちており、激戦の跡を感じた。


 「宙……さんはどれくらい修行したんですか?」


 「ほぼ四カ月みっちり研修してました。正式な入社は四月でしたが、中学卒業が三月上旬から見に来ていいと社長に言われてましたから、三月中旬から先週までずっと。今回、この公園が初めて一人立ちさせていただく場所なんです」


 宙は鉄板にクレープの生地を鉄板に流し、焼き始める。


 「すごいなあ。私と同じ歳で、もうこんなに活躍してるなんて」


 麗奈は誉め言葉のつもりだったが、予想に反して宙の表情は曇った。


 「いえ、全然すごくないです。今日だって、稲村さんに手伝ってもらわなかったら、こなせなかった。一人前には程遠いです」


 話しながらも、宙は真剣にT字の道具で生地を伸ばす。

 すごい責任感。この人の仕事に対する真摯な態度は、いったいどこから来るんだろう。

 私に足りないものは、もしかしてこういう部分なのだろうか。

 麗奈は、拳に力を入れて握った。


 「あの、もし良かったら、取材させてもらえませんか?」


 「はい?」


 「実は私、小説家を目指しているんです」


 宙は、何も言わず、チラリと麗奈を見て、また視線を生地に戻す。


 「妄想するのは得意で、どんどん面白い設定は思いつくし、キャラクターだって動きまくっている。自分的には完璧に面白いって思っているのに、友人の評価は芳しくなく、この間なんてリアリティが無いっていわれました」


 宙は、ヘラで焼き上がった生地を剥がすと、素早くひっくり返した。


 「でも、宙さんを見ていると、自分に足りない視点をいくつも持っている気がするんです。ご迷惑はおかけしません。少し通ってお話聞かせてもらうわけにはいきませんか?」


 麗奈は、宙の目を見た。だが、人の顔を見すぎる癖のことを思い出してすぐ視線を外す。

 焼き上がった生地に生クリームを絞り、宙は出来上がったクレープをラッピングした。


 「出来上がりました。どうぞ」


宙は車から降りると、丁寧に両手を添えてクレープを渡そうとしている。麗奈は、その両手をついじっと見てしまう。


「これです。こういう丁寧さ。実直さが滲み出てる」


「いや、こういうのは研修で叩きこまれるんですよ。私の才能ってわけじゃないんですけど……。困ったな」


「これだけじゃないです。昨日のお客さんへの気持ちとか、なんて言うか、ちゃんと言葉に出来ないけど、私に足りないものを、あなたは持っている気がするんです」


宙は、赤面した。麗奈は、顔を見ないようにクレープを受け取りうつむいた。トッピングや生地で汚れた宙のズボンは、明らかに今日だけの染みではない。そして、それは宙が今、修行中である事の証でもあると感じた。


「すみません。ご迷惑ですよね、忘れてください」


麗奈は、無理やり笑顔を作った。宙はしばらく麗奈の顔を見つめていたが、夕焼け空でカラスが鳴いた時、それを追うように空を見上げた。そして、頭を掻きながら車の入り口にある階段に座る。


「そっか。小説家も仕事ってことなのかなぁ。だとしたら……」


麗奈は、クレープに絞られた生クリームをじっと見ながら頷いた。焼きたてのバターの香りが、お腹の音を鳴らし、無性に恥ずかしくなる。


「あ、どうぞ食べてください」


「すみません。お言葉に甘えて」


 麗奈は、クレープをかじった。優しい甘さが口の中に広がる。つい顔がほころんでしまう。それを見ていたのか、宙は微笑んだ。麗奈は顔が熱くなる。


「す、すみません。見ないでください」


「ハハハ、すみません」


宙は、膝の上に腕を置くと、自分の手をじっと見る。


「ウチの会社って、社員は月に一回、新メニューの提案をしなければならないんです」


「新メニュー?」


「そうです。私はこの歳なのでまだまだ先の話ですが、最終的には車を買い取り自営業でやっていくシステムなんです。自分だけで仕事を始める前に、クレープ屋という仕事をしっかり教えてくれるんです。その過程で新メニュー開発能力は必須だと教えられています」


麗奈は、キッチンカーに貼られたメニューを見る。確かに王道の苺やチョコを使ったメニュー以外に、南国マンゴーや焼き芋トッピングなど、少し変わったメニューもある。


「なるほど」


「この間、私はこのクレープの生地なら、総菜系のトッピングも行けるんじゃないかと思って提案してみたんです。ハムとチーズとか、蒸し鶏サラダトッピングとか、トルティーヤ感覚で。実際作って美味しかったし、他のチェーン店でも出してる所はあるし、これはイケると自信をもっていました」


