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他我のために鐘は鳴らさない①

 弱い奴ほどよく吠える、俺は強いがよく吠える。

 ザナーク・アバロニク


 この世界は、私達のような孤独を望む人間を出来損ないの蔑むべき落伍者だと心得違いをしている大量の愚物共が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)で百鬼夜行三昧の、まさに暗黒時代だ。ヒトリでいることに耐えられるだけの精神的堅牢(けんろう)さが無いために、ご立派な経歴や趣味や所有物を(ひけ)らかすことで自らを虚飾して分不相応の名誉を得ることに腐心し、ヒトリでいる者を哀れだ惨めだと貶して自己肯定感を満たす、服を着た野良犬がこの世界には多過ぎる。コイツらは常に群れる。そして相手によって態度を変える。自分のより質の良い服を(まと)う者には舌を出し尻尾を振って愛想を振りまき、同等の者がいたら細々(こまごま)とした装飾の価値を説いたり、立派な服を纏う知人を自分のことのように語る。そして、自分のより質が低い者には口の端から唾液を垂らし脂下がった笑みを浮かべ、ライターで炙るようにいやらしく中傷する。こんな性根の歪んだ愚物共と同じ娑婆の空気を吸うくらいなら、自室でもひと気のない公園でもどこでも良いからヒトリになれる場所で孤独を楽しんだ方がよっぽど有意義だ。いや本当、私が争いを望まない穏和な性格で良かったと思う。直接暴力に訴えることなくこうやって思い上がりも(はなは)だしい駄文をつらつら書き連ねることで溜飲(りゅういん)を下げる小心者じゃなかったら、今頃道ですれ違うヒトリヒトリに怯えながら生活する世界へと化していたに違いない。

「ははっ! 何やら強い言葉を並び立てて周りと馴染めない鬱憤(うっぷん)を晴らそうとしているみたいだが、いくら頑張ったって君が落伍者であるという事実は変わらないんだよ?」

と、嘲笑を浮かべること以外何の能も無い浅学非才な愚物に良いことを教えてやろう。ケツの穴をかっぽじってちゃんと聞くがよい。

ドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレント曰く、

「孤独」とは自分自身と一緒にいる状態を意味する。それはつまり、

ドキュメンタリーや物語中の人物の笑みや優しさ、涙や呻吟(しんぎん)する様子を観ていたらいつの間にか胸の(うち)に宿っていた数多(あまた)の感情の一つひとつを(いつく)しんだり、

木々の(そよ)ぐ音や髪を揺らす風、街衢(がいく)のあちこちから漂ってくる夕食の匂いが与えてくれる安らぎに浸ってみたり、

過去の出来事を反芻(はんすう)して「当時の自分が何を考え何を諦めたのか」「他人の言動からどんな感情や意図を感じ取ったのか」に想いを馳せたりと、

醜さの砂漠に砂金一粒程度の美しさが眠るこの世界を、自分はどう受け止めたのかを再認識する作業である。内省を繰り返すことで豊かな精神を(はぐく)み、真の意味での優れた存在へと自らを昇華させることが出来るのだ。

