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3/3

【下】

 どうリアクションしていいものか、判断に迷う。

 そんな数秒が過ぎ去ったそのとき、図書室の時計がチャイムを鳴らす。

 二人が目を向けた図書室の時計は、ちょうど午後四時半を示していた。

 図書委員の受付業務が終わる時間だ。


 特に会話を挟むことなく、二人は速やかに帰宅の準備をはじめた。

 カウンターのパソコンを準備室の中にしまう。

 準備室の内側から、カウンターにつながる扉にカギを閉め、それから反対側にある扉を通って廊下へ出る。

 廊下と準備室をつなぐ扉にもカギがある。

 そのカギも同様に、じんがいつものように外側から施錠を行う。


「じゃ、帰ろう」


 仁はそう言って、図書室の受付を担当している期間はいつもそうしているように、智弘ともひろと並び、昇降口に向けて歩き出す。

 普段なら、図書室でしていた何気ない話の続きをはじめるタイミングだった。

 だけど今、このときばかりは、どこからどう、会話を再開していいかわからない。

 大体にして、恥ずかしくて顔も見られそうにない。

 なんて仁が思い悩んでいると、先に智弘が口を開いた。


「で、仁。……さっきの話、お前はどう思う?」


「……どう思うって、なに?」


「だからさ。俺の気持ちは伝えただろ。……それとも何だ。アレじゃ、意味、分からなかったのか? あの好きってのは、友達として好きとか、そういうのじゃないことぐらい、わかるだろ?」


 智弘はどこか、からかうような口調でそうたずねてくる。

 なんだ、コイツ。

 仁には智弘のその余裕がわからない。

 どうしてそんな言葉を、面と向かって言えるんだろう。

 こっちの顔は火照っている。

 動悸だって激しい。


「……いや。キミの気持ちは、よくわかったよ」


「それで?」


「こっちだって、キミのことは嫌いじゃない。だから、なんだ……その、今後もよろしく、というか」


 強い心臓の鼓動を感じながら、仁はちらりと智弘へ目を向ける。

 智弘の表情は、柔らかい微笑みから、いつもよくやるような、少し意地の悪い笑顔に変わる。


「本当に、素直じゃないんだから」


 そう言って智弘は、肘で軽く、仁の肩を小突いてくる。


 その後しばらく、黙って昇降口に向けて歩きながら仁は、いつもよりも智弘の距離が近いと感じていた。

 いつもなら残るわずかに遠い距離感が、今日は肩が触れ合いそうなほどに近い。

 あるいはこの距離感が、今後は普通になってくるのかもしれない。

 それはたぶん、仁にとっても喜ばしいことだった。

 周りからどう見えるのかはわからないけれど。



  ※※※


 

 その後も智弘とは大した話もしないまま、仁は昇降口までたどり着く。

 互いのクラスの靴箱に行き、靴を履き替えて昇降口を出る。

 いつものように、出入り口の自動ドアを出てすぐのところで合流する。

 そのときはじめて、仁は智弘の顔をまともに見ることができた。


 改めて向き合っても、智弘の顔はいつもとそう変わらない。

 そりゃそうだ、と仁は考える。

 お互いの気持ちを理解しあっただけで、別に何らかの、大きな身体的変化があったわけではないのだから。

 今まではその、理解しあう、というのが何よりも難しいことだったのだけれど。


「ところでさ、さっきまでの話だけどさ」


 智弘がそう話しかけてきたとき、仁はずいぶんと気を緩ませていた。

 今日はもう、なんというかこの、フワフワとした幸せな気分のまま一日が終わるんだろう、なんて考えていた。

 だからもう、これ以上何があるのだろう。

 さらに何かを語ろうとする智弘に、仁はかすかな不満を覚える。


「またその話? 今日はもう、いいって。いい話ではあったけれど、その、お腹一杯だ」


「そうか? ……でも、俺としては、今日のうちに話しておきたいんだよ。あの手