表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/30

恋は盲目

 私が用を足して公衆トイレから出て来ると、グリムさんは何故かニコニコしていた。


「どう、スッキリした?」

 

何という失礼極まりない言葉でしょう、人類史においてこれ以上の無神経でデリカシーに欠ける質問があったのでしょうか?


とても人間の発言とは思えません。今この男の脳天に弾丸を撃ち込んでやったらどれ程スッキリする事でしょう。


「じゃあ行こうか」

 

何が〈じゃあ〉なのかわかりませんが今、口を開くとこの人への罵倒が止まらなくなる恐れがあるのでここは発言を控えました。


「ここの様だね……」

 

公園から100m程歩きある家の前にたどり着く。


玄関先に【藤代】という表札があるのでここで間違いないのでしょうが想像していた家とは少し違うモノでした。


竹でできた垣根を通ると玄関の入り口は今時あまり見ない格子戸であり


その古めかしい入り口に警備会社のシールが貼ってある事にどこか違和感を覚えた。


外見を見る限り確かに大きな家ではあるが豪邸というより古臭い家だという印象を与える。


グリムさんが呼び鈴を押すと、中から一人の女性が出て来た。


「はい、どちら様でしょうか?」

 この人が【藤代泰山】の再婚相手、長谷川立花さんだろうか?


確かに綺麗な人である。長い髪を後ろで束ね物腰も柔らかく清楚な空気を漂わせている


いわゆる和風美人といった感じだ、とても43歳には見えない。


「私、【天塔探偵事務所】の天塔グリムと申します、こちらは私の助手で前島樹里


本日 は藤代五月さんからのご依頼で、〈葉月さんを探して欲しい〉と伺い手掛かりはないモノか?


とこちらにうかがった次第です。もしよければお話を聞かせてはいただけませんか?」

 

グリムさんは名刺を差し出し丁寧に挨拶と説明をする


この部分だけを切り取ればこの変人でさえ普通の常識人に見えるのだから人間の本質を見抜くというのがいかに難しいか

という事だろう。


編集動画に騙される人間がいても不思議ではないといういい例だ。


「そうですか、そういうことでしたらお上がりください、大したおもてなしは出来ませんが……」

 

長谷川立花さんは物静かな口調で私達を招き入れてくれた


その一つ一つの言動を見るだけでも、この人が非常に上品な人物であることがわかる。

 

中に入ると【藤代邸】は外見よりも更に古めかしい事に驚く。


芸術的というより生活感に溢れていて大豪邸というよりどちらかといえば田舎のおばあちゃんの家といった印象だ。


板張りの廊下は歩くだけでミシミシときしむ音が聞こえてくる、体重50kg未満の私が歩いただけでこれなのだ


巨漢力士が歩いたら床が抜けるのではないか?とさえ思えた。


「古い家で驚いたでしょう?ここは主人の生家なのですが主人がこの雰囲気が好きでなるべく変えたくないとの意向でこうなっております」


廊下を進んでいくと中庭に新しく建てられたと思われる小さな小屋が目に入って来た。


「あれは主人のアトリエです。風景画などを描くときは現地に出かけたりすることも多いのですが、基本的にはあそこで作品を描く事が多いですね」

 

おお~あれが【藤代泰山】のアトリエ⁉一度見せてもらいたいものです。

 

奥の広間に通されると布団に横たわる【藤代泰山】がいた


酸素吸入器を口に付け点滴をされていて意識も無いのか、我々が現れてもピクリとも動かなかった。


写真で見た本人とは違い今ではガリガリに痩せていていかにも大病を患った病人といったその姿に思わず眉をひそめてしまう。


「知っているかもしれませんが主人はもう長くないとお医者様より宣告され


せめて生まれ育ったこの家で療養する事にしました。もう意識が戻る事もほとんどありません


せめて最後は娘さんたちとこの生まれ育った家でお別れできれば……」

 

奥さんは感極まったのか口を押えて言葉に詰まった様である。


この姿を見ていると、とても財産目当ての結婚で演技しているとは思えなかった。


「あの、よろしければご主人との馴れ初めとかお聞かせ願えませんか?」

 

