2・紫の瞳の「少女」~一
――・・・・・・・・
「・・・・・・・・」
少女は眠る。艶やかに輝く白に近い銀色の髪と透き通るような白い肌をした儚くも美しい彫像品と錯覚させる少女は眠る。
彼女が眠っているのは冷たい鉄の箱の中か?
否、彼女がいま眠る場所は暖かな白いベッドの上。 微かに伝わる寝息。どんな夢を彼女は見ているのだろう? いや、夢は見ていないのかも知れない?
少女を側で見守る少年が一人。
彼の名は「ガン・アーロン」
少女を見つけ、保護した少年。
生活燃料の灯りに照らされて眠る少女の綺麗な横顔をガンはずっと眺めていた。
流れ場で見つけた時、少しだけ目を開けてガンを焦点の合わない瞳で見つめてから、少女は一度もその瞳を開けてはいない。
(俺、どうしたんだ?)
ガンは心の中が妙だとずっと感じていた。
この少女の瞳の色が忘れられない。見たことの無い、薄い紫色。
初めて、人の目の色が綺麗だと思った。
この感じはなんだ? ワクワクする好奇心? ・・・・なにか違う気がする。
胸の奥の奥が、モヤモヤしてたまらない。 たまらないんだよ・・・・。
頭の中で同じことをグルグルと考える。その中で一度も消えない紫色。 目を話したくない少女の横顔。
「おい、ガン」
心の中で自問を繰り返していたガンの耳に、親方の声が届く。
「うちのかみさんが作ったコーンスープだが、食えっか?」
親方がマグカップを二つ差し出す。暖かい湯気とスープの香りが鼻孔を擽る。
「いただきます」
コーンスープを受け取りひとつを灯り台の上に置く。
ガンは少しだけコーンスープを口にした。身体に暖かさが染み渡る。なんだか、久しぶりの食事のような気がした。それほど時間は経ってないはずなのに。
「すんません親方。部屋を貸してくれて食事まで」
「ハハ! 今更だ。遠慮なんてしてんじゃねえ」
親方は笑ってガンの頭をクシャクシャにした。
「テテ、痛いよ親方」
「しけた面してっからだ。いつものガンらしく笑っとけ」
そう言って親方はニカッと歯茎を剥き出しにして笑った。意外と良い歯並びと若干の酒臭い息にガンは思わず笑う。
「俺、こんな変な顔しねえよ」
「なま言ってんじゃねえ」
「テッ!!」
頭を叩かれてコーンスープを溢しそうになりながら、二人で笑いあった。
「嬢ちゃんはまだ目が覚めねえか」
「うん」
「おめえがこの嬢ちゃんを連れて戻ってきた時は驚いたってもんじゃなかったがよ」
親方はその時の様子を思い出す。
作業ウォーカーからこの目の前の少女を抱えて飛び降りてきたガンの別人のような表情にその場にいた全員は二重に驚き、ただ事の無さを感じた。
そして、ガンの様子のおかしさと、「デカブツ」の調子が上がらないという報告を受けて、エリア拡大作業の中止を決定し、少女を休められる一番近い場所という事で親方の家まで連れてきて今に至っていた。
今はガンの調子のおかしさも大分和らいでいるように見えた。
時折、呆けた表情で少女を見つめているようではあるが。
「なあ、親方。俺、今まで違う世界があって別の人がいるってピンとこなかったけどさ」
不意にガンはそんな事を聞いてきたので親方はガンの言葉に耳を傾けた。ガンは話しを続ける。
「本当に、いるのかも知んねえって思ったよ」
「この嬢ちゃんがそうだってのか?」
「うん、髪の毛も、目の色も、俺達とは違うし」
――それに、とても、綺麗な雰囲気だ。
「あれ、俺やっぱりなんかおかしいのかな?」
親方と話して落ち着いてたのに、また、なんだか妙な気分になって、凄く・・・・たまらない。
「お、おい、大丈夫かガン? お前もちと横になった方が」
「・・・・うん」
心配してくれる親方の声に、少女から離れたくない名残惜しさを感じながら立ち上がろうとする。
「え?」
その時、手を誰かが握る感触をガンは感じた。少し冷たい手の感触を。
ガンは驚いて自分の手を見る。
細い指先が布団の間からガンの指を握っていた。
少女の顔を見る。
ゆっくりと瞼が上がり、唇を少しだけ動かし寝ぼけたような表情で、ガンを、薄い紫色の瞳で見上げていた。
「・・・・・・・・ぁ」
今度は焦点の合った瞳でこちらを見据えている。
ゴクリとガンは唾を呑み込んだ。動けない。いや、動きたくない。彼女の言葉をガンは待った。
親方が慌てて奥さんを呼びに階段を駆け降りていくのにも気付かなかった。
ただ、少女の言葉を待つ。
「・・・・テ」
少女がゆっくりと口を開いた。ガンは危機漏らすまいと、耳を近付けた。
「・・・・リー?」
(テリー?)
