あなたが旅に出るのなら、武器を捨ててお供します
(ああ、なんて麗しい……。今日もイリーノ様は、太陽よりも眩しい……癒されるぅ~)
──王都の訓練場。
第一騎士団が朝の鍛錬に励む中、キーゴの視線はただ一人、団長イリーノへ吸い寄せられていた。
銀の鎧が朝日で輝き、金髪は風を切るたびにしなやかに揺れる。剣を振る姿は――まさしく戦場の女神。
横で訓練していたアルベールが、呆れ顔で肘をつつく。
「おい、キーゴ。顔がゆるみすぎてるぞ」
「だって……団長が尊すぎて……」
キーゴは胸の内でそっとため息をつく。
彼の心には、忘れられない光景があった。
──十年前。
キーゴが飢えに負けてパン屋の裏口に忍び寄った瞬間。
「何をしている?」
振り返ると、鎧姿の少女――若き日のイリーノが立っていた。
「くっ……!」
逃げようとしたキーゴを、その鋭い声が止める。
「待ちなさい。盗みは罪よ」
沈黙を破ったのは、キーゴ自身の腹の音だった。
ぐうぅぅぅ……。
「ふふ……お腹が空いているのね」
「ち、違……!」
「いいの。来なさい。飢えた子を放っておくほど、私は冷たくないわ」
差し伸べられた手は、優しく温かかった。
食堂で飲んだスープの匂い。ちぎったパンの柔らかさ。
「大丈夫よ。誰も取らないわ」
その笑顔にキーゴの胸が高鳴る──それが彼の初恋。そして団長イリーノのそばにいられることが、何よりの幸せへと変わっていった。
(ムフフ……あれは二人だけの……ヒ・ミ・ツ♡)
現実に戻ると、イリーノ本人がいつの間にか目の前に立っていた。
「キーゴ。ぼんやりしていると怪我をするわよ?」
「は、はいっ! 団長のためなら腕が千切れようが足が千切れようが戦います!」
「千切れたら困るのよ……。ほら、真面目に」
呆れながらも、口元にはふっと柔らかい笑み。その一瞬で、キーゴの心臓は爆発しそうになる。
(ああああ~~~好き~~~~!!!)
今日も恋心を胸に、キーゴは剣を握った。
◇
──第二騎士団の詰所。
ランプの橙色の炎が揺れ、髭面の大男、第二騎士団長ジャゴールの影が壁に長く歪んでいた。
卓上には一枚の書類。
そこには、キーゴがダンジョンから持ち帰ったという、伝説級の魔剣――ザ・マーヴェリタスの情報が並んでいる。
ジャゴールは、その名を太い指でなぞりながら、喉の奥で低く笑った。
「……Sランクの魔剣か。孤児上がりの小僧が! 本来なら、これは俺の手にあるべき代物だ。いや……第一騎士団長として、俺が振るうべき力だろう」
憎悪を含んだ声に、ランプの炎が揺らめく。
「イリーノめ……女の身でありながら第一騎士団長だと? ――笑わせる」
分厚い掌が木机をぎしりと軋ませた。
「俺がどれだけ実戦で血を流してきたと思っている。女に道を塞がれたまま、下の席で燻るつもりはない」
ジャゴールの視線が横へ移る。
壁にもたれた男は、薄汚れたローブをまとい、フードの奥から覗く口元をにやりと歪めた。第二騎士団の“裏仕事”を請け負う人物である。
「……分かっているな?」
問いに、男は無言で頷く。
たしかな悪意だけが、その目に宿っていた。
ジャゴールは口角をゆっくり吊り上げる。
獣のようなその笑みを、炎が妖しく照らした。
「さあ、行け」
部下は影のように姿を消す。
残されたジャゴールは椅子にもたれ、重々しい笑い声を響かせた。
◇
王都の東に広がる森に、突如としてモンスターの大群が出現した。第一騎士団は急ぎ討伐へと向かった。
──東の森。
「囲まれた……!?」
キーゴは仲間とはぐれ、四方を狼型の魔物に包囲されていた。魔物たちが牙をむきながら迫る。
だが、キーゴの意識は目の前の敵にはなかった。
(団長は……どこだ!?)
キーゴは魔剣ザ・マーヴェリタスを水平に構え、その場で一回転する。
「おらぁぁぁ!!」
放たれた斬撃は凄まじい遠心力をまとい、周囲の魔物をすべて両断した。
キーゴは剣を握り直し、森の奥へ走り出す。
「団長――!!」
──森の奥。
イリーノは二名の騎士団員を率いて、モンスターの掃討を進めていた。
「二人とも焦らず! 一体ずつ確実に仕留めて!」
『……はい』
『……了解しました』
(やはり……二人の様子がおかしい)
返答はするが、視線が虚ろで、生気がない。命令だけを待つ、人形のようだった。
そのとき、木陰に小柄な少年が蹲っているのが見えた。
「……あなた、大丈夫?」
剣を納めつつも警戒は解かず、慎重に近づく。
背後で二名の騎士団員は黙ったまま、微動だにしなかった。
風が森を抜けた瞬間――少年の怯えた表情が、にたりと歪む。
「……今だよ」
「え?」
振り向いたイリーノへ、二人が一斉に襲いかかる。
ガキィィンッ!
