狂犬と呼ばれた少年
中学一年の春。僕は合成獣に出会った。
それは僕にとって、初めて見た暴力のもう一つの形だった。
入学式から一週間足らずと経たない、と或る日の放課後、と言ってもまだSHRの時間。始まりを告げたのは遠い声。
「――――――ッ、―――!」
何を言っているのか、なんてよくわからない。ただ、喚いているのだと感じた。教壇の教師と、椅子に座っていたクラスメイトにも聞こえたらしく。声の主を探してざわめく。
「お前らー、もう少しだから話を聞け」
大き目の声で関心を戻そうとする教師。しかし、「――――――ッ!」またも何処かからの声に邪魔される。ざわめくクラスの中の誰かがその意味を聞き取った。
「サギノツクモッ!このオレ様と一対一で勝負しろ!」
果し合いのようだった。そして、声は校舎に面するグラウンドから聞こえてきていた。そうすると窓際に生徒たちが振り向くのは当然の事だった。勿論、僕も一度は外を切り取る窓を眺め見た。
「・・・何処の馬鹿だ、まったく。お前らも外なんか見てないで俺の話を聞け。ほらほら、もうちょっとだから」
手を叩いて注目を集めようとする教師。それでも生徒たちの視線は戻らない。大きく溜息を溢す教師は、諦めたように自身も確かめようとして窓際から眺めた。
そこに居たのは僕らとは違う制服に身を包んだ子供の姿だった。制服の上着を手に持ち肩から後ろに垂らして、その背は遠目にも高いとは言えない。それでも喧嘩を求めるだけあって、その二本の足で仁王立ち。
「てめぇ、何処の中学のヤツだ、オラァーッ!!」
クラスが沸き立つ。その声が、今まで聞いていた声じゃなかったからだ。名前なんて知らない、或いは少年の標的。
校舎から飛び出して一直線に仁王立ちしている少年目掛けて校庭を疾走していく。三階にある僕らの教室からは顔すら見えない。
走りながら上着を脱ぎ捨てていく男と言っていい図体の上級生。それを迎える他校の生徒は仁王立ちを解いて、ファイティングポーズを取った。
ドパァンッ!、そんな音を会場に響かせてから、中学生の体が背後に倒れ込んでいった。
しぃん、と教室が音を失う。
倒れたのは僕と同じ制服に身を包んだ男の方だった。身長差を利用した相手の体の下に潜り込んでからの掬い上げるような拳。決め手は右手のアッパーだった。
「いよっしゃーぁっ!サギノツクモ、討ち取ったりぃ!」
突き上げた拳のまま、勝利の雄叫びを少年があげた。びりびり、と窓越しに教室の中にまで響いた。少年は更にぴょんぴょん、と跳ねたりしながら歓喜の声。足元に倒れた男は起き上がる様子は見せなかった。
ゆっくりと教室が音を取り戻す。そして、窓枠に生徒たちが殺到すると共にがやがやと騒々しくなった。
「あー、お前ら、とにかく、座れー、席を立つな・・・はぁ」
教師が何度か注意してから諦めるように溜息を吐いた。
そんな教師も眺める視界で、また何人かが少年に駆け寄る。今度は三人同時。「止める教師はいないのか・・・」と教師が呟いた。
「へ、へへっ」
少年は口元に笑みを作った。その少年を三人は円の形で囲む。けれど、いきなり少年が飛ぶように走り、円の一人目に近寄った。
慌てて残りの二人が背後から攻撃を加えようとするが、一人目は防御する暇もなくその頭に飛び膝蹴りが突き刺さっていた。崩れる体よりも早く、少年は残りの二人に向き直った。陣形は簡単に崩れた。
「同時にいくぞ」と呟いたかはともかく、一瞬怯んで足の止まっていた残りの二人が同時に少年に向かった。左右同時。小さい体躯の少年を捕まえようとするかのような構えによる突進。或いは一発くらいなら貰ってでも倒すぞという考え無しの特攻。
「「なっ!?」」
しかし、二人の驚愕は重なった。或いは一人が潰れても止まる筈の無かった二人が急ブレーキを掛けた。
「甘ェッ!」
少年は背を丸めていた二人の頭上を越えていた。そして、急ブレーキを掛けた一人の頭を踏んで更に跳躍。「おぉっ」とクラスで歓声があがった。或いは校舎中であがった。遠く小さな人影が校庭の宙を舞う。
