アカデミア・ルミナリス
冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、僕は一歩、列車から降りた。
ここが―ルミナラ。ヴィレリアの首都。魔法と文明が交錯する世界の中心。
何百年という歴史を持つこの都市に、僕―キリヌス・アリオスは、ついに足を踏み入れたのだ。
駅舎を出た瞬間、目に飛び込んできたのは、言葉を失うほどの景色だった。
高くそびえる塔。広大な石畳の通りを行き交う無数の人々。空を滑る輸送艇。
そして、通りの至る所で使われる魔法ー日常の中に溶け込んだ奇跡たち。
「すごいや……」
思わず声が漏れた。
故郷の小さな村では、魔法は特別なものだった。祭りのときにしか使われないものだった。
けれど、ここでは違う。魔法は生活に根づき、息づき、誰もが当たり前のようにそれを使っている。
ーこの街で。
ーこの国で。
僕は、魔法を学ぶんだ。
この胸の高鳴りは、期待か、あるいは不安か。自分でもよくわからなかった。
駅前広場には、数十人の新入生たちが集まっていた。アカデミア・ルミナリス。
僕たちの目的地だ。世界最高峰の魔法学園。その校舎へ向かうため、専用の馬車が待っている。
制服に袖を通した仲間たちの顔は、それぞれに緊張と期待に彩られていた。
「新入生の方はこちらへー!」
学園の職員らしき女性が、旗を振りながら誘導している。
僕も列に並びながら、ふと周囲を見回す。
金色の髪、銀色の髪、赤みがかった茶髪。異国から来たのか、浅黒い肌の少年もいる。
年齢もまちまちだ。僕と同じくらいの十五、六歳が多いが、中にはもう少し幼い子供もいた。
目に映るすべてが、僕には新鮮だった。
「はい、列に沿って乗ってくださーい」
馬車に乗り込み、がたん、と揺れながら出発する。
車窓から眺めるルミナラの街は、どこまでも鮮やかで、どこまでも眩しかった。
馬車が進むにつれて、街並みは徐々に変わっていった。
雑踏と喧騒に満ちた駅前とは違い、石畳の道沿いに広がるのは、広大な緑地と歴史ある建物群。
古びた教会、魔道具専門店、露天市──そして、天空へ向かってそびえる、巨大な建築物。
それが、僕たちがこれから過ごす学び舎──
**《アカデミア・ルミナリス》**だった。
馬車を降りた新入生たちは、皆一様に圧倒されていた。
荘厳な石造りの門、幾何学模様の刻まれた塔、緻密なレリーフに彩られた回廊。
そのすべてが、ただの学校とは思えない威容を誇っていた。
僕もまた、言葉を失っていた。
(……これが、アカデミア……)
ここに、世界中から選び抜かれた少年少女が集まってくる。
ここで、僕は魔法を学び、自分自身を試すことになるのだ。
思わず拳を握りしめたそのとき、近くの少年たちの話し声が耳に入った。
「見たか? あれが中央塔だ。契約魔法の最高研究機関もあそこにあるらしいぞ」 「ってことは、教授たちも化け物クラスばっかりだな……」
興奮混じりの声。
不安と期待がないまぜになったその声は、僕の胸にもずしりと響いた。
導かれるままに進むと、校門の前には、制服に身を包んだ年長の生徒たちが待っていた。
その中心に立つ一人の青年が、僕たち新入生に向かって微笑む。
「よく来た、新入生諸君。今日からこのアカデミア・ルミナリスの一員だ」
朗々とした声が、緊張した空気を和らげた。
彼は、歓迎の辞とともに、学園生活の大まかな説明を始めた。
このアカデミアには、厳格な寮生活の規律があること。
魔法学、魔道具学、歴史学、物理学、言語学と、幅広い科目を学ぶこと。
そして──魔法を操る者としての、自覚と誇りを持て、ということ。
彼の話す言葉一つ一つが、まるで誓いのように僕たちの心に刻み込まれていった。
その後、僕たちはそれぞれ、寮の部屋割りを聞かされ、個別に案内された。
僕の寮室は、「北寮三階、301号室」。
案内書にそう書かれている。
大きなトランクを引きずりながら、石畳の階段を上がる。
廊下には、すでに引っ越しを終えた上級生たちの声が賑やかに響いていた。
(どんな人と同室になるんだろ……)
不安と期待を抱えながら、僕は震える手でドアノブを回した。
中にいたのは──
「……ああ、やっと来た。」
窓辺に座り、眠たそうに目をこする少年だった。
肩まで伸びた重たい金髪。灰色の瞳。
制服のネクタイは適当に緩められ、片足を机に引っ掛けるようにしている。