鋭い金属音が森に響く。イリーノは反射的に剣を抜き、攻撃を受け止めていた。
「一体……何のつもり!?」
生気のない瞳のまま、二人は同時に呟いた。
『イリーノ。お前には――退場してもらう』
『お前は邪魔者だ』
「あなたたち……!」
剣戟が激しく始まる。
イリーノは受け流し、逆に踏み込む。二対一の不利をものともせず、互角以上の攻防が続く。
やがてイリーノは一人を蹴り倒し、もう一人の喉元へ剣先を突きつける。
「私に刃を向けた以上……覚悟はできているのでしょうね」
だが――その刹那。
ざくり、と背中に焼けるような痛みが走る。
「っ……!」
膝が沈み、視界が揺れる。
振り向くと、先ほどの少年が血に濡れた短剣を手にしていた。
「いい顔だね、イリーノ団長」
(こ……こんなところで……。だ、誰か……キ、キーゴ……助けて……)
呼吸が乱れ、地面に倒れこむ。
「団長ぉぉぉーーーッ!!」
木々をなぎ倒すほどの勢いで、キーゴが飛び込んでくる。
(キ……キーゴ……)
その姿を認識した瞬間、イリーノの意識は闇に落ちた。
少年は舌打ちをし、険しい目を向ける。
「魔剣持ちか……まあいい。ここで倒して、その剣もいただく」
少年は倒れた二名の騎士団員を操り、キーゴへ差し向けた。
「仲間だった者を……斬れるはずがない!」
だがキーゴは迷わなかった。
「仲間? イリーノ様を傷つける者は――全員、敵だ!」
踏み込み、剣が閃く。二人は一瞬で沈んだ。
「な、何だと……!」
少年の驚愕が終わるより早く、キーゴの剣閃が走った。
血飛沫が舞う。
「お前は何者だ!?」
「俺は第二騎士団のドミンゴ。“裏の仕事”を引き受けている者だ」
「そうか……やはり……」
ドスッ。
鈍い音と共に、少年の身体が地へ沈む。
その輪郭が揺らぎ、やがて少年の姿は大人の男へと変わっていった。
キーゴはイリーノへ駆け寄り、冷え始めた身体を抱きしめた。
「団長……団長! しっかりしてください!」
背中の傷口を押さえ、必死に呼びかける。
「お願いです……目を開けてください。団長……!」
その声は、震えていた。
◇
「イリーノ団長は仲間を置き去りにして逃げた」
「背中の傷も、逃げるときに負った」
王都では、そんな悪意ある噂が広がり始めていた。
──第一騎士団の医務室。
重苦しい空気が漂う。
白い寝台の上、イリーノは横たわり、荒い息を吐いている。
背中には深い切り傷。その痛みよりも、胸の奥の痛みのほうがずっと重かった。
「……私がもっと早く気付いていれば……。余計な……」
絞り出すような声。
ベッドの脇に座るキーゴは、拳を強く握った。
「……あれは、団長のせいじゃない。ジャゴールの陰謀だったんだ」
イリーノは頭を振ろうとして、痛みに眉を歪める。
「私は……仲間を二人、守れなかった……! 私が、第一騎士団長なのに……!」
彼女の声は震えていた。
森の奥から運び出された二人の亡骸。彼らは、ドミンゴによって殺され操られていたのだ。
キーゴは怒りを抑えきれず、立ち上がった。
──王城の謁見室。
ジャゴールが膝をつき、王に深々と頭を下げていた。
「陛下。哀しいことですが……イリーノ殿は、今回の件で立ち直れぬほど落ち込んでおられます」
王は眉をひそめる。
「……重傷と聞いているが」
「背の傷だけでなく、心の傷も深いようでして。団員の命を守れなかった自責に耐えきれず……まともに指揮ができる状態ではありません」
ジャゴールの声は、実に沈痛な響きを装っていた。
「これ以上、第一騎士団を混乱させぬためにも、代わりの者を」
王の目が揺れる。
「お前が務めたい……と?」
「はっ。私めが、第一騎士団長の座を引き受ける覚悟でございます」
王が答えようとした、そのとき――
謁見室の扉が勢いよく開かれた。
「陛下ッ!! お待ちください!!」
息を切らし、キーゴが飛び込んできた。
「何事だ?」
王が問いただすと、キーゴはジャゴールを真っ直ぐに睨んだ。
「ジャゴール! よくも団長を!!」
ジャゴールは鼻で笑った。
「言い掛かりはよせ。王の御前で無礼な口を──」
「黙れッ!!」
キーゴの怒りが爆発する。
「ジャゴール……あんたに決闘を申し込む!!」
「……決闘だと?」
