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やっぱり探偵になりたい‼

その翌日、私は出勤の為探偵事務所への階段を登りつつ複雑な思いを抱えながらある事を考えていた。


何しろ私の契約は【探偵見習いとして一つの案件が終了するまで】だったからだ。


昨日〈藤代泰山遺産相続事件〉ともいえる案件が解決した今


私の助手身習いとしての立場は〈契約満了〉でお払い箱になるのか


〈契約延長〉でまだ続けられるのか、運命の分かれ道なのである。


私的にはもちろんこのまま続けたい。探偵の奥深さやグリムさんの凄さを知ってしまった今


もう他の選択肢は考えられない、裁判官になるとか検事になるというもう一つの進路目標は完全に頭から吹き飛んでしまった。


世間一般で考えれば、この選択は馬鹿と言われるだろうがそんな他人の評価などどうでもいい


この事件を通じて私の心の中の〈探偵になりたい〉という思いは凄まじい勢いで膨張し、確固たる目標として心に焼き付いた。


グリムさんと過ごしたこの数日間は私の人生において最もスリリングであり、ドラマチックだった


有り体に言えば〈とても幸せな時間〉だったのだ。

 

階段を登り切り最上階の事務所へと辿り着く。最初は登るだけであれほど息を切らせていたこの階段も


慣れてくるとそれほど苦にならなくなった、人間の環境適応能力というのは凄いモノだ。


狭くて薄暗くて埃っぽい、この急勾配の階段ですらどことなく馴染んできたのだ、これが〈愛着が湧く〉という事なのだろうか。


事務所にたどり着きポケットから鍵を取り出し開けようとした時、違和感を覚えた。


「あれ?鍵が空いている……」


ここに出勤し始めてからというもの私は必ず始業開始十分前に来ていて


グリムさんが後から遅れてくるというのが通例であった。しかし今日は扉の鍵がすでに開いていたのだ


私は不思議に思い扉をゆっくり開けてみた。


「おはようございます……」


中をうかがうように挨拶しながら事務所に入る、万が一泥棒でもいれば一大事だからだ


しかしそんな心配はただの杞憂で終わる。恐る恐る事務所に入ると中にはすでにグリムさんがいたのである。


「おはようジュリ、相変わらず早いね」


いつもと変わらぬ笑顔、いつもと変わらぬ口調、そしていつもと変わらない事務所の雰囲気、でも今日はいつもと違う、そう、違うのだ……


「今日は早いのですねグリムさん、あっ、早速コーヒー入れますから……」


私は挨拶もそこそこに慌てて給湯室へと足を運ぼうとする。この先を聞きたくないという心の防衛本能がそうさせたのか


単なる現実逃避のせいなのかそれはわからない。でも私の心の中には〈このまま何事もなくずっとここにいられないだろうか……〉


という願望に近い想いが確かにあった。しかしそんな私の想いを打ち砕くかのようにグリムさんから待ったがかかったのだ。


「いや、今日はいいよ。ジュリの仕事は今日までだからね、そこまでさせる訳にはいかないよ」


いやでも現実に引き戻される無慈悲な言葉が私の胸に突き刺さった。


考えてみれば当然である、私はこの人に対して散々酷い事を言ってきた、暴言を吐きまくっていた


元々自分から押しかけて来ておいて、言いたい事を言った挙句〈やっぱりこのまま続けさせてください〉とか


どの口が言っているのだ?と自分の常識を疑いたくなる。


思い返すと自分の愚かさに腹が立ってきた、考えてみれば私の人生こんなことばかりである。


プライドばかり高くて素直になれなくて直ぐにブチギレる


男性にしてみれば一番可愛くない女子だろう。だから親しい友達など一人もいなかった


当然至極、自業自得もいいところである、こんな私を雇ってくれる人など一人もいる訳がないじゃないですか


ああ、なんだか自分で言っていて涙が出そうだ……


「じゃあ今日まで働いてもらった分のお給料、ご苦労さんだったね」


今どき茶色の封筒に現金で手渡しされた、口座番号とか教えていないので当然と言えば当然だ


だけど手渡し現金とか妙に生々しく【給料】って感じがしてどことなく嬉しかった。


私はなぜかかしこまって両手で受け取るがその瞬間、あることを感じ慌てて封筒の中身を確認した


私が予想した金額よりも遥かに多額の現金が入っていたからである。


「こんなに……こんなにもらえませんよ‼︎」


