嘘を見抜く目
〈名刺の指紋と採取された毛髪は藤代五月本人のモノと断定〉という警察からの報告を聞いたグリムさんは
椅子に座りながら目を閉じずっと何か物思いにふけっていた。
普段は忙しなくパソコンに向かって事務仕事をしているだけに彼のこういった姿を見るのは初めてである。
私はというと事務所の給湯室で日課であるお茶を入れていた
昨日コーヒーだったからローテーション的に今日はお茶の日だからだ。
「こうしてマイセンのカップに百均のお茶を入れるのも最初は違和感しかなかったですが
一日おきとなると流石に慣れてきましたね……」
そんな独り言を呟きながらカップの中の薄緑色の液体を眺めていた
私も自分のカップにお茶を入れその二つをお盆に乗せて事務所内に運ぶとグリムさんの目の前の机にそっと置いた。
「お茶です、どうぞ」
目の前に湯気の立つお茶を出されてもグリムさんからは何の反応もない
いつもならば〈ありがとう〉という言葉と意味不明な笑顔が返ってくるのだが、今日はそのどちらもなかった。
普段と違う静寂の事務所内は変な息苦しさを感じる。
いつもならばグリムさんが何かと私に向かってくだらない事を話しかけてきて
それを時には冷たくあしらい、時には熱く叱咤するというのが通例でした
普段の私にしてみればこのやりとりは鬱陶しい事この上なかったのですが
こうなってみるとあれも正当なコミュニュケーションだった様な気がします。
私は普段からあまり人と関わり合いを持ちませんし親しい友人もいないので
正しいコミュニュケーションというものがどういうものなのか判断しかねているのも事実です。
気まずさすら感じる今のこの空気と、普段のストーカーの如き〈かまってちゃん〉攻勢をかけてくるウザさ
どちらがいいか?と問われると正直〈どちらも嫌〉と答えるでしょう
私にとっての選択肢がどちらかしかないというのがなんとも悲しい現実です。
しばらくそんな事を考えていましたがどうにもこの空気に慣れない私は思わず口を開いた。
「グリムさん、今回の事件をどう思いますか?」
随分とざっくりとした質問だが意味は通じるであろう、おそらく……
いや、間違いなくグリムさんはそのことを考えているはずだ。
「う〜ん、そうだね……」
特に何ということはない、生返事の様な言葉が返ってきた。
せっかくこちらから話しかけたというのに、ほぼノーリアクションのグリムさん
このままでは埒があかないので私はややわざとらしく今回の事件のおさらいの様なことを言ってみた。
「問題は五月さんが亡くなった日の午前十一時ごろ、ほぼ同時刻に藤代邸とこの事務所に五月さんが現れたということですよね?
時間的に移動は無理ですし、どちらかが偽物ということになりますがこちらに現れた五月さんの名刺の指紋と
落ちた髪の毛は間違いなく五月さん本人の物だった。
逆に藤代邸に現れた五月さんは目撃情報もなく、姉の弥生さんも〈五月さんには会っていない〉と証言しています
五月さんの死亡推定時刻の六花さんのアリバイも不確かですし状況証拠的には六花さんは真っ黒といえます、でも……」
私はそこまで言ってチラリとグリムさんの方を見た
するとずっと目を閉じながら考え事をしていたグリムさんが両眼を大きく見開き、力強く言い放った。
「六花さんは嘘を言っていない、嘘をついているのは弥生さんと我々の前に現れた自称五月さんの方だ」
何の迷いも無く言い切るグリムさん。普通ならそんな何の根拠のない発言は一蹴されて終わりなのだが
このグリムさんには〈人の嘘を見抜ける〉というオカルティックな能力があるとの事。
それを本人から聞いただけならば全く信じないのであるが優秀と言われている日本の警察がそれを認めているのだ
〈国家権力のお墨付き〉となると、流石に私も無下にはできません。
「では、どういうことなのでしょう?何かトリックがあるということですよね?」
「そういうことになるね、じゃあ、そのカラクリを見つけにさっそく出掛けようか」
そう言うと、座っていた椅子からゆっくりと腰を上げ、スッと立ち上がった。
「行くって、何処に?」
「何処って、藤代邸だよ。寄りの駅から藤代邸まで、カメラや人に会わずにたどり着けるルートがあるかを検証してみよう
探偵の基本、【現場100回】というだろう?」
