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人魚

作者: 桂螢

四十路に突入した今でも、二十年以上前の初恋を、恐ろしいくらいに鮮明に覚えている。他の同級生や教師の顔は、気の毒なくらいピンボケなのに。


高校時代の一時期、不登校になりかけた。この国の頭が硬い学校という組織に馴染めず、嫌になったのだ。両親は年老いた現在でも、息子は扱いづらく、考えが理解できないと言っている。まるで停電した地下鉄のような、暗闇にそびえる迷宮の突破口をなかなか探し出せずにさまよっていた。社会人になった今でも、そんな心境に陥る瞬間は頻繁だが。


そんなみじめで多感だった十代の頃、心が震え、胸がときめく出逢いが、天から銀花のごとく舞い降りてきた。掃除のアルバイト先で、二時間ほど一緒に働く、無口で無愛想で、女子高生にしては渋い存在の少女だった。


俺は、彼女とはろくに腹を割って話しなどしたことは、一度もなかった。それでも、「普通の女子高生じゃない」雰囲気の彼女に、恋焦がれてしまった。


担任の教師が、俺を安否確認するために、うちへ家庭訪問をした際、たまたま見せてもらったクラスメイトの名簿に、彼女の名前を見つけた。内心仰天した。


翌日から、俺は勇気を出して、学校に通うようになった。生真面目な彼女にならい、一日も休まず登校した。暗記を推奨する授業はひどくつまらないし、価値観が合致した生徒など皆無だった。それでも彼女に逢いたかった。


彼女は本の虫の強者でもあった。群れることを好まず、三年間帰宅部で、学校内では図書室が唯一の居場所のようだった。高校生にして、夏目漱石や芥川龍之介に太宰治、三島由紀夫などといった、いにしえの文豪に共感できる点が多々あると言い切っていた。元々活字がさほど好きではなかった俺に、彼女は様々なジャンルの本を勧めてくれた。おそらく、彼女に最もよく似合う本は、池田晶子さん著『14歳からの哲学』と、イギリスの文豪ヴァージニア・ウルフを主人公にした『めぐりあう時間たち』ではないかと、俺はなんとなく勝手に想像している。彼女のお陰で、彼女同様俺も本が友になり、本と「無言の会話」をすることが、生き甲斐になった。


彼女には入学したい県外の大学があり、受験勉強に鋭意励んでいたが、合格できず、エイプリルフールの日に、海に飛び込み、亡くなった。人魚にならずに、長生きして欲しかった。


高校時代の担任の教師からうかがった話では、彼女は家族や地元とたもとを分かちたかったらしい。文学や哲学のみならず、仏教も学び極めたかったが、将来をめぐって、新興宗教にどっぷりつかる親族と言い争いが絶えなかったという。「自殺する奴なんて頭がおかしい」なんて、血の通っていないバカな言葉をのたまう同級生も、何人かいた。


彼女に真剣に恋焦がれなければ、俺は高校を卒業することはできなかったし、文学を生き甲斐にすることもできなかった。文学のお陰で、様々な人間の生き方を知り、様々な人間の機微に触れ、認識する世界が夜更けを越えた朝日のように、何十倍にも広がった。真剣な片想いが、冴えないだけだった俺を成長させたのだ。風変わりだが、俺にふさわしい初恋だったと思っている。

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