天才魔導師は、感情を知らぬ王女に囚われる
本当は、殺すつもりだった。
――”王族は全員殺せ”、そう命令された。
夜空を溶かしたような濃紺に金眼の青年は立ち尽くす。
目の前に佇む桃色の髪の幼い少女を見た瞬間、言葉を失ったからだ。
彼女の不憫な状況に本人自身が不幸を自覚していない。
小さな肩に重そうな布を羽織り、ぼんやりとこちらを見上げるその瞳。恐怖も怒りも、笑顔も悲しみも、何も宿っていない。
(あまりにも、あまりにも――可哀想すぎる)
胸が苦しくなる。
俺には……殺すことはできなかった。
***
王国では人々の不満が積もりに積もっていた。
度重なる増税、浪費を繰り返す王族たち。流行病や災害が起きても、民から金を吸い上げるばかりで何もしない。
当然のように、不満はやがて怒りへと変わる。人々が団結するまで、そう時間はかからなかった。
俺は十五歳。最年少ながらも魔法の才を買われ、クーデターに参戦することになった。
「王国随一の天才魔導師ルーク」──そう呼ばれている。大げさではない、と自負している。
そして迎えた決起の日。
俺は、迷いなく王と王妃に手をかけた。
「こ、この……悪魔め……!」
王の最後の叫びが虚しく響く。
(悪魔だと? どっちがだ)
これまで民を苦しめてきたのは、お前たち王族だ。
魔力を宿した剣を振り下ろすと、王はあっけなく沈んだ。
──ザシュッ。
権力も血筋も、力の前では塵に等しい。
(さて……これで全員、か?)
いや、まだだ。
もうひとり、幼い王女がいるはずだった。贅沢三昧に育ったと聞く。ならば同情の余地はない。
そう思って城を探し回り、たどり着いたのは本館から離れた小さな建物。
白亜の城とは似ても似つかない、時の流れから切り離されたような、簡素すぎる離れ。
(……こんな場所に、本当に王族が?)
半信半疑のまま中へ足を踏み入れる。
そこにいたのは、一人の少女だった。
透き通るような桃色の髪。机に座り、本を開いている。
部屋にあるのは机とベッド、それから本棚だけ。護衛も侍女もいない。必要最低限の、殺風景な空間。
(……これが王女? いや、使用人の子か?)
外からは、城のあちこちで戦いの声や爆発音が響ているはずだった。
だが、少女はページをめくる指先だけがわずかに動く。
肩も呼吸も変わらず、窓の外の騒動など耳に届かないかのようだった。
(この状況が、わかっていないのか......?)
そして少女が顔を上げた瞬間、俺は確信する。
碧眼だった──それは王家の証を意味する。
「あなたは……王女様ですね?」
「……? んー、そうみたい。多分」
「……は?」
言葉を失った。
“そうみたい”だと? 王女が、自分の身分をそんな曖昧に答えるものか。
「ここで生活しているのですか?」
「うん」
「……ひとりで?」
「うん。でも、ごはんと着替えは手伝ってもらえるよ」
まるで当たり前のことのように、淡々と告げる。
胸が締め付けられ、思わず踏み込んだことを聞いてしまった。
「……こんな生活は、辛くはないのですか?」
「……? つらいってなに?」
「たとえば……寂しいとか、退屈だとか」
「さみしい? たいくつ?」
首を傾げる仕草は幼いが、その無垢さが胸を抉る。
感情の言葉すら、この子は知らないのか。
「……誰かにそばにいてほしいとか。楽しいことがなくて苦しいとか……」
「うーん……わかんない! お兄ちゃん、むずかしいこと言うね」
そして、ぱっと顔を輝かせた。
「それよりもね、だれかとこんなに話したのはじめて! なんか胸が変なの! あったかい? ぽかぽか? ……これ、なに?」
「それは……」
喉が詰まる。
だが、必死に言葉を紡いだ。
「……“嬉しい”という気持ちだと思います」
「へぇ! これが“嬉しい”か! 本で読んでも、わかんなかったんだ。ありがとう、お兄ちゃん!」
無垢な笑み。
光の差さないこの場所で、初めて見せるような微笑み。
(……俺には、とても殺せない)
その瞬間、胸の奥が強く疼いた。
「ひとまず、ここは危険です。俺と一緒に行きますか?」
「そっかぁ、わかった!」
王女はこくんと頷く。
俺は王女を抱え、横抱きにする。
そして、魔法陣を描き──俺の住む家へと移動した。
「お兄ちゃんすごいね。これがワープ?」
「そうですよ」
「すごーい!えへへ。こんなの初めて!」
「あ、これが”嬉しい”だね?」
王女が明るく笑う横で、俺は後悔していた。
(連れてきてしまった……)
王女を殺せない俺は、このままだと誰かに殺されるのではないかと不安になり、つい家に連れてきてしまったのだ。
バレたらまずい。俺も、王女も。
とりあえず、クーデターは成功した。俺が途中で抜けたことくらいは許されるだろう。
だが、この状況は危険すぎる。
王女を……守らなければ。