グリムさんは私の方を見てドヤ顔で言い放った。いや、それは刑事の格言でしょう……
名探偵の世界には〈ミス・マープル〉の様に現場を見なくても人から状況を聞いただけで事件を解決してしまう
【安楽椅子探偵】と言われる凄腕名探偵もいるぐらいです。
とはいえ検証はいいことだとは思います。物理的な可能性を一つ一つ精査していき、残ったものが真実……
ある意味真理ともいえますね。
「わかりました、出かけましょう‼︎」
こうして私たちは再び藤代邸へと向かう事となった。
不謹慎かもしれませんが探偵助手見習いとして初めて関わったこの案件が
このようなミスリアスな展開になる事に少し心躍る自分がいます
どこかの王道漫画の主人公のセリフではありませんが〈私、ワクワクすっぞ‼︎〉と心で呟きました。
私たちはスマホの地図を片手に駅から藤代邸への道のりを考察しながら歩いてみたのですが
カメラにも人にも遭遇せずにたどり着くことはできなかったのである。
「やはり無理でしたね、この藤代邸の近くだけは人通りも少ないのですが……」
藤代邸を目の前に左右を見渡しながらグリムさんに確認事項を伝えた。
結局〈不可能〉ということを立証できただけの検証であり
その精神的落胆と結構歩いた事による疲労でドッと疲れが出てしまいました、もう足が棒の様です。
「人にも防犯カメラにも見つからずにたどり着く事が無理ということは、五月さんは〈変装していた〉という事だろうね」
グリムさんが独り言の様にボソリとつぶやいた。
「変装ですか⁉︎でも五月さんが普段と違う出立ちであれば六花さんもそれに気付くでしょう
しかし六花さんはそんな証言はしていませんでしたよ」
私はすかさず反論したがそれを待っていましたとばかりに口元を緩めたグリムさん。
「だからここに来るまで誰にも気づかれないように変装して来て、この藤代邸に着く直前に変装を解き元の姿に戻ったという事だろう」
「いや、しかし誰にも気づかれないほどの変装をしていて一瞬でその変装を解くとか物理的に無理でしょう、服装を着替える場所もないでしょうし……」
そんな私の反論にグリムさんは再びニヤリと微笑むとある場所を指さした。
「着替える所ならばあるじゃないか、ほらあそこに」
グリムさんが指さした先にある場所を見て、私は思わず〈あっ‼︎〉と声を上げた。
「あれは先日私も使用した公園の公衆便所じゃないですか⁉︎あそこで着替えたというのですか⁉︎」
「まず間違いないだろう、完全に他人になりすましてここまで来た五月さんはあの公園の便所で変装を解き
何食わぬ顔で立花さんと対面した。そして藤代邸を出た後に再びあの便所で変装し他人を装って帰って行ったという事だろうね」
何という事でしょう、思わぬ盲点でした。
確かに駅からここに来るまでの間、この藤代邸付近だけはそれほど人通りもありません
公園の公衆便所で着替えたとしても誰かに見られる事もないでしょう。
「その推理には納得できますが、あくまで仮説ですよね?それをどうやって証明するのですか?」
「仮説の立証にはそれこそ検証しかないね。小暮警部に頼んであの日の防犯カメラの映像を見せてもらおう」
「でも防犯カメラの映像って数日で更新されて消えてしまうのではないのですか?」
「その辺りは警察で映像を保管しているはずだよ、その映像が証拠になるかもしれないからね、多分だけれど……」
イマイチ頼りない発言ですがその辺りは私も詳しく知らないので何かが映っている可能性に賭けましょう。
「しかし、防犯カメラの不鮮明な映像で変装している五月さんを見つけることなどできるのですか?
警察でも映像を検証していて〈五月さんらしき人物は見つからなかった〉と結論付けたようですし……」
ふと感じた素朴な疑問を投げかけたのだが、グリムさんはすぐには答えることをせず
代わりに不敵な笑みを浮かべゆっくりと語り始める。
「警察は五月さんが変装しているとは思っていなかっただろうからね、それに僕を誰だと思っているのだい?」
グリムさんは自信満々に言い放った、ドヤ顔を決め込んだその立ち振る舞いを見て少々苛立ちを覚えましたが
ここは反論せず素直に聞き流しておきましょう。
確かに変装というのは【見た目を偽る嘘】といえなくもないですからね、グリムさんの得意の範疇なのかもしれません。