慌てて抗議する私だったが、グリムさんはいつものように微笑みながら優しい口調で返してきた。


「いいんだよ」


「良くないですよ、いくら何でも多すぎます。それに私ほとんど仕事の役に立っていませんでしたから‼︎」


「そんな事はない、本心でそう思っているのであればそれは自己評価が低すぎるだけでジュリは十分役に立ってくれていたよ。


君の働きはその報酬に見合うだけの事をした、自分の働きに自信を持って、ジュリ」


涙が出そうになった、今まで勉強はできても他で他人に認められたことのない私にとってこの言葉は涙が出るほど嬉しかったのである。


だからこそここを離れることは嫌だったしこの人の元でもっと勉強したいという思いはさらに強くなった。


「でも僕の元ではあまり勉強にならなかったかな、やり方や性格的にも僕のことはあまりお気に召さないみたいだったし……


でもジュリならばきっといい探偵になれるよ。君は頭がいいし、起点がきく


僕じゃない人の元で学べば立派な探偵になれるはずだ


もし探偵という道を選ばなかったとしても今回の経験は何かの役に立つと思うし


他の職業を選んだとしてもジュリならば必ずうまくやれるはずだ。自信を持って頑張って‼︎」


やめてください、私は褒められ慣れていないのでそんな事を言われたら涙が出るのを堪えるので必死です。


しかもなんでグリムさんなのですか?私はあなたのことをどれだけボロカスに言ってきたと思っているのですか⁉︎


そんな優しくて器の大きいことを言わないでください、これ以上未練を残させないでください


本心では土下座してでも〈もう少しここにいさせてください‼︎〉と言いたいのです


でも私にはそれができません、くだらないプライドのせいで言えないのです。


何の役にも立たない、1円にもならない、百害あって一理なしのちっぽけなプライド


しかしその虚勢と見栄と痩せ我慢の上で成り立っているのが私、前島樹里という人間なのです。


人生のターニングポイントともいえるこの場面ですら素直になれない愚かな女、それが私なのですよ、存分に笑ってください……


これ以上グリムさんを直視していられなくなった私はふと視線を逸らした。


すると部屋中に飾ってある偽物だらけの美術品がふと目に入って来くる。


これらの贋作コレクションも最初見た時は腹が立つだけの品物でしたが


毎日のように見ていると何故か愛嬌があるとさえ思えてきたのです。


環境の慣れと心の視点というものがいかに人間の心理や考え方を変えるか思い知りました


今では百均のお茶をマイセンのカップで飲むことすらオシャレに思えてきたのです。


それほどまでに私はこの探偵事務所が好きになっていました


いつの間にか天塔グリムという探偵を尊敬していました、ここを離れたくはないと心から思うようになってきました、本当に今更です……


そんな私の視線に気づいたのか、グリムさんも周りの美術品に目を向け少し微笑みながら再び口を開いた。


「ここにある偽物の美術品たち。ジュリのような美術品に詳しくて思い入れのある人達からすると我慢できないかもしれないよね。


多くの人たちにとって美術品というのは人々の心を揺さぶる芸術であり後世にこのすべき人類の遺産であり


代え難い価値のある物という認識だと思う。でも僕にとっては少し違うのだよ。


ここにある偽物の美術品たちはいわば訓練器具、他の人のダンベルやランニングマシーンみたいな物でね


自分自身を鍛えるための物なんだ。贋作というのはいわば究極の【嘘つき美術】だからね


僕は人の嘘を見抜くためにこの偽物美術品に囲まれることで鍛えてもらっている


ジュリみたいな人にとっては耐えられない職場だったかもね、ごめんね」


何でそんなことを言うのですか、その言葉はますます私を惨めにさせるだけの言葉じゃないですか


もう止めてください、これをわざとやっているのであれば相当のドS人間ですが


このグリムさんが天然で言っていることはわかっています、ええ、理解できてしまうのです……


「じゃあ、今までありがとう、これからも頑張ってね、ジュリ」


屈託のない笑顔でお別れの握手をしようと右手を差し出すグリムさん。


最後の最後まで貴方らしくないカッコ良さ、もう止めてください、これ以上私の心に後悔と未練を残すのは……


嫌だ、このまま終わってしまうのは嫌だ……