奥さんは流れる涙を指で拭いコクリと頷いた。


娘さんの捜索と二人の馴れ初めなど全く関係ないと思うのだが六花さんは快く引き受けてくれたのである。


「私は大阪の美術大学を出て画家を目指していたのですが、


残念ながら私にそんな才能は無く画家の夢は諦めかけていた時でした。


ふとしたことから【藤代泰山】が人物画のモデルを探していると聞き


以前から【藤代泰山】先生の大ファンだった私はこの実家を調べて押しかけたのです。


個人情報とか緩い時代でしたからここはすぐに見つかりました。


そして駆けつけ一番、天下の【藤代泰山】を目の前にして直訴する様に頼み込んだのです


〈私をモデルに使ってください‼〉って」


「それは大胆ですね、それで藤代先生は何と?」


「それは困惑している様でした、それも当然です。


いきなり押しかけて〈モデルをやらせろ‼〉とか聞いた事もありません、非常識にも程がありますからね。


それでも優しい先生はやんわりと断りを入れて私を追い返そうとしたのですが、私は必死で食い下がり


〈ヌードでも何でもやりますからお願いします‼〉と玄関先で土下座しました


今考えるととんでもない所業です、若かったですねぇ……」

 

当時を懐かしむ様にしみじみ語るその姿はとても幸せそうであった。


しかしこんな清楚そうな人がそこまでしたのですか⁉


「結局、私のゴリ押しに先生が根負けするような形でモデルに使ってもらいました。


そして【藤代泰山】の人間性に振れ、モデルをしている内に私の中の敬愛が恋慕に変わるのも自然の流れだったと思います。


とにかく先生の事が好きで、好きで、なりふり構わず猛烈にアタックしました。


どうにか振り向かせてやろうと必死で言葉では言えないような破廉恥な事もしましたね


若かったという言葉だけでは済まされないです、思い出すだけでも本当に恥ずかしい……」

 

頬を赤らめうつむく奥さんはとても可愛く感じた、しかしこの美人でおしとやかそうな人がそこまでしたのですか⁉


【恋は盲目】といいますが、正にそれを体現したという事ですね、私には到底理解できないですが。


「結婚当時は色々言われたようですね」

 

普通では聞きにくい事をさらりと言ってのけるグリムさん、こういった点だけは無神経さがいい方に出ているようです、見習いたくはないですが。


「ええ、世間では色々と言われました。しかし仕方がありません、【藤代泰山】というのはそれだけの人物なのですから……


全く気にならなかったといえば嘘になりますが私はそれ

以上のモノをもらいましたから……」


「それ以上のモノと言いますと?」


「女としての幸せです。主人と過ごした八年間は私にとって夢のような日々でした、本当に幸せでした……」

 

布団に横たわっている【藤代泰山】を愛おしげな目で見つめしみじみと語るその姿はとても美しく、まるで一枚の絵画のようであった。


「しかし貴方がご主人と知り合ったのが大学四年生、つまり22歳の時ですよね?


それでご結婚なされたのが35歳ということは十三年間も待ったという事になります。


どうしてそれだけの期間が空いたのですか?」


「ええ、この人の希望でして〈娘が全て嫁に行くまでは再婚はしない〉という強い決意がありましたから。


だからこの人は私にも〈君にはもっといい人がいるはずだ、他の人を探せ〉と何度も説得されたものです。


でも私はそんな気は全くありませんでした」

 

私には到底理解できない言葉でした。そして私は思わず口を挟むように問いかけたのです。


「どうしてですか?22歳から35歳といえば女盛り、最も輝ける時期ですよね?


貴方のような綺麗な人ならば他にいくらでもいい人がいるでしょう⁉︎」


すると彼女はフッと笑い、ゆっくりと首を振った。


「私、この人しか見えなかったのですもの。心底惚れ抜いた相手の代わりなどいませんよ


例え13年が50年だったとしても待ち続けたでしょうね」

 

彼女はそう言って笑った、その表情は43歳の成熟した大人の女性のモノではなく、少女のように弾けるような笑顔であった。


「お嬢さん方はどうでした?父親が自分達と同じ年頃の女性と再婚するとなると


娘さんたちにしてみれば、心中複雑だと思いますが?」


「ええ、私も世間の評判よりもそちらの方が気になりました。でも三人とも快く引き受けてくれたのです


元々三人とも非常に仲の良い姉妹でその御三方が〈お母さんが死んで男手一つで苦労して育ててくれた父をよろしくお願いします〉って……


逆に〈なぜもっと早く結婚しなかったのか、お父さんはきちんと責任取れ〉とエールを送ってくれました、本当に…優しい……人達で……」


語っている最中に当時のことを思い出したのか、堪らず口を押さえ涙をこぼしていた。


溢れた涙が目の前で横たわっている伴侶の顔に何粒もこぼれ落ちるが


藤代泰山は目を閉じたまま何の反応もなく彼女の嗚咽するような声だけが部屋の中を席巻していた。


その悲哀すら感じる光景に私達は言葉を失い、ただただ彼女が泣き止むのを待つしかなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