けれど、そのだらしなさの奥に、どこか只者ではない空気をまとっていた。
「俺、ヴァージル。ヴァージル=クラウズ」
彼は立ち上がり、手を差し出した。
僕も慌ててそれに応える。
「キリヌス・アリオス。よろしく」
握った彼の手は、驚くほどあたたかかった。
互いに軽く自己紹介を済ませた後、僕たちは荷解きを始めた。
部屋は思ったよりも広かった。石造りの壁に、木製のベッドと机が二つずつ。窓からは、遠くルミナラの街並みが見えた。
「ここ、いい部屋だね」
僕が感心してそう呟くと、ヴァージルは小さく笑った。
「そうだね。北寮はわりと新しい方らしい。暖房の魔道具も新品だって」
彼はベッドに寝転がると、ぼんやり天井を眺めながら続けた。
「……それより、すぐオリエンテーションだよ。 支度しといた方がいいんじゃない?」
「あ、そっか!」
僕は慌てて制服を整えた。
さっきまでの緊張は少しだけ和らぎ、代わりに、これから始まる"何か"への高揚感が胸を満たしていた。
講堂へ向かうと、すでに新入生たちが席に座り、ざわざわと話していた。
中央の演壇には、銀髪の老紳士が立っていた。
その背筋は真っすぐで、年齢を感じさせない鋭い眼差しを持っている。
──カシウス・ノルヴァン。
アカデミア・ルミナリスの現校長。
魔法理論の最高権威にして、数々の伝説を残した人物。
校長が壇上に立つと、自然と講堂は静まり返った。
「新入生諸君──」
低く、よく通る声が講堂に響く。
「ようこそ、アカデミア・ルミナリスへ。我々は、君たちを心から歓迎する」
言葉の一つ一つが、静かに、しかし確かに胸に響く。
「ここでは、魔法とは何かを学ぶだろう。
それは単なる力ではない。
世界を知り、己を知り、己を超える手段だ」
校長は手を広げた。まるで、この世界そのものを抱きしめるように。
「君たちには、固有の《天恵陣》が与えられている。
これは、君たちがこの世界に生まれた意味そのものだ。
そして、君たちの身体を包む《即身結界》。
それは、命を守る盾であり、魔法という奇跡を現実にする境界線だ」
僕はじっと耳を傾けた。
魔法とは、生まれついての力。
そして、学び、鍛え、高めるもの。
講堂にいる全員が、同じように静かに聴き入っている。
「──だが、忘れるな」
校長の声が、ぐっと低くなる。
「魔法は、万能ではない。
力に溺れれば、人は簡単に破滅する。
謙虚であれ。賢明であれ。
そして、己が力を、己の誇りを、守り抜け」
静かながら、力強い宣言だった。
それが、この学園での誓いだった。
オリエンテーションの後、僕たちは自由行動を許された。
講堂を出た後も、誰もすぐに話し出そうとしなかった。
みんな、校長の言葉の重みに圧倒されていたのだろう。
僕は、ヴァージルと並んで歩きながら、小さな声で言った。
「……なんか、すごいとこ来ちゃったな」
「ふん」
ヴァージルはあくびをかみ殺しながら、肩をすくめた。
「退屈しなさそうだね」
その言葉に、僕はふっと笑った。
そうだ。怖がってばかりじゃ、ここで生きていけない。
何より、僕は──この世界で、もっともっと、強くなりたいのだ。
ふと、ヴァージルが立ち止まった。
「あ、キリヌス」
「ん?」
「君、魔法得意?」
唐突な問いに、僕は戸惑った。
けれど、嘘をつくわけにもいかない。
「……まだ、全然。
マナ操作は、ちょっとだけ得意かもしれないけど。
契約魔法は、うまくいったこと、ない」
そう答えると、ヴァージルは一瞬、驚いた顔をした。
だがすぐに、にやりと笑った。
「へぇ。そっか。
──まあ、ゆっくりがんばりなよ」
肩をぽん、と叩かれた。
不思議だった。
僕の弱さを聞いたはずなのに、彼はまったく失望した様子を見せなかった。
むしろ、期待するような、そんな顔をしていた。
(……変な奴)
けれど、なぜか心が軽くなったのも、事実だった。
夕暮れ。
寮の屋上から見たルミナラの街は、まるで宝石の海のように輝いていた。
僕は、風に吹かれながら、空を見上げた。
あの星空の向こうには、まだ誰も知らない世界が広がっている。
そこへ、僕は手を伸ばすんだ。
この学園で、仲間と共に。
数えきれない挑戦と、失敗と、成長の先に。
きっと、僕だけの「強さ」を見つけるために。
──この世界で、僕は、僕だけの道を歩く。
静かに、強く、心に誓った。