これ以上グリムさんを見ていると涙が溢れてきそうなので私は顔を背け、精一杯虚勢を張りながら右手を差し出しました。


「お世話になりました。最後に言っておきますが握手を求めるのもセクハラにあたりますからね


気をつけたほうがいいですよ」


違う、こんな事を言いたいんじゃない、馬鹿だ、大馬鹿だ、私はどこまで愚かなのでしょう。


でもこれが私なのです、意地とプライドで自滅する世界でも類を見ないほどの大馬鹿者、もう死にたいくらいです


これ以上いると涙が溢れてくる、男の前でみっともなく泣くとか私が一番軽蔑していた女です。


これ以上惨めな思いはしたくない、そんな思いから私は別れの握手もそこそこにクルリと背をむけると


ドアのノブを手に取り急いで事務所を出ようとしました、その時です。


「待ってジュリ」


突然呼び止められ思わず固まる私。しかし振り向くことはできない


なぜならもう私の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていたからである。


「何ですか?まだ私に何か用ですか?」


最後の最後まで可愛くない、もしも私が男ならば絶対にこんな女は選びません


しかしグリムさんが発した言葉は意外なモノであった。


「ジュリ、君は僕に何か言いたい事があるのではないかい?」


何か含みのある言い方で語り掛けてきたグリムさん、しかし私は背中を見せたまま、精一杯平静を装い答えた。


「どうしてですか?どうしてそんなことを聞くのですか?私にもっと文句を言って欲しいのですか?」


「君が文句を言いたいのであればそれでもいいよ、でも僕がジュリを呼び止めた理由は一つだ


それは君が初めて〈僕の前で嘘をついた〉からだよ」


そうか、この人の前では嘘は通じないのだった、今更思い出すなんて本当に私は……


私はそのまま振り向きグリムさんの顔をジッと見つめた。唇を震わせ、涙をボロボロと流しながら睨むように見つめる


そんな私の姿を見てグリムさんは少し驚きの表情を見せた。


「ジュリ……どうしたの?」


グリムさんは明らかに戸惑っていた。無理もない、ずっと悪態をついていた私がボロボロと涙を流し自分を睨みつけていたのである。


私はもう我慢できずに思いの丈をぶちまけた。


「どうしたの?じゃないですよ‼︎あなたは人の嘘を見抜ける名探偵じゃないですか‼


だったら私の心も察してくださいよ‼︎」


完全な逆ギレである、言っていることが支離滅裂、理論破綻も甚だしい、でももうすがるしかないのだ


こんな時にさえ可愛くできない私をどうか助けてください。


「察するって、何を?ジュリは僕に何をして欲しいの?」


やはりグリムさんはグリムさんです、女心というものを全く理解できずに素直に相手に聞いてしまうあたりがこの人らしい。


「あんな難しい事件を解決してしまうあなたがどうしてわからないのですか‼︎


私は探偵になりたいんです、グリムさんの元で勉強したいのです、もっともっとあなたから教わりたいのですよ‼︎


だから……ここに置いてください……何でもしますから、もう少しここで……勉強させてください……


私、グリムさんのような探偵になりたいのです……だから……」


これ以上は言葉が出なかった。溢れてくる感情で言葉が詰まって出てこない


涙で曇ってグリムさんの顔すら見えない、カッコ悪い、みっともない、恥ずかしい、でもこれでいい


もし断られても言えずにこのまま一生後悔するより百倍マシだ


もう見栄もプライドもへったくれもない、これ以上ない醜態を晒したのだ


その後私は子供のように泣きじゃくった、家族でも恋人でもない男性の前で……でも不思議とどこかスッキリした。


グリムさんは私が落ち着くまで何も言わずに待っていてくれた。


静かな事務所に私の嗚咽に近い鳴泣き声だけが響き渡る。


私はこの初めて味わった感情の波というものに抗うことができずただ流されるばかりで溢れ出る涙を止めることができなかったのである。


しばらく泣きじゃくった後、ようやく少し落ち着いた私はハッと我に返ると急に恥ずかしくなった。


会ってまだ数日の男性の前で、しかもグリムさんの前で感情むき出しのまま大泣きするとかありえない


恥ずかしすぎてまともにグリムさんの顔を見られません。


するとグリムさんは優しく語りかけてくれた。