「なーんだ、要は映画や花火とか初の日の出とかを観て感動するってことか! そんなん誰だってしてるし! 最後に至っては昔のことをウジウジ気にしてるだけじゃん!」

 と、浅慮な愚物共の声が聞こえてきた。可哀想だが、自分のことを感受性豊かで向上心のある人間だと思い込んでいる凡愚の欺瞞(ぎまん)をここで暴いてやろう。

 端的に言えば、コイツらは自惚れが強い鳥頭に過ぎないのだ。話題の作品に触れた「自分」、人気の観光名所を訪れた「自分」に夢中で目の前のものなど(ろく)に観ていない。()しんばそれらを目にして感動を覚えたのが本当だったとしても、胸に生じた感情の殆どが「他人から少しでも感受性豊かな人間に思われたい」見栄という名の不純物で構成されている。更に、日々量産される特定のニーズ向けのサプリメントコンテンツに視線を奪われて昨日好きだったものを今日にはすっかり忘れてしまう程度の記憶力しかないから、当然過去の出来事も覚えていない。そういう人間は回顧(かいこ)のやり方がわからない。だからいつまでたっても進歩が無い。(いたずら)に時間を消費するだけで何も学ばないし得られない。しかもその虚しさに気づきもしない。少し汚い例えになるが、(ちまた)で流行りのパンケーキをわざわざ行列に並んでまで買って、口に含んだのに味わわず路上に吐き捨てて、スマホで別の流行っているものを探すのを繰り返すような生き方で満足している。哀れにすら思えてくる。

「孤独」という心的動作は、私達のような世界を隅々まで認識し得るだけの精神的視座・視力と、認識したあらゆる刺激を解釈・観念化出来る感受性を持った一部の天才が、他人に煩わされない環境を得てやっと可能となる。「孤独」とは傑物だけが座れる玉座の別称だ。

残念というか当然というか、知人・友人との繋がりに囚われ、流行を追いかけそれをただ消費するだけですぐに別のものに目移りし、精神的豊かさを持っていないから身近に横溢(おういつ)する何よりも美しく尊いものを認識出来ずにわかりやすい張りぼて同然のエンタメに飛びつく、装飾過多で内面が(うろ)同然の厚顔無恥な朽ち木共にこんな高度な知的活動など出来るはずもなく、ましてや理解など不可能なのだ。

だから、「孤独」がいかに高尚なものかわからない愚物共は我々の背中に「劣等」と書かれた紙を貼りつけてそれを不可視の指でさして嘲笑ったり、脂下がった笑みを分厚い面の皮で隠して近づき、集団の輪に入れ、適応できず右往左往している様を見て心配するフリをして密かにほくそ笑むという愚行を何の躊躇(ためら)いもなくやってのけてしまう。

前者に対しては無視するなり教師や上司にチクるなり報復するなり、いくらでも方法はあるが(最後は法を犯さないように細心の注意を払う必要があるからあまり推奨しない)、厄介なのは後者である。何せ傍から見れば善人だから、コイツらが差し伸べた栗の花(くさ)い手を拒否することは、自ら悪人に成り下がるのと等しい行為となる。更に言えば、渋々輪に入ってしんねりむっつりな態度をとっていたら、

「ごめんね……やっぱり楽しくないよね。無理しなくていいから」

 と、気が遣える優しい人間のフリをしたり、取り巻き連中相手に慰めを求め

「ヒトリで寂しそうだったから、せっかく声をかけてあげたのに」

 と、被害者面する。

 とんだ笑い(ぐさ)だ。

 誰が声をかけてくれと頼んだ?

 誰が仲間に入れてくれと願った?

……ミュウツーみたいなことを言ってしまった。『ミュウツーの逆襲』はポケモン映画の中で二番目に好きな作品だ。ちなみに一番はラティオス・ラティアス。

 とにかく、上から目線の善意とは実に醜いものだ。自尊心を満たすための善行に巻き込むな、と言いたい。私の手まで白濁したもので汚れてしまうではないか。「やらない善よりやる偽善」を悪用した唾棄(だき)すべき所業だ。

「随分酷いことを気持ちよさそ~に書いているけど、そういうのは目の前にいる人間に直接口で言った方が良いんじゃないかな?」とでも言いたげな、知らない有象無象の顔が浮かんできたから答えてやろう。悲しいかな、私は頭の回転数と比べて舌の回転数が遅すぎるため、思考を言葉として口から出すのがどうしても不得意なのだ。どもりがちな私を愚物は虚仮(こけ)にして話をろくに聞こうとしない。そもそも理解出来るだけの脳を持っていない。だから腹の裡で煮詰まりきった、黒々とした本音を口からぶちまけるのは諦め、面従腹背(めんじゅうふくはい)の体で愚物共のうすら寒い優しさに付き合ってやったのだ。私のように自晦(じかい)を余儀なくされている者は多いのではなかろうか。

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