人の名前だろうか?流れ場で少女が呟いた言葉も「テリー」だった気がする。
少女に近しい人の名前だろうか?
「・・・・・・・・違う」
目を瞬かせ、少女はそう呟くと、小指を手から離した。
「ぁ・・・・」
少し暗くなった少女の表情と、離れていく指の感触にガンはなぜか寂しさを感じた。
「テリーじゃない・・・・似てるけど・・・・違う・・・・ひと」
掠れ気味な声で呟く寂しげなその声に、ガンはなにも言えなかった。
少し間を置いてなんとか出せた言葉は
「お、起きあがれる?」
だった。
「・・・・ん」
少女は弱く頷くと、ゆっくりとした動作で起き上がり
「テリーは・・・・いない」
と、瞳を閉じて呟いた。
(テリーって誰?)
とは、なぜか聞けなかった。とても気になるが聞けなかった。少女の悲しげな雰囲気から、聞けはしなかった。
代わりに、ガンは灯り台の上のマグカップを持って
「飲める?」
少女に差し出した。
「・・・・」
少女は黙ってガンの顔とマグカップを交互に見て
「・・・・ん」
受け取り、コーンスープを口にした。
「おい・・・・しい」
少女は暖かいコーンスープの湯気を見ながら呟いた。
「あたりまえだろ? あたしが作ったんだから」
急にそんな声が後ろからした。
「あ、親方。おかみさん」
いつの間にか、親方夫婦が後ろにいたようだ。
「いつからそこに?」
「コーンスープを渡すところからかね?」
「言ってくれれば」
「お邪魔かと気を使ってやったんだよ」
なんのお邪魔だ? と、ガンは思ったがおかみさんは、返事を聞く前に、ズイッと少女に近づくと。
「動けるかい? ダルいとか吐き気とかは?」
少女の体の調子を聞いてきた。
「ん・・・・それは・・・・無い」
コクリと少女は頷いた。
「そうかい。よかった」
おかみさんはフゥっと息を吐くと今度はガンと親方の方を向いて
「さ、男共は出てっておくれ」
といってグイグイと扉へと追いやっていく。
「ちょ、へ?」
「なんで俺達が出てかにゃなんねんだ?」
不満を漏らす二人におかみさんは舌打ちをして二人にピシャリと言った。
「なんだいスケベ共だね。あんな女の子の着替えがみたいってのかい!」
どうやら、おかみさんは彼女の常態をみて汗を掻いた衣服を替えようと思ったらしい。
ガンと親方は顔を見合わせて
「「失礼しました!?」」
扉の外に急いで飛び出した。
「まったく、すぐに察するもんだろうに男共は」
腰に手を当てフンと鼻息ひとつに扉を少し睨んでから、少女の方に向き直る。
「ひとりで脱げるかい?」
目線を少女に合わせてニッと優しく笑って聞いた。
少女はゆっくりと頷くとマグカップを置いて脱ぐ準備をしようと
ク~~
した途端に少女のお腹が小さくなった。
「・・・・ぁ」
少女は声を漏らし、マグカップとおかみさんを交互に何度も見る。その様はまるでおあずけをくらった子犬のように見えて
「ぷふぅっ」
おかみさんは思わず吹き出してしまった。
「アハハ、いいよいいよ、ゆっくりお飲みよ。あたしゃ、着替えでも用意しとくからさ。うん、あとでちゃんとした食事も用意しようね」
おかみさんはにこやかに笑いながらクローゼットへと歩いていった。
少女はしばらくおかみさんの背中を眺めてから、そっと、コーンスープの二口目を口につけた。
「・・・・おい、しい・・・・とても」
「あ~、よく考えたらあの年頃の女の子が着るような服がうちには無かったねえ」
クローゼットを漁りながらおかみさんは少し頭を抱えた。
服が無いわけではないのだ。かなりの妥協をすれば少しダボついてしまうがガンのために繕った服が何着かはあるのだが、ほとんど仕事での使いやすさを重視しているので女の子にはあまりにもあんまりなデザインなのだ。おかみさんとしてはあれだけ綺麗な顔立ちをしている少女には、自分の娘のような可愛らしい服を着せてやりたいと思う。かといって、娘のロロナはまだよっつになったばかり、着れるわけがない。旦那の服はもちろん論外。自身も女性としては大柄な方。寝間着ならなんとか・・・・いや、どう考えてもずれ落ちてしまう。
(奥にあたしの娘時代の服でも無いかねぇ)
と、奥の奥をまさぐってみる。しかし、嫁にきたとき、持ってきたかの記憶も曖昧なので期待は持てなかった。
(あら?)
