手掛かりを探して……
私とグリムさんはレンタル衣装店で喪服を返し、再び電車に乗り込んだ。
「今度は何処に行くのですか?」
「篠崎家に少し……ね」
グリムさんは小さな声でそう呟くと電車の窓から外に視線を向け何やら遠くを見つめている。
客観的に見れば何となくそれっぽい雰囲気を出してはいるが
私の見立てでは〈格好を付ける為の単なるパフォーマンス〉であろうと判断した。
しかし行先に関しては少し予想外であった。先日葉月さんが不在の際に篠崎家には訪問したことがあったが
もう一度篠崎家に行く理由が思い当たらない。
そもそも葉月さんと旦那である篠崎省吾さんは今警察で事情徴収を受けているはず
二人が不在の時にもう一度行く意味があるとは思えないからです。
しかしここで理由を聞いてもこの〈変態厨二男〉が素直に答えてくれるとは思えず
どうせ余計に腹が立つだけなので聞く事はしません、無駄な事はしないのが私のモットーです。
これ以上彼に振り回されるのは御免です、感情的になると判断力が鈍りますし肝心なところで重大なミスをする原因にもなりますからね。
しかしその後の業務をスムーズに運ぶため乱れたコンセントレーションを整える必要があります。
私の憧れる名探偵は常に冷静沈着、どんな細かい事も見逃さず物事の核心を突く、その能力を発揮するには心穏やかである必要があるのです。
グリムさんの気まぐれと意味不明な厨二心に振り回されている場合ではありません。
ですから私は心の穏やかさを取り戻すため電車の揺れに乗じてグリムさんの足を思い切り踏んづけてやりました
不慮の事故だったのでもちろん謝りません、故意だという証拠もありませんし無論自白もしません
偶然起こった不幸な出来事だったのです、でも何故だかはわかりませんが少しだけスッとしました。
最寄りの駅を降りて篠崎家へと到着しました。
〈ピンポーン〉という甲高い電子音がする篠崎家の呼び鈴を押すとしばらくして中から家政婦兼仕事のサポートをしている稲森静さんが顔を見せた。
「おや、天塔様?」
不思議そうな表情を浮かべこちらを覗き込む様に見てきた稲森さん、無理も無いだろう
〈今更何しに来た?〉と言いたいのは重々承知していますから。
「先日はどうも‼」
軽く右手を上げ、無意味に明るいフレンドリーさを存分に発揮するグリムさん。
稲森さんにしてみればタダでさえ何をしに来たのか不明だというのにこのテンションについていけず戸惑っている様子である。
「あの……本日はどの様なご用件で?葉月様も省吾様も今は警察に言っておりますが……」
「知っています、ですから来たのです」
益々言っている事が意味不明です、当然稲森さんも首をかしげていた。
「それは一体どういう……」
困惑気味の稲森さんに対しにこやかな笑顔で語り始めグリムさん。
「実は警察の方から調べてきて欲しいと依頼がありまして、葉月さんのパソコンを調べさせてはしいのですがよろしいでしょうか?」
何という嘘八百、いくら何でもそれは無理がありますよ⁉いくら警察から信頼が厚いとはいっても
警察が民間の一探偵に家宅捜索の捜査依頼などするわけがない
警察でさえ捜査令状が無ければ違法行為にあたるというのに何を考えているのですか⁉
しばらく無言のままジッとこちらを見つめていた稲森さんだが
意を決したかのように大きく息を吐き静かに口を開いた、しかもそれは驚くべき言葉であった。
「そういう事であれば承知しました、ご存分にお調べください。私は下に居ますので何かあったらお声がけください」
えええ~~‼まさかのOK?あんな見え見えの嘘にどうして⁉……
予想外の展開に呆然としてしまい動く事ができない私を尻目に〈予定通り〉とばかりに
ズケズケと二階の葉月さんの部屋へと上がって行くグリムさん、もう何が何だか……
葉月さんの部屋の入るのはこれで二度目である
前回の訪問からそう日にちが経ってはいないのに大きく変わっているところがあった
それはこれ見よがしに壁にかけられていた蝶の見本がきれいさっぱりと無くなっている事である。
「やはり〈蝶の収集が趣味〉というのは嘘だったのですね……」
「うん、もう偽装する必要が無くなったからね。最初にこの部屋を見た時から何となくそうじゃないかとは思っていたのだけれど……」
グリムさんが独り言の様に呟いた、しかしこの部屋を見た瞬間それが偽装だと見抜く事などできるのでしょうか?