「もう大丈夫?少し落ち着いた?」


私は気恥ずかしさから俯き加減のまま無言でコクリと頷く。


「じゃあ、ジュリは正式に【天塔探偵事務所】の助手ということでいいのかい?」


その言葉を聞いて私は思わず顔をあげグリムさんの顔を見つめた。


「それって……今後もここで働いていいってことですか?」


するとグリムさんは溢れんばかりの笑顔を見せ、再び右手を差し出してきたのだ。


「これからもよろしく、ジュリ」


ようやく止まった涙がまた溢れ出してきた、この人はどれだけ私を泣かせれば気が済むのですか


わざとですか、わざとですよね?そうに決まっています、本当にグリムさんは性格が悪いです……


「はい、これからよろしくお願いします‼︎」


グリムさんの右手を両手でガッチリ掴み頭を下げた、こんなに素直に言葉を発したのは人生で初めてではないだろうか


今まで生きてきた二十二年間の中で一番幸せな時間です。


こうして私とグリムさんのコンビは最高の形で結成されたのです、そう、最高でした、この時までは……


嬉しさと恥ずかしさで顔を上げられない私を尻目にグリムさんは機嫌よく語り始めた。


「いや〜それにしても驚いたよ、ジュリがそんなことを思っていたなんて」


そこを掘り下げますか?ここは武士に情けというか、そこにはあえて触れないのが男の優しさというものでしょう。


まあグリムさんに男の優しさとかデリカシーを求めるのは無理なのかもしれませんが……


「それにしてもビックリしたよ、まさかジュリが僕のことをそこまで好きになっていたなんて」


「は?」


予想外の言葉に私は思わず顔を上げた、この人が何を言っているのか全く理解できません


そして不思議なモノであれほど止めたくても止められなかった涙がこの一言でピタリと止まったのです。


「女の子に泣いてまで告白されたら男としては受けざるを得ないよね、いや〜モテる男は辛いよ」


「あの、何を言って……」


「いや、照れなくてもいいよ、ジュリ。僕は女心に疎くてよく怒られるんだ、でも君の気持ちは受け止めたから」


満面の笑みを浮かべ全身全霊で勘違いをしているグリムさん……


そうでした、グリムさんという人はこういう人でした……見直しすぎました、バカでした私……


何でしょう、先ほどとは違うドス黒い感情が沸々と込み上げてきました。


「あの、グリムさん……」


「何だい、ジュリ?」


嬉しそうに返事をしながらこちらを見て来るグリムさん。その笑顔が益々私を苛立たせた。


「とりあえず殴っていいですか?」


その瞬間、グリムさんの表情が一変する。


「えっ、何で?今の流れでそのセリフ、おかしくない⁉︎」


「おかしくないですよ、どうして私があなたに惚れているとか、そんな突拍子もない勘違いができるのですか⁉


脳みそがシステムエラーでも起こしているのですか⁉︎」


「いや、だって、さっきの流れだと……」


「さっき私が言ったのは〈探偵としてあなたを尊敬している〉と言ったのです


男性としてはこれっぽっちも認めていません、それどころか〈無神経なナルシスト〉とか一番嫌いなタイプですよ‼」


「でも、少しは僕の事、〈いいな〉とか思うでしょ?好きになったりするでしょ?」


「なる訳ないでしょう‼どこまで幸せハッピー脳なのですか⁉


脱線したまま走り続ける電車ですか貴方は‼


言っておきますが私がグリムさんに惚れるとか、可能性的に〈1ピコグラム〉もありません、有り得ませんから‼」


さっきまでのいい雰囲気は何処に行ってしまったのでしょうか?


先程まで感動の涙を返してください、今では血の涙が流れそうなほど、怒りでおかしくなりそうです。


「〈1ピコグラム〉って……それがどれだけの量なのかわからないけれど何か可愛いし


もしかして量として結構多かったりしない?」


意味不明な程ポジティブなグリムさんの言動に私の怒りのボルテージは最高潮に達する。


「どんだけポジティブですか貴方は⁉私はそれより小さい単位を知らなかったから引用したまでです。


確かに私がグリムさんに惚れている可能性を示す量としては少し多いかもしれませんね


なにせ〈1ピコグラム〉とは一兆分の一グラムですから」


「えええーーたったそれだけ?でも殴らないで、暴力反対‼」


そう言いながら本気でビビっているそぶりを見せるグリムさん、何なのでしょうこの人は?