***
こうして、俺は王女と隠れるように生活を始めた。
年齢は七歳、名前はリシェルというらしい。
調べてみると、彼女は妾の子であったことがわかった。
だからあのように冷遇されていたのだろう。
不幸か幸いか、本人にその自覚はまったくない。
(あいつらは、本当に……悪魔だな)
胸の奥に怒りが湧き上がる。
「ねぇ、ルーク!今日は魔法を見せてくれるっていったよね!」
「ああ、そうだな」
リシェルから「敬語はやめて」と言われ、今は自然に砕けた口調で話している。
まあ、もう王女ではないのだから、問題はない。
俺は手に力を込め、幻想的な光の蝶を作り出した。
キラキラと光る蝶たちは、部屋の中をふわふわと舞う。
「うわ〜、きれい!ありがとう、ルーク!」
「楽しんでもらえたか?」
「うん!これが“たのしい”なんだね!」
リシェルの笑顔は、眩しく、胸を締め付ける。
この笑顔を守りたい──自然と、そう思った。
***
ある日、俺は街に出かけた。
……リシェルに告げずに。
「寂しい」という感情を教えるためだ。
もちろん、ひとりにするのは危険だ。
だから家には魔法で結界を張り、状況は常に把握できるようにしている。
誰も襲うことはできないだろう。
用事は特になく、ただ時間の経過を確認するように街を歩き、家へ戻った。
ドアを開けると、リシェルが飛びついてきた。
「ルーク!!どこ行ってたの!!」
涙でぐすぐす鼻を啜る音が聞こえる。
「あのね、わたし……ルークがいないって気付いて、涙が止まらなかったの……」
「ごめん、リシェル。でも、それが“さみしい”ってことだ」
「ルークは“さみしい”を教えようとしたの?」
「うん……ごめん」
「もうイヤ!さみしいのイヤ!ずっと一緒にいて!!」
縋るような瞳で訴えられる。
──ぞくり。
その瞬間、心臓に電気が走ったような気がした。
(……まずい。こんな気持ち、芽生えちゃいけない……)
俺は、リシェルに縋られて、嬉しいと思っているのか……?
リシェルにとって俺は必要だ、と……。
俺の中に、仄暗い感情が生まれた瞬間だった。
***
それからのリシェルは、俺が少しでも離れることを嫌がるようになった。
「ルーク……今日もお仕事なの?」
「……ああ」
「働かないとご飯が食べられないんだもんね。私、ご飯は勝手に運ばれてくるものだと思ってたから……」
そう言って、寂しそうに微笑む。
「がんばってね。さみしいけど、待ってるよ」
胸が痛む。
──喜んではいけないのに。
日に日に募るリシェルの依存は、俺にとって毒のように甘い。
それも当然だろう。
彼女は今まで他人と関わることもなく、ただ食べ、眠り、本をめくるだけの毎日を送っていた。
比較するものがなければ、それを異常だとも思わない。
“当たり前”として受け入れてしまう。
だから、感情が育たなくて当然だ。
そんな中で現れたのが俺という存在。
感情を知ってしまった以上、彼女が縋るのは──俺しかいない。
「ああ、待っててくれ」
気づけば俺は、そっとリシェルを抱き寄せていた。
彼女は小さな手で俺の服をぎゅっと掴む。
……ああ、行きたくない。
本当は、リシェルの不幸を変えてやるべきなのに。
リシェルの世界は、あの閉ざされた世界に俺”という存在が増えただけ。
状況は何ひとつ変わってはいないのだ。
その事実から、俺は目を逸らした。
そして──その不幸の上に立ちながら、必要とされる喜びに酔っていた。
***
リシェルとの生活に慣れ始めた頃、彼女に小さな変化が生まれた。
「ねえねえ! 外ってどんな感じ?」
「本で読んだんだけど、お花がいっぱい咲いてたり、海があったりするんでしょ?」
瞳を輝かせて問いかけてくる。
――外に、興味を持ち始めたのだ。
けれどリシェルの存在が人々に知られれば、たちまち命が脅かされるだろう。
それほどまでに王族への憎悪は深い。
俺の魔法を使えば、姿を偽って外へ連れ出すこともできる。
……だが、本当は俺自身が怖いのだ。
彼女が外の世界を知り、俺以外のものに心を奪われたら。
もう、俺を必要としなくなるのではないかと。
それでも、このまま閉じ込めておくのは残酷すぎる。
罪悪感が喉を締めつける。
「リシェル……外に出てみたいか?」
思い切って尋ねると、彼女はしばらく黙って俺を見つめてきた。
息が詰まる。早く答えてくれ……俺の決心が揺らぐ前に。
けれど返ってきたのは、意外すぎる言葉だった。
「ううん、行かない」
「え……?」
「だって、ルーク……行ってほしくないって顔してる」
「……!」
目を見開く俺に、リシェルは小さく笑った。
「わたしにとっては外よりも、ルークが全部だから。興味なんてないよ。ね?」
――嘘だ。
本当は世界を知りたがっていることくらい、俺にはわかっている。
(この言葉に、喜んではいけないのに......)
