女の幸せとは?
篠崎邸を後にした私達は再び電車に乗り込み別の場所へと移動する事となった。
平日の昼という事もあり電車の乗客もまばらで席にも余裕があり、私達は隣り合わせで座る。
車内でガタゴトと揺られながら先程は聞けなかった事も含めて聞いてみる事にした。
「今度は何処に行くのですか?」
「葉月さんを呼び戻す理由である【藤代泰山】画伯の所に行こうかと思っているよ」
「おお、日本画の大家【藤代泰山】の邸宅ですか⁉さぞかし豪邸なのでしょうね⁉」
今日初めて心躍るシュチュエーションです、ちょっとした修学旅行気分とでもいいましょうか。
引率が風情も情緒もへったくれも無い人物でやや興が冷めますが、そこはお仕事と割り切る事にします。
【藤代泰山】の絵が一枚でも見られると嬉しいのですが。
「この際、豪邸かどうかは問題じゃないけれどね、それに色々と気になる事もあるし」
「何が気になるのですか?」
口に手を当て、珍しく真剣な表情で考え込んでいるグリムさん。
ですがもう引っ掛かりません、どうせロクな事は考えていないでしょうし期待するだけ無駄ですから。
「篠崎邸を訪れる前に言っただろう?葉月さんの旦那が最近投資で失敗して大損をしたと
その情報に加え仕事を後身に任せ突然海外に行く事にした妻、どうやら夫婦仲もあまり上手くいっていない様だし……」
「夫婦仲が上手くいっていないとは?何処からの情報ですか?」
「何を言っているのだい、家政婦さんに夫婦仲を聞いた時〈プライベートな事は話せない〉と言っていたじゃないか?」
「それがなぜ仲が悪いになるのですか?話せない=仲が悪いとは限らならないでしょう?」
「いやいや、普通に仲が良かったらワザワザ隠したりしない
〈仲の良いご夫婦ですよ〉で済む話じゃないか、お茶を濁したという事は二人の仲があまりよくいっていない証拠だよ、
〈今までも色々と気苦労があった〉とも言っていただろう?」
「そういえば言っていましたね。グリムさん、意外とちゃんと見ているのですね?」
「これでも探偵だからね」
う~ん、この人は本当にわからないですねえ、【藤代泰山】を知らない癖に蝶の事に妙に詳しかったり
細かな観察が出来ているかと思えば、鈍感、無神経に見えたり
博学なのか無知なのか、鋭いのか鈍感なのかさっぱりわかりません。
「では篠崎葉月さんの身辺事情のように、【藤代泰山】の事も調べているのですよね?」
「うん、まあね、【藤代泰山】、本名は藤代譲二、年齢72歳。子供は弥生、五月、葉月の三姉妹だ。
妻は三女の葉月を生んだ三年後に病気で亡くなっているね、
八年前に当時35歳の長谷川六花という女性と再婚、歳の差のある結婚に当時は〈財産目当ての結婚〉とか散々言われたようだよ
数年前から体調を崩し入退院を繰り返していたが、癌が再発し先月医者から〈余命半年〉の宣告を受け自宅療養中……まあそんなところかな」
「そうですか、五月さんの上にもお姉さんがいたのですね……って
ちょっと待ってください、再婚相手は当時35歳と言いましたよね?という事は今は43歳という事になりますよね
ちなみに長女の弥生さんはおいくつなのですか?」
「え~っと、五月さんよりも二つ上だから、ちょうど43歳かな」
「娘と同い年の女性と結婚したのですか⁉どんな神経しているのですか‼」
「えっ、ダメなの?」
ダメに決まっているでしょう、娘にすれば同い年の女性を義理とはいえ〈お母さん〉と呼ぶ事になるのですよ、常識的に考えて有り得ないでしょう‼」
「まあ、芸術家というのは常人と感覚が違ったりするものだからね
僕たちの様な普通の人とは常識というか、考え方が違うのだよ、たぶん……」
「グリムさんが常識を語り普通ぶっている事にいささか憤りを感じますが
とりあえずそれは置いておいて、娘さんたちにしてみれば心中穏やかではないでしょう」
私が力説するがどこか不思議そうな顔を浮かべているグリムさん
どうにも私の主張はこの人には届いていない様だ。最初からわかってもらえるとは思っていませんけどね。
「じゃあ、例えばジュリのお父さんが再婚相手に君と同じ年の女性を連れてきたら、どうするの?」
「そんなのは決まっています、そのような恥知らずな父親には思いつく限りの罵詈雑言を浴びせて誹謗中傷してやりますよ
そもそもそんな破廉恥な父親ならばこっちから親子の縁を切ってやります‼」
「そこまで……いや、お父さんの幸せを考えてやれば歓迎とはいかなくても、認めてあげるくらいは……」
「断じて認めません、有り得ませんから。いくら殿方が若い女性が好きだといっても限度というモノがあるでしょう。
どうせ若い女は肌が綺麗とか、反応が初々しいとか胸が大き
いとかそんなくだらない理由でしょう?