さっきまであんなにカッコよく決めていたくせに今はこれ以上なくカッコ悪い、何か力と怒りが抜けていきます。


「殴りませんよ、就職初日に暴力沙汰でクビとか困りますし……


それよりグリムさんは本当は強いくせにどうして私なんかにビビっているのですか?」


「だって殴られると痛いし……それに女の子相手に格闘技は使わないよ」

 

フェミニストでもあるのですね、確かに良くも悪くもやっぱりグリムさんです。


「じゃあ、あらためてよろしくジュリ」


「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

本当に改めて私とグリムさんはガッチリと握手をした。さあここからがスタートです。


今回の初めての事件はあくまで〈助手見習い〉としての仕事でした


しかしここからは〈正式な助手〉としての仕事です。私も力になれるよう頑張ります


さあ初めての二人での仕事はどんなものになるのか、今からワクワクします‼


「ねえジュリ、せっかく僕達は組むのだからさ、コンビ名とか決めない?」

 

私がお茶でも入れようと給湯室に向かおうとした時、グリムさんが唐突に訳の分からない事を言い出した。


まさか二人での初仕事が、こんなくだらない事⁉いや、ここはきちんと反対しておきましょう。


「は?いらないでしょう、そんなモノ」


「えええ~せっかくだし、付けようよ~」

 

何ですかこの執拗なまでの厨二的なこだわりは……まあでもこのぐらいで気が済むのであれば仕方がないので付き合ってあげますか。


「ハア、わかりました。おかしな名前じゃないのならいいですよ」


「本当?良かった。じゃあ何かにちなんで命名しよう、そうだね、何がいいかな……


せっかく男女コンビだしそれっぽい名前を……〈アダムとイブ〉とかどう?」


「【旧約聖書】ですか、でもアダムとイブって確か人類で初めて罪を犯した人間ではなかったですか?


人類の始祖とはいえ、最初の罪人とか、何か嫌です」


「あっそう……じゃあ、〈イザナギとイザナミ〉というのはどうかな?」


「今度は【古事記】ですか。でも確か妻のイザナミが死んだとき


イザナギが黄泉の世界に妻を迎えに行った際に約束を破ったイザナギをイザナミが殺そうとして追い回したという話ですよね?


約束を破る夫にその夫を殺そうとする妻、どうかと思いますが……」


「うん、確かに縁起が悪いかもね……じゃあ、〈ヘンデルとグレーテル〉ならどう?」


「へえ~【グリム童話】ですか。グリムさんとは因縁浅からぬ感じの名前ではありますね


しかしヘンデルとグレーテルは継母に家を追い出されお菓子の家に居る所を魔女に捕まり


軟禁されて食べられそうになってしまった為、魔女を騙して釜で焼き殺したという話ですよね?