頭の中で想像しただけで、美味しそうとわかる。麗奈は大きく頷いた。でも、宙は苦い顔をして首を振った。


「ところが、それは即却下でした。というより社長は食べてもくれませんでした。なぜだかわかりますか?」


美味しいのに、食べてもくれない? 理不尽じゃない? 麗奈は勝手にマッチョでスキンヘッドで髭面の社長の胸倉を掴みビンタする想像をした。


「すみません、わかりません」


宙は、麗奈の目を見てきた。


「ウチに、これを食べにくるお客様はいない。それが答えです」


食べにくる客? 麗奈はなぜか詩織と陸斗の顔が浮かんでくる。


 「つまり、ここはクレープ屋。お客様は一時の甘さと安らぎを求めてやってくる。栄養や食事をしにくる場所ではない。お客様の求める甘くて幸せになれる最高のクレープを作っていくのが、王道の仕事なんだ。ということです」


 麗奈の頭の中で、何かが光る。そして、宙の顔を見つめた。


「もっと言えば、ウチはキッチンカーの会社です。車に乗せられる食材の量は限られる。余計なものを作るより、メニューを集約した方が沢山のお客様の注文を受けられる。つまり能力の限界もあるんです。店舗とは違うということですね」


「それは、小説で言うなら自分が面白いモノを書くだけでは不十分で、読者が求めるものを書くべきで、それも自分の特性を活かせ。ということですか?」


 赤くなった宙の顔がズームアップされる。麗奈は自分でも気づかない間に、宙に近づいており、もう鼻と鼻がくっつきそうになっていた。麗奈は慌てて離れて咳払いをする。


 「さすが作家さんだ、頭がいいんですね。たぶんそうなのかな? 私はクレープ屋さんですので、そのまま先ほどの話で続けるなら、あなたが昔のままの方法で小説を書くとするなら、誰も食べたこともない動物のハムとか、どこかの国の高級なチーズを惜しみなく使って提供したら、みんな食べてみたいってことになって、もしかしたら売れるかもしれない。でもそれはもはや、クレープ屋さんと言えるのか。そんな感じです」


 昔のまま? 麗奈は、宙の言葉に違和感を感じた。

 

 宙は、不意に立ち上がり自分のお尻の埃をはたく。背の高い宙を麗奈は見上げた。


 胸板、厚いんだ……。汗の匂いとバターの香りが入り混じる。麗奈は急に宙を『男』と感じた。


「どれだけお客様の事を考える。たぶん、お金を頂くって、そういうことなんだと思います」


 宙は、はにかみながら白い歯を見せる。

 フワリと、胸が軽くなる。麗奈は、身体の中に分泌された何かを感じた。鼓動が速くなったような気するし、宙の顔を、いつまでも見ていたい気分になっている自分に気付く。


 これ、まさか……。


 宙は車内に戻ると、片付けを始める。見過ぎちゃいけない。そう思いながらも麗奈は、宙の動きをじっと見つめてしまう。


 そんなハズない。私に限って、そんなことが起こるわけがない。


 付近でチョコレートソースや苺ソースの入れ物などを拭きながら、宙は顔を赤くしたまま、恥ずかしそうに言った。


 「あ、あの、そんなに見たいなら、中に入ってみますか?」


 「あ、ご、ごご、ごめんんさい! 私、今日は帰ります! また来ます!」


 「はい、またお待ちしています。ありがとうございました」


 麗奈は目をつぶって踵を返して歩きだした。鼓動が止まらない。宙の顔が目蓋に焼き付いて離れない。


 ウソだ、ウソだ! でも、これ絶対……。 


 すぐに立ち止るとゆっくりと振り返り、薄目でチラリと宙を見る。真剣に掃除をする宙は、もう作業に集中していた。その姿で、麗奈は心が軽くなったような感覚に陥り、同時に顔面に血が集中しているのを感じた。


 これたぶん、オキシトシンってヤツだよね? これってたぶん。


 宙から、目が離せない。見ているだけで全身に幸福感に包まれる。


 これってたぶん、『好き』ってやつだ!


 麗奈は、また後ろを向き、公園の出口に向かい石畳を踏み出す。持っていたクレープを頬張った。だが味を堪能しているどころではなかった。


 なんてこった。


 明日もしっかり晴れて、暑くなりそうな奇麗な赤のグラデーションの夕空に大きな雲が流れる。麗奈はまた立ち止って、もうシルエットに見えるキッチンカーを見る。

 

私は、宙を好きになってしまった。

 

 


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