失望の美術品
部屋に案内された私は思わず声をあげた
「げっ‼」
私の視界に飛び込んできたモノ、それは想像を絶する光景だった。
別に応接室が汚かったというオチではありません、私にしてみればそんなのは想定内の出来事ですからそれほど驚くようなモノではないのです。
そもそも私の想像する探偵の事務所というのはこの二通り。
まず一つ目は〈コレでもかというほど壁の本棚に本がギッチリと並べられている〉というモノ
そしてもう一つが〈小汚い応接間に灰皿一杯に溜まった吸殻、カップラーメンやコンビニ弁当の空ケースが置きっぱなしの
いかにも男やもめといった感じの事務所〉というモノです。
だから少々汚いぐらいでは何も驚きはしません。
だが私の見た恐ろしい光景とはそんな想像のはるか斜め下をいくモノだったのです……
それは壁と棚にコレでもかと並べられた美術品だった。絵画、花瓶、陶器、仏像、掛け軸……ありとあらゆる物が飾ってありました
それ自体はそれほど驚くことではないかもしれません。
ある程度の地位と財産を築いた人が美術品を欲しがるというのはよくあることですし、それらを夢中になって買い漁るというのもままある事でしょう。
ですが通常美術品を収集する方はある程度のテーマ性といいますか方針みたいなモノがあることが多いのです
同じ作者の作品を好んだり同じ作風と言いますか同じ種類の物を収集する傾向があったりします
具体的にいうと絵画なら印象派とか、陶器なら古伊万里とか、仏像なら日本の仏様の物とか、そういうテーマ性です。
しかしこの人はそれがまるでバラバラなのです。
壁に飾られている絵画は新印象派のスーラ、ロマン主義派のドラクロア、水墨画の雪舟、といったまるでジャンルの違うものばかり
陶器は中国の明朝時代の陶磁器にイギリスの人気アンティークであるシェリーのカップ、日本の瀬戸焼とこれも様々
仏像に至っては日本の弥勒菩薩に聖母マリア、インドのシヴァ神、そしてアニメ【アイライブ】の美少女フィギュアまで一緒になって飾ってあるではありませんか。
宗教も違えばジャンルも違う、この闇鍋のようなゴチャ混ぜ感が何とも気持ち悪いのです
しかもここに置いてある美術品のほとんどは贋作、つまり偽物ばかり……
あっ、言い忘れましたが、私の祖父は大きな美術商、いわゆる【アートディーラー】という職業していたので
私も祖父に教えてもらい、ある程度の美術品の知識があります。
【門前の小僧習わぬ経を読む】ではありませんが、五人いた孫の中で私だけが美術品に興味を持ったので祖父は私だけに熱心に教えてくれたモノです。
ですから祖父ほどではありませんが美術品に関してはいくばくかの知識とそれなりの鑑定眼というものを身につけていると自負しています
だからこそこの一種異様な光景は何とも気持ち悪く、違和感を覚えてしまうのです。
「どうしたの?何か気になることでもあるの?」
私の異変に気づいたのか、彼が横から声をかけてきました。
「いえ、その……この部屋の美術品が……その……」
「ああ。コレね、気にしなくても大丈夫だよ、ほとんど偽物だから」
「それはわかります、一点を除いて全て贋作ですよね?」
「えっ⁉︎」
今度は彼が驚きの表情を浮かべたのです、私の指摘によほどビックリしたのか、呆然と口を開けてこちらを見つめています、おいおい、わかっていなかったのですか?
「一点って……どれ?」
「そこの棚に置いてあるガレの花瓶、それだけは本物です
よ。あとは全て贋作ですね」
慌てた彼は一つの仏像を手に取り、私に突き出してきた。
「コレは?この仏像も偽物⁉︎」
彼が見せてくれたのは円空仏、円空という江戸時代のお坊さんが彫ったといわれる仏像で本物であれば非常に価値の高いのですが……
「コレは本物ではありません、というか出来としては酷い物だと言わざるを得ません。
おそらく贋作として作られたというより同じ時代に円空仏を見た誰かが模倣して作られた物でしょう」
すると彼は何故かほっとした表情を浮かべニコリと微笑んだ。
「そうか、模倣品か……ならいいや」
何ですか、それは?偽物は偽物でしょうに、贋作として作られたものはダメで模倣品ならばいいという彼の心情はさっぱり理解できません
私がその理由を知るのはもう少し後になっての話になるのですが……
「君は何故、そんなに美術品に詳しいの?」
「祖父が美術商、アートディーラーをやっていたので色々と教えてもらってそれで詳しくなったのです。
今の鑑定はあくまで私の私見ですから、本当に真贋を確認したいのであれば専門家に鑑定を頼むことをお勧めしますよ」
「いや、その必要はない。別に僕にとってはそこはそれほど重要じゃないからね」
彼はあっけらかんとそう言い放った。私には何を言っているのかさっぱり理解できない
美術品の真贋がどうして重要じゃないのか?全くもって意味がわからない。
まあわからないことをアレコレ詮索しても腹が立つだけですしもう考えるのは止しましょう。
「で、君はどうしてここに来たのかな?もしかして僕に美術品を売りにきたの?」
「いえ、私はあなたの噂を聞いて助手にして欲しくて来たのですが……」
「へえ〜僕の助手に……君、名前は?」
「申し遅れました、私、前島樹里と申します。年齢二十二歳、この春、オックスフォード大学の法学部を卒業しました」
「へえ〜オックスフォード、アメリカの大学に通っていたのにワザワザ僕の所へ?」
「いえ、オックスフォードはイギリスですが……」
「そうだね、バレたか?ハッハッハ」
恥ずかしい間違いを指摘されても慌てる様子も恥ずかしがる様子もない、とにかく飄々としていてつかみどころが無いという印象だ。
そもそも今の発言は何なのだ?冗談にしては寒いし、本当に間違えたのならかなり恥ずかしいはずなのに全く動揺している素振りもない
私の知っている名探偵のイメージとはかけ離れていると言っていいだろう。
「ああ、ごめん、ごめん、僕の自己紹介がまだだったね、初めまして、僕がこの探偵事務所の所長をやっている【天塔グリム】だ、よろしく」
彼はそう言って名刺を差し出してきた。もちろん例の薄ら笑いを浮かべながらである。
差し出された名刺には【天塔探偵事務所 代表 天塔グリム】と書いてある
〈あまとう〉という名字も珍しいが何よりこの〈グリム〉という名前だ。
一見ハーフには見えないが、芸名のようなものだろうか?それとも重度の厨二病でも患っているのか?
そんな私の様子を察したのか彼は求めてもいない説明を淡々と始めた。
「不思議そうな顔をしているね、まあ僕の名前を聞いたら大体の人間はそういう顔をするからもう慣れたけれどね
グリムという名前は本名だよ、漢字で書くと〈緑夢〉と書く
でもその字で書いても普通の人は〈グリム〉とは読めないからね、だからカタカナ表示にしているという訳だよ
ちなみにハーフじゃないよ、純粋な日本人だ。まあ父が東京生まれ、母が静岡生まれのハーフと言えなくもないけれどね」
天塔さんはくだらない冗談を言い放ち、満足げな笑みを浮かべた。
何ですかその薄ら寒いギャグは?この令和の時代に完全な昭和ギャグ
センスのカケラも見えません、苛立ちすら覚えます……
どうやら完全な見込み違いだったようです、やはりネットの噂などこんなものだったのでしょうか。
もしかしたら依頼欲しさにこの人自身がネットで噂をばらまいた可能性すら出て来ました。
いや、おそらくそうに違いありません。私は落胆と失意で思わず大きなため息をつきました。