確かに偽装というのは〈ある事実を覆い隠すために他の者事や状況を装う事〉
つまり〈状況的な嘘〉といえなくもありません。しかし人間の嘘を見抜く事と状況的な嘘を見抜くのとでは全く違います
小説の中の名探偵の様に僅かな証拠から綿密な推理を構築して謎を解明していくのとは対照的に
グリムさんは特有のスキルで嗅ぎ分けることが出来るという事でしょうか?
いや、でもこの人もここまでを見る限り嘘を見抜くという能力だけではないような気がします
普段は鈍感で無神経で常識知らずで、モラルが無くて空気読めなくて、ガサツで、デリカシーが無くて
失礼極まりない人物ですが、時々鋭い洞察力を感じます。つまり〈ただの変態ではない〉というのが私の感想です。
「さてと、じゃあ早速始めるか……」
グリムさんは前回と同じく葉月さんのパソコンを立ち上げ、何やらせわしなくキーボードを叩いています。
「グリムさん、そのパソコンは前回もいじっていましたよね?今度は何を探しているのですか?」
「うん、前回は〈葉月さんの行先の手がかり〉というモノを探していたのだけれど
今回探しているのは全く別のモノだよ。それに多分前回は無かったはずだしね……」
またこちらの質問にはまともに答えず肝心な事をはぐらかして何やら含みのある言い回しをしています
もうこれがこの人の仕様なのでしょう、もう苛立つだけ無駄です。
そんな私の寛大で慈悲深い想いを知らずか、知らずか、グリムさんは黙々と作業を続けています
どうやら何かのファイルを探している様です。
「あった、おそらくこれだな……」
ようやくお目当てのファイルにたどり着いたようですが、どうやらそのファイルは暗証番号でロックされているようです。
「どうするのです?このファイルを開けるには数字四桁の入力でパスワード解除しないと見ることが出来ないようです
0000から9999まで入力してみて頑張るのですか?」
さすがのグリムさんも暗証番号までは見抜けないでしょう、パスワードが葉月さんの誕生日や電話番号とかならありがたいのですが……
「そんな事はしないよ、それに何となくだけれど思い当たる数字があってね……」
グリムさんはそう言ってキーボードの数字を入力し始めた。
「思い当たる数字って、誕生日や電話番号以外で闇雲に入力したところで、当たるはずが……ええええーーー‼」
何と、グリムさんが入力したパスワード一発でロックが解除されたのである。
「どうしてわかったのですか⁉今の数字は誕生日でも電話番号でも無かったですよね⁉なのにどうして……」
全く理解不能である、何が何だかさっぱりわからない、あまりの事態に困惑している私に例のドヤ顔を見せるグリムさん
非常にムカつきますし大変遺憾ではありますがこればかりは脱帽です。
「もしかして例の嘘を見抜く能力でパスワードまでも解析したというのですか⁉」
目を丸くして問いかける私に、いつもより更にニヤニヤしながら呆れ気味に答えた。
「ハッハッハッハ、そんな訳無いじゃん。もしそんなことが出来るのならば僕は今頃天才ハッカーにでもなっているよ」
その理屈は全然理解できませんがとにかくすごい自信です。
「じゃあどうやってパスワードを解析したのですか?」
「別に、簡単な推理だよ。ジュリも考えてごらん、すぐにわかるよ」
相も変わらずこの変態はよくわからない事を言い出します、
ですがそこまで言われたら私にもプライドというモノがあります、自力で解いてやろうじゃないですか‼
グリムさんが入力した数字は【3586】。これにどんな意味があるのか?皆目見当が尽きませんがここまで言われて
〈すみません、わからないので教えてください〉と頭を下げるのはあまりの屈辱
しかもその後に〈こんな事もわからないのかい?全くしょうがないなあジュリは、脳みそも胸も足りないのかい?〉
とか言われたら私はこの目の前の男を殺さずにいられる自信がありません。
一時期裁判官や検事を目指していた私がまさかの殺人事件の被疑者となる事は避けたいものです。
私がそんな事を考えている時、グリムさんは数あるファイルの中から一つの表が載っているファイルを見つけ出した。
「あった、あった、コレだ」
私も気になってその表を覗き込むと、そこには色々な項目と数字が羅列されていたが、私にはそれが何が何だかさっぱりわからなかった。
「これは何ですか?」