リシェルの世界を狭めているのは俺だ。
間違っていると、頭では理解している。
……それでも。
俺はその言葉に甘えてしまう。
「……リシェル」
そっと彼女を抱きしめると、リシェルは安心したように身を委ねてきた。
「えへへ……あったかいね」
もう、手放せない。
俺は気づいてしまったのだ。
――この胸を締めつける感情の正体に。
それは愛なのか、それとも鎖なのか。
答えを出すのが、怖かった。
***
ある日、仕事から戻ると、いつものようにリシェルが飛びついてきた。
「ルーク! おかえりなさい!」
「ただいま、リシェル」
けれど、そこで彼女の動きが止まった。
ぎゅっと抱きついたまま、沈黙が落ちる。
――おかしい。
普段なら「今日はどんなことがあったの?」と、にこにこ問いかけてくるのに。
「……リシェル? どうした?」
小さな声が返ってきた。
「……きらいにならない?」
思わず内心で苦笑する。
嫌いになんてなるわけがない。俺がどれだけ彼女のことばかり考えているか、知りもしないくせに。
「なるものか。俺は、リシェルが大好きだよ」
自然に口からこぼれた言葉に、リシェルの抱きしめる力が少し強まる。
「わたしも……だいすき」
胸の奥が跳ねる。
わかっている。彼女のいう「好き」と、俺の抱える「好き」が違うことくらい。
けれど――その違いさえも愛しい。
「でも、今日のルーク……いつもと違う匂いがする」
不安げに顔を上げ、真っ直ぐ俺を見つめる。
「……だれ?」
その瞳に胸を締めつけられる。
今、不安を抱いているというのに――その姿を可愛いと、嬉しいと感じてしまう俺は、本当に最低だ。
「仕事でな、馴れ馴れしいやつがいて……抱きつかれただけだ。すぐに引き剥がしたよ」
「……ほんとうに?」
縋るような視線。唇が小さく震える。
「もちろんだ。リシェルがいちばん……いや、リシェルしかいない」
まっすぐに告げると、涙が止まったようだった。
「……よかった。ルーク、ずっといっしょ」
「ああ、もちろんだ」
そっと抱き寄せる。
不安も涙も愛しさに変わってゆく、なんて幸福な時間だろう。
***
あれから、もう7年が経った。
何度も手放そうとしたのに、結局——俺はリシェルを愛してしまった。
彼女の依存はいつしか俺の生きる理由となり、俺自身もその鎖から逃れられなくなった。
「ルーク、だいすき」
いつものように、リシェルは甘えるように身を寄せ、俺の胸に顔を埋める。
息が混ざり合い、温もりが肌に伝わる。
俺はそっと唇を重ねた。
彼女の唇は小さく、柔らかく、甘く——
その一瞬で、胸の奥まで電流が走るようだった。
「……ん」
吐息が混じり、彼女の指先が俺の服をぎゅっと掴む。
その小さな仕草ひとつさえ、もう俺を離さない。
俺とリシェルは、もう引き返すことのできない関係になっていた。
リシェルの世界は結局閉ざされたまま。俺しかいない。
......最低なのはわかっている。
彼女も外に出たがる様子はない。
それでも「幸せだ」と言い切る。
「ルークと、ずっとこうしていたいの……」
その声は甘くて、苦しくて。
縛っているのは、縛られているのは、どちらなのだろうか。
けれど、確かなことは一つだけある。
俺たちは今——幸せだ。
「リシェル。ずっと一緒だ」
「絶対にだよ?もう、ルークがいないと死んじゃう」
「......愛してる」
「わたしも......っ」
深く、深く口づけあう。
(......ああ、甘い)
俺の世界もリシェルだけになっていた。
唇が触れ合うたび、肌が触れ合うたび、
甘さと焦れったさが入り混じる。
胸の奥まで満たされ、けれど同時に息苦しい。
彼女の指先はまるで鎖のように俺を縛る。
離れられない。いや、離れるつもりももうない。
ずっとこのまま、ふたりで同じ世界に閉じ込められたままで。
互いの温もりに酔いしれていたい。
それがどんなに幸せなことだろう。
今日も世界は――甘く、綺麗だ。
需要があれば長編書くかも。
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