なにか指先に箱のような物が当たった。引きずり出してみる。
古ぼけた箱が出てきた。
「?? 何だったかね?」
遥か昔の記憶過ぎて、思い出せない。
取りあえず開けて、中身を広げてみた。
「あら、これ!」
思わず大きな声を上げる。おかみさんの記憶が鮮明に思い出されてきた。
これはおかみさんの娘時代の服だった。しかも、特別な服だ。ちょうど少女と同じくらいの時に着てた想い出の服。
これなら針を通して少し調節してやれば着れるようになるだろう。見劣りもしないはず。寧ろ、あの時の自分よりも、似合うかもしれない。想い出で閉まって置くよりも誰かに着てもらった方が良いだろう。
「どうせなら風呂に入れて綺麗にしてあげようかね?」
おかみさんは何だか楽しくなってきていた。
いそいそと少女の元に戻っていく。
「ちょいと、せっかくだからお風呂に、あらま!?」
戻ってみて驚いた。少女はマグカップのコーンスープをキレイに平らげていた。ガンの分も含めた二つともだ。
「アハハ、こりゃ早くご飯用意しないとね」
「・・・・ん」
少女もコクリと頷いて肯定する。おかみさんはまた吹き出しそうになる。
「おっと、その前に、お風呂に入らないかい? 気持ちいいよ」
少女はおかみさんの提案に少し迷ってから
「・・・・入りたい」
頷いた。その際に、長すぎる前髪が目を隠す。
「ん~、よく見ると髪も伸び放題なんだねぇ」
てっきりそういう髪型なのかとおかみさんは思ったがどうやら違うようだ。明らかに目に懸かりすぎており、ろくな手入れをしていないのか枝毛が目立つ。折角の綺麗な髪なのに勿体なく思った。
「良かったら髪も切るかい?」
「・・・・ん」
少女は今度は間を空けずに頷いた。
「そうかい、髪型のリクエストはあるかい? 長い髪にポリシーってやつがあるとかさ」
「無い・・・・切らなかったら・・・・伸びた」
「よし、わかったよ。それじゃ、支度するからね」
そういうと、おかみさんは部屋を出て、階段を降りる。
下ではガンがロロナの相手をしており、親方はイビキを掻いた。
おかみさんは親方を叩き起こし、風呂を沸かすように指示し、自身は簡単にコーンスープに手を加えてよりボリュームのあるものにして、作りおきのマッシュポテトとライ麦パンを用意しておいた。
親方が風呂を入れると同時に二階へ上がり、少女を連れて風呂場に。
怒涛の如く慌ただしさに目をパチパチとさせる親方とガン。その真似をするロロナ。
しばらくするとおかみさんが泡だらけの両手を拭きながら横を通り
「覗くんじゃないよ!!」
と釘を挿して二階へと上がり、慣れた手つきで裁縫を始めてあっという間に仕上げてしまった。
服を箱に詰めると散髪用のハサミ等の散髪道具を抱え込み、バスルームへと向かった。
バスルームの中で少女は泡だらけのバスタブに使ってジッと待っていた。
おかみさんは身体と頭を吹いてやると洗面台の前に、即席の散髪屋を作り上げると、少女を座らせると髪にハサミを入れ始めた。
おかみさんが慌ただしくバスルームへと少女を連れて閉じ籠ってからかなりの時間が経っていた。
「えと、おかみさんは、何をやってんすか?」
「いや、あの子風呂入れて髪切って色々やるって・・・・なんかすげえ生き生きしてっから、止めれそうになかったぞ」
「あの、大丈夫っすよね?」
「ああ、うちの母ちゃんはああみえて何でもできっから・・・・心配は無いと、思う」
「大丈夫だよ! 母ちゃんはスッゴいんだから!!」
不安いっぱいなガンと親方。対してニコニコと何の心配も無いと笑う娘のロロナ。
「俺、やっぱり見てきて・・・・」
無性に少女の事が心配になってきたガンが席を立とうとした時
「はい、お待たせだよ! ん、なんだい立ち上がったりして?」
おかみさんが満足気な表情で戻ってきた。
「いや、ちょっと遅かったんで・・・・」
「そうかい? ちょいと待たせ過ぎたかね?」
どうやら、おかみさんは時間の感覚がなくなっていたようだ。
「けど、時間を掛けた分。我ながら満足なできになったよ。驚くんじゃないよ!?」
なんだか、おかみさんは凄く興奮しているようだ。
「はい、いいよ! こっちおいで!」
おかみさんに呼ばれて、少しふらつきながらと少女が歩いてくる。
「・・・・おお、おい」
「スッゴ~い!」
親方とロロナが思い思いの言葉を漏らす。
だが、ガンは何も言葉が出てこず、ただ眺めるだけであった。
少女は、紫色の瞳をクリクリと動かすと、ジッと見つめるガンに対して、カクッと首を傾げた。
紫の瞳の少女がどんな恰好なのかはあえて引っ張ろうと思います。