ああ汚らわしい、考えただけでも虫唾が走ります」
私は吐き捨てる様に言った。するとグリムさんは少しあきれた様子で口を開いた。
「胸の大きさは若さと関係ないと思うけれどね……」
公共の交通機関で不毛な話を交わした私達は20分ほどで目的の駅に到着した。
目的地までは徒歩でいけるとの事なのでスマホのナビを片手に歩いて行くと
所々で主婦達の井戸端会議や、お爺さんがゲートボールをしている光景が目に入ってくる。
この何気ない生活感はは令和というより昭和の空気を感じさせる
どうやら先程訪問した篠崎邸と違い、この辺りは高級住宅というより下町といった雰囲気を漂わせていた。
「意外ですね、【藤代泰山】の家というからもっと高級住宅地と思いましたが……」
「うん、【藤代泰山】は父親から受け継いだ生家をそのまま改装して使っているらしい。
だから家屋自体にはほとんど資産的価値はないようだが……」
グリムさんが〈家屋自体には〉という含みのある言い方をした理由は私にもわかった。
「やはり【遺産相続】ですか……」
「うん、さっきも説明したけれど三女の葉月の家は旦那が投資で失敗して大きな損害を出した様だからね
【藤代泰山の遺産】というモノをアテにしていると思われる。
そして長女の弥生の家は旦那が町工場を経営しているのだが中国製品に押されて工場は火の車らしい
銀行にも借り入れ限度額いっぱいまで借りているらしいし、ここも喉から手が出るほどお金が欲しいはずだ。
そして次女の五月さん、この人の仕事は上手くいっているようだが息子が問題児でね
高校を中退して就職もせずフラフラしている様だ、学生の頃から何かと問題を起こし高校も退学になっている。
金遣いが荒く、良からぬ団体ともつながりがあるらしい」
「良からぬ団体?」
「まあ、いわゆる〈反社会的勢力〉と言われる団体だ……」
「そうですか、ところで五月さんの旦那さんは何をやっているのですか?」
「五月さんに旦那はいない、どうやら若い頃に知り合った男性との間に出来た子供らしいのだが
五月さんが妊娠した時に行方をくらました様だ。
〈若気の至りと〉いうやつなのだろうけれど、ロクでもない男に引っかかったみたいだね
それ以来、五月さんは女手一つで息子を育てたのだけれど親の心子知らずというか
息子の方は問題ばかり起こして母親から金をせびるだけのバカ息子へと成長してしまった訳だ……
ドラ息子の血は父親譲りかもしれないね」
「皆さん、苦労されているのですね……」
何だかいたたまれない気持ちになってしまった。【藤代泰山】の娘ならばそれなりに裕福な暮らしをしていただろうに……
しかも今の話を聞く限り三人ともそれなりの才能を持っていて
十分暮らしていけるだけの経済力を持ち合わせていた。
にもかかわらず相手がロクでもない男のせいで足を引っ張ってしまうとは
〈女性にとって結婚とは本当に幸せなのか?〉と改めて考えてしまうのであった。
それから私達はしばらくの間無言のまま目的地へと歩みを進めていく
しばらく進むとグリムさんが視界に入って来た前方の小さな公園を指さす。
「はら、あの公園を曲がると【藤代邸】が見えてくるはずだよ」
「そうですか、では、ちょっと……」
私はそそくさと小走りで公園へと向かおうとした。
「どうしたの、ジュリ、【藤代邸】はそこを曲がったところだよ?」
「いえ、その、ですから……」
〈どういうつもり?〉とばかりに不思議そうな顔をしているグリムさん。全く、この男は察しが悪いですね……
「あっ、そうか、トイレか⁉」
気付いたのなら気付いたで、大声で言う事ですか‼
この男はデリカシーというモノを何処に転売してしまったのでしょうか⁉
「いいよ、ゆっくりしておいで」
それで気を使っているつもりですか⁉どこまでも無神経な男ですね
もちろん返事などしてやりません、代わりにもの凄い目で睨んでやりましたがどうせこの人には全く効果が無いのでしょう。
わかっています、ええわかっていますとも、それでも何かせずにはいられなかったのです。
私はそんな思いを抱えつつ急いで公園の公衆トイレへと駆け込んだ。