ジャゴールは、しばしキーゴを睨みつけ―─ゆっくりと、獰猛な笑みを浮かべた。
「……面白い。受けてやるさ。だが、俺が勝ったら、お前の魔剣をいただく」
「ああ、あんたに負けるくらいなら、くれてやる!」
キーゴがそう言うと、王が立ち上がり、声をあげた。
「二人とも、ここは王城だ! 軽々しく決闘など――」
だが、二人の視線は鋭くぶつかり合ったまま、微動だにしなかった。
◇
一週間の準備期間が過ぎ、王立闘技場には大きなどよめきが満ちていた。
特設観覧席には王と側近たちが並び、周囲の席は騎士や市民でぎっしりと埋まっている。
今日の御前試合は、王宮騎士同士による正式な決闘。
そして勝者は――ザ・マーヴェリタスを手に入れ、第一騎士団長の座に限りなく近づく。
砂地の中央で対峙するのは、ジャゴールとキーゴ。
開始の合図が告げられ、闘技場の空気がぴんと張り詰めた。
だがキーゴは、戦いに集中できていなかった。
「……いない」
観客席を見渡し、眉を寄せる。
昨日、弱々しい笑みを浮かべながら「応援に行くから」と言っていたイリーノ――その姿が、どこにもない。
胸の奥がざわついた。
(まさか……?)
その一瞬の隙を、ジャゴールは逃さない。
「どこ見てやがるッ!!」
咆哮とともに、大剣が閃光を描いて振り下ろされる。
観客席から悲鳴が上がった。
だが――
ドガッ!!
次に吹き飛んだのは、ジャゴールのほうだった。
キーゴの拳が鳩尾へ深くめり込み、巨体は空中で半回転し、砂上へ激しく叩きつけられる。
闘技場が一瞬で静まり返る。
舞い上がる砂埃の中で、ジャゴールは白目を剥き、ぴくりとも動かない。
審判が駆け寄り、震える声で叫ぶ。
「し、試合続行不能!! 勝者キーゴ!!」
歓声も、悲鳴もなかった。
あまりにも一瞬で、観衆が現実を理解できていなかったのだ。
「では、帰ります」
キーゴは王に一礼し、淡々と歩き出す。
係員からザ・マーヴェリタスを受け取っても、視線は遠くのまま。
もはや頭の中には、たった一つの思いしかなかった。
(団長……どこに……!)
胸の奥に痛みを感じる。
闘技場を出たところで、アルベールが息を切らして駆け寄ってきた。
「キーゴ! これ……団長から預かってた!」
差し出された手紙を開く。
『キーゴへ
私は、何もかも捨てて旅に出る。
第一騎士団をよろしく頼む。
イリーノより』
読み終えると同時に、キーゴはザ・マーヴェリタスをアルベールへ差し出した。
「アルベール……これを任せたい」
「い、いいのか……?」
「ああ。俺にはもう必要ない。第一騎士団を頼む。この剣で――国を守ってくれ」
「……わかった! お前も……団長を頼んだぞ!」
その一言に、キーゴは笑みを浮かべる。
そして地を蹴り、全速力で駆け出した。
(俺が守るべきものは――)
胸の内に、熱く、はっきりと形を持って宿る。
団長としての彼女ではない。
――一人の女性としてのイリーノだった。
強い決意と共に、キーゴは王都の門へ向かって一直線に走り続けた。
◇
歩みを止め、旅装の胸元を押さえた。
胸の奥には、まだ消えきらない熱がある。あの日──駆けつけてきたキーゴを見た瞬間に燃え上がった炎。
「……騎士に、恋愛など必要ない」
ずっとそう思ってきたし、思い込もうとしてきた。
第一騎士団長として、誰よりも強く、誇り高くあらねばならないと。
けれど、死を覚悟したあのとき──
朦朧とする意識の中で、会いたいと願ったのは──あなただった。
弟を見るような、守るべき存在を見るような、そんな感情ではない。
もっと、苦しくて。
もっと、温かいものだった。
私は後悔した。
こんな気持ちがあるから、団員たちを守れなかった──そう自分を責めた。
だから私は旅に出ると決めた。
距離を置けば、この想いも静かに沈んでいくはずだと。
──そう、思っていたのに。
「イリーノ団長!!」
遠く離れたはずの王都の方角から、荒い息遣いが近づいてくる。
振り返った私は、息をのんだ。
そこにキーゴがいた。
肩を上下させ、全力で走ってきたことがわかる。
「ど……どうして……?」
声が震えた。
胸に押し込めていた感情が、いまにもこぼれ落ちそうだった。