確かに彼らの置かれた状況を考えると【正当防衛】といえなくもないですが


魔女を釜に閉じ込めた時点でその場所からの逃走は可能であり見解によっては【過剰防衛】となり罪に処される可能性があります。


未成年という事で情状酌量の余地はありますが、そもそも私ならばもっとうまくやります。


大体継母が育児放棄をして【子供の扶養義務】を怠ったのですから


しかるべき機関に通報し保護してもらうというのが適切な手段だったと思いますよ、大体法的にですね……」


「わかった、わかった、もういいよ、その案は却下で」


グリムさんが〈もう降参だ〉というポーズをして話に割り込むような形でストップをかけてきました。


せっかく話が乗ってきたところなのに水を差された気分です。


「じゃあ、〈織姫と彦星〉というのはどうかな?何かロマンチックだし…」


私の反応をうかがうように問いかけて来るグリムさん。ちょっと怯えた感じがいかにもという感じです。


「今度は【七夕伝説】ですか……私、この話、嫌いなのですよね」


私がその一言を言った瞬間、グリムさんの顔が一瞬引きつった。


しかし今度は制止する暇を与えず一気にしゃべってやろうと心に決めた。


「元々【七夕伝説】に出て来る織姫と彦星は仕事一筋の真面目な人間だったと聞いています。


そんな二人の将来を心配した神様が二人を引き合わせ、二人は意気投合して結ばれた


しかし恋愛に夢中になってしまい仕事をしなくなってしまった為に神様が怒って二人を引き離し


一年に一回、七夕の日にだけ会う事を許したという話ですよね?」


「そうだね、中々ロマンチックだと思わないかい、ジュリ?」


「どこがですか‼」


私が怒鳴る様に言い放つとグリムさんはビクッと体を反応させ顔をしかめながら明らかに及び腰になっていた。


「いいですか、そもそも労働というのは人に強制されてやるものではありません。


それまで二人は身を粉にして働いていたのですから恋人と出会って少しぐらい長い休暇を取る事に何の問題があるというのですか⁉


労働と恋愛は個人の権利として憲法で保障されています。


大体それまでの労働体制もブラックに近いかなり怪しい業態だと思われます。


しかも事もあろうに少し働かなくなっただけで恋愛関係の二人を無理矢理引きはがし


【接近禁止命令】を出したというではないですか‼人権侵害も甚だしいです、何様のつもりですか‼」


「いや、何様って……やったのは神様だよね?」


「神なら何をやってもいいというのですか⁉愛し合う二人を無理矢理引きはがし強制労働へと駆り立てる。


しかも面会期間は一年に一度という刑務所も真っ青な劣悪待遇


あまつさえ雨天時には来年へと繰り越しというではないですか⁉


こんなひどい扱いは囚人どころか奴隷でも暴動を起こす事疑いありません。


これ程鬼畜で人道に外れる所業は明らかな違法行為です、直ちに告訴し多額の賠償金と誠意ある謝罪


そしてこれをおこなった人物及び機関にはしかるべき法的処置が下されるべきです‼」


「わかった、わかったから……少し落ち着いて、ジュリ」

 

私はまくしたてる様に一気に言葉を吐き出した。おかげで息も乱れ興奮が収まらない


何故こんな事になってしまったのでしょう、確かさっきまで感傷でボロボロと泣いていたはずですが……


「もう、何かに例えるのは止めようジュリ、これからは【グリムとジュリ】で」


「その辺りが落とし所という訳ですか。〈猫とネズミのアメリカンギャグアニメ〉の様な名前ですがまあいいでしょう。


正直、コンビ名とかどうでもいいですし」

 

するとグリムさんが不満げな顔でボソリと呟いた。


「どうでもいいっていう割には、文句ばかり言っていた様な……」


「何か言いましたか?」


私のひと睨みでグリムさんはすぐに反論を諦めた。そしていよいよ本格的に仕事の話へと入って行きます。


「いや、何も……そういえば今日は午後からクライアントの予約が入っているんだ。


だから事務所の掃除とお茶の用意を頼むよ、ジュリ」


「グリムさん、お茶がもう切れそうなので私今から百均で買ってきます」


「ああ、よろしく頼むよ。あとこの請求書をポストに出しておいて、それから……」


何やかんやで私の社会人としてのお仕事、そして探偵への夢はここからスタートです。



東京都千代田区にある古い雑居ビルの最上階、そこに私達の事務所はあります。

 

性格はアレですが腕は確かな探偵と小柄でキュートな助手が貴方のご依頼を承ります。


疑問、難問何でもござれ、どんな難事件もたちどころに解決してみせましょう‼

 

我が【天塔探偵事務所】は貴方のお越しを心よりお待ちしています、ではごきげんよう。



最期の二話はかなり長めの話になりましたが、中途半端なところで切りたくなくて一気に載せてみましたがどうでしたでしょうか?長く感じた方がいれば申し訳ありません。

この物語は〈一度ミステリーを書いてみたいな〉という大それた思い付きで始めました。アニメや漫画ではラブコメ、異世界物が好きな私ですが小説で一番読むジャンルがミステリーというのが理由です。しかし本物のミステリー作家のように練り込まれたトリックが作れるはずもなく、キャラクターを前面に押し出し、しかも探偵は〈特殊能力もち〉という禁じ手を使って話を作りました。主人公は頭脳は優秀だがプライドと自意識がやたら高くて人付き合いが苦手という少女と天然でデリカシーゼロという探偵の凸凹コンビで作る事にしました。基本的に私の作品は会話劇が大半なので本格ミステリーを期待していた方には申し訳ない思いでいっぱいです。しかしこの二人のやり取りは自分でも結構気に入っています。私は作品を書くときに登場人物の名前を考えるのが苦手で後で〈何でもッといい名前を付けなかったのか⁉〉と後悔することが多いのですが、この天塔グリムとジュリという名前は珍しく気に入っています。恋愛要素はゼロの作品ですが気に言ってもらえたら嬉しいです。

次回作は学園ものですがラブコメ要素少なめの頭脳バトル物を書いてみました。よろしければまたお付き合いください、では。

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