ズザァッ、と頭を踏まれた方の男が頭から地面に転ぶ。
「くそっ!」
少年の着地と、一人残った男が振り向くのは同時だった。着地と同時に地面を蹴る少年、振り向くので精一杯で構える事さえ出来なかった男の差は歴然だった。
二人が交差する。いや、少年が一方的に交差しようとする。
「貴様らッ!、喧嘩はやめるんだっ!」
掛かる声は指導担当教師のものだと想像に容易い。けれど、そんなのはお構いなしと少年の拳が男の左頬に突き刺さった。斜め下からの右ストレート。衝撃に、男の体は右側に倒れていく。
「貴様ァ!やめろと言っているだろうが!!」
教師の怒声の中、少年は突き刺した拳を頭上に振り上げて勝ち鬨をあげた。
「っしゃぁ!四連勝っ!」
その姿に、怒りが頂点に達したのか教師が一人近寄った。すぐ近くに男性教師が何人も付き添う。
「貴様っ、どこの中学だ!」
既視感。
ドパァンッ!少年の右アッパーが教師の顎に直撃した。
クラスメイトは皆、窓際に釘付けだった。教師だけは黒板横の壁に向かって俯き気味に溜息ばかり。その教師に話しかけた。
「先生、もう帰っていいですか?」
「・・・ん?」
「時間無いのでもう帰っていいですか?」
一応断ろうとしたのは新しい環境への不慣れさからだった。
「あ、いや、今はまだ待ちなさい。あれが落ち着くまでは、な?」
僕は不満を込めて教師を見上げた。
「ちゃんと避けて帰りますから問題ないです。」
「・・・まぁ、そうなんだが」
「さようなら」
煮え切らない教師にそれだけ告げて、僕は帰る事にした。そんな僕の態度に、教師が少し慌てた様子で背後から声を掛けてきた。
「く、くれぐれもグラウンドには近づくんじゃないぞ」
やっぱり、わざわざ手を出してまで止める気はないみたいだった。
時間は二時半を超えていた。適当に計算して暫く早歩きする事にして、僕は校舎の下駄箱を出た。
グラウンドとは反対方向の門から出る事に決めて、外を歩いた。
「次はお前かっ!!?」
背後であの少年の声がした。グラウンドからここまでは校舎一つ隔てているけれど、関係ないくらいの大声だった。
先ほどの光景を思い出して、妙な中学生だと思う。放課後始まって間もない時間の来訪と、教師見境なく暴力を振るうこと。
「待ちやがれっ!、いいや、今度はオレ様が直々に向かっていってやろうじゃねぇかっ!っしゃぁ!」
それと恵まれない体躯の割りに明らかに喧嘩慣れしていたこと。
「なんにしろ、自分から喧嘩売るなんて何考えてるのかな」
「っしゃぁ!十勝っ、め?」
明らかに激突コースだったので、背後から奔ってきた生徒を避けた。その影は通り過ぎると同時に顔を振り向かせて、僕と視線が合った。先ほど、遠目とは言え校庭で見たような顔だった。
「はっ!」
ぎゅる、と足元の砂利を巻き上げながら急転回。そして、凶暴なまでの笑みを模って少年が僕に向かって体を走らせた。
これが十勝目なら、あれから更に四人倒したのかとか。何で校庭から出てきているのかとか。疑問が頭の中を過ぎっていく。
それとは関係無しに現実は進行する。少年は僕の視界から消えてしまうくらい低い位置に潜り込んで、その拳が僕の顎目掛けて繰り出されようとしていた。思考がトんだ。
見上げながら、少年は哂っていた。暴力なんて振るっている癖に、楽しそうに笑っていた。一点の曇りもないほど嬉しそうだった。
口元に笑みと血を貼り付けながら、少年は気を失っていた。
それが僕が出会った合成獣で、僕が初めて見た暴力のもう一つの形だった。
長期連載の前に裏設定を執筆してみました。短編の癖に全然完結してないのは気のせいじゃないです。
実は単なる息抜きに好きなジャンルを描いてみただけとも言えます。
最後に名前だけ一応載せておきます。
語り手:廻渚 少年:高徳院伽羅 少年の標的:鷺乃九十九
ここまで読んでくださってどうもありがとうございましたマル