キーゴは駆け寄り、息を整える間も惜しむように、まっすぐ言った。
「俺も行きます。これからは……騎士団員としてじゃなく、一人の男として。あなたを支えたいんです。あなたが……あなたが好きだから!」
その瞬間、せき止めていた想いが溢れだす。
どうして追いかけてくるの。
どうしてそんな顔で、そんな声で言うの。
離れたかったはずなのに……本当は、誰よりも一緒にいたかった。
考えるより先に、身体が動いていた。
──気づけば私は、キーゴの胸に強く抱きついていた。
「……っ、キーゴ……」
嗚咽がこみ上げ、言葉が続かない。
キーゴは驚いたように息をのみ、それからそっと、私を抱き返してくれた。
「もう、無理をしないでください。あなたの弱いところも、強いところも……全部、俺に預けてほしい」
胸に押し当てた耳に、彼の鼓動が静かに響く。その規則正しいリズムに、私はようやく息を整えた。
私は、たくさんのものを失った。
でも、本当に大切なものを見つけることができた……。
◇
闘技場での決闘から一週間後。
謁見の間には静かな緊張が張り詰めていた。
王の前に跪くのは、臨時の第一騎士団長アルベールと、第二騎士団長ジャゴール。
「先日の御前試合では、キーゴの卑劣な計略に油断しました。しかし――」
ジャゴールは胸に手を当て、芝居がかった声を響かせた。
「私こそが第一騎士団長にふさわしいのです。この国のために、どれほど身を削ってきたか……陛下もご存知でしょう?」
「う、うむ……」
王が曖昧に頷いたとき、アルベールが一歩前へ進む。
「お言葉ですが陛下。ジャゴール殿は、部下を使ってイリーノ様を襲わせました。証人もおります」
「な……何だと?」
ジャゴールが目を見開く。
その横を、第一騎士団員たちが一人の男を連れて進み出た。
「こちらが、第二騎士団所属のドミンゴ。裏の任務を担当していた人物です」
「し、知らん! そんな男など知らん!!」
声を裏返し否定するジャゴールを無視し、アルベールは静かに問う。
「ドミンゴ。あなたは誰の指示で、イリーノ様を襲ったのですか?」
ドミンゴは怯えた目で周囲を見回し、唇を震わせた。
「……ジャゴール様です」
言い終えた瞬間、彼自身がハッと口を塞いだ。
「で、出鱈目だ!! 俺は何もしていない!」
ジャゴールは怒声をあげるが、アルベールはため息をつき、腰の剣に手を添えた。
「そうですか……では、実力行使といきましょう」
ザ・マーヴェリタスが鞘から抜き放たれ、銀光が走る。
「ま、待て! 王の御前だぞ!?」
叫ぶジャゴールへ、アルベールの剣が腕を浅く裂いた。
血飛沫が舞う。
「き、貴様……! 何を――ぐっ!?」
「ザ・マーヴェリタスの効果は――」
アルベールは冷ややかに告げた。
「斬られた者が、真実のみを答えるようになること」
「なっ……!」
ジャゴールの顔から血の気が引く。
「さて。もう一度伺います。イリーノ様を襲わせたのは誰ですか?」
「お……俺だ! 俺がドミンゴを使って……イリーノを襲わせたんだ!!」
叫んだ直後に、ジャゴールは自らの口を両手で押さえた。
「い、今のは違う……違うのです、陛下! 私は、私は――!」
「では、なぜ、イリーノ様を襲わせたのですか?」
「あわよくば、イリーノの命を奪い、俺が第一騎士団長になるためだ!!」
ジャゴールは、ハッとして口を押さえる。
「引っ捕らえよ!」
王が手を振り下ろすと、衛兵たちが一斉にジャゴールへ飛びかかった。
「ち、違うんだ! これは罠だ! 俺は悪くない!!」
必死の抵抗も虚しく、ジャゴールはそのまま牢へと連れて行かれた。
こうして――
ジャゴールは投獄され、正式に第一騎士団長にはアルベールが任命された。
──その日。
オレンジ色に染まる空を見上げ、アルベールは静かに呟いた。
「……俺は、約束を守っているぞ! キーゴ、団長を守れ! 必ず──幸せにしろよ」
最後までお読みいただきありがとうございます。
お気づきかもしれませんが、『ザ・マーヴェリタス』は、『ザマー』と『ヴェリタス(真実)』をつなげました。
誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。