「うん、これはね、【貸借対照表】、別名バランスシートといって会社の財政状態を示している表だよ。
葉月さんは経営コンサルタントをしていたらしいからね、こういった事は、正に専門だろう」
グリムさんも個人とはいえ探偵事務所を経営する身ですから、こういった事にも詳しいようですね。
「バランスシートの説明はわかりましたけれど、葉月さんの仕事と今回の件がどう関係しているのですか?」
「この表が入っていたファイル名を見てごらん」
「ファイル名ですか?……あっ⁉」
その表が入っていたファイル名は【槇原製作所】つまり弥生さんの旦那さんである槇原聡さんが経営する工場である。
「これは、弥生さんの……」
「そう、弥生さんの旦那さんの経営する工場だ。そしてこの【貸借対照表】を見てみるとよくわかる
経営状態は酷いモノだ、正に火の車という訳だ。従業員三人の人件費と工場の維持管理費と収入のバランスが全く会っていない
言い換えれば働けば働く程赤字が出るという事さ、これじゃあさすがに銀行も見放すね……」
「じゃあ工場を続ける意味なんて無いじゃないですか⁉」
「まあね、でも経営者にとって自分の会社というのは子供より可愛いと思うモノらしい
どんなに厳しい状態でも潰すのだけは回避したいと考えるみたいだ」
「何ですか、そのナンセンスな考え方は?私に言わせれば頭が悪いとしか思えませんが」
「まあ、ジュリにはわからないだろうね……」
何処か寂しそうに目を伏せたグリムさん、この人も一応経営者なのでそういう気持ちはあるのでしょうか?全然想像できませんけれど。
「でも、弥生さんの旦那さんの工場が経営危機だという事はわかっていたじゃないですか
今更そんな事を調べてどうするつもりだったのですか?」
「経営危機といっても一時的な資金難なのか、壊滅的な経営状態なのかでは全く意味が違うからね
そこを調べたかったのだよ。それに本当に調べたかった物は別にある」
グリムさんはそう言いながらマウスを上下に動かして片っ端からファイルを開けていた、
そしてようやくあるファイルへとたどり着きそれを空けた時、含みのあるいつもの笑顔でニヤリと笑った。
「ビンゴ‼この手のモノがあるのではないかと思ったのだよ」
そのファイルの中には驚くべきモノが入っていたのでした
目当てのモノが見つかりテンションが上がっているグリムさんとは対照的に私はその内容を目の当たりにして呆然と立ち尽くしてしまったのです。
「グリムさん、これって⁉」
「ああ、やはりね……そうじゃないかと思ったのだよ」
「どうしてこんなモノがあるのでしょうか?ちょっと理解が出来ませんが……で、どうするのですか?小暮警部に見せますか⁉」
「うん最終的にはね、でもまず見せたいのは警部ではないよ……」
「小暮警部ではないのならば、一体誰に見せるつもりですか?」
そんな私の質問を〈待っていました〉とばかりにニヤ付いています
ウインクしながら人差し指を立てドヤ顔でこちらを見ています。本人は決めポーズのつもりのようです。
どうせいつもの〈それは後のお楽しみ〉と言いたいのでしょうが
痛々しさと寒々しさを具現化したような絶望的なまでのセンス、もちろん素直に教えてなどくれません
ええ、わかっていました、わかっていましたとも。
「で、これからどうするつもりなのですか?」
「最後に行く所といえばあそこしかないよね、じゃあ行こうか‼」
言い終わるかどうかというタイミングでスッと立ち上がり、まるで〈ついて来いよ〉といわんばかりの勢いで部屋を出て行くグリムさん。
どうやらかなりテンションが上がっている様です。もちろん私のテンションはダダ下がりです。
ファイルの内容をプリントアウトして私達は葉月さんの部屋を出ました。
グリムさんは以前上機嫌のまま、鼻歌まで飛び出す始末です。
階段を降りる時でさえスキップするような軽やかな足取りを見せる始末、おそらく精神年齢が低いのでしょう。
「どうも、お邪魔しました~~‼」
帰る際、玄関先まで出て来てくれた稲森さんに軽快な口調で挨拶を済ますグリムさん。
仮にも人が死んでいて多額の遺産を巡る深刻な事態だという事を忘れているのでしょうか?
忘却力勝負ならばニワトリとの白熱したデッドヒートが見られる事でしょう。
篠崎家を後にした私達は再び駅へと向かう、結局次の行き先を教えてくれないグリムさんでしたが
私には何処に行くのか何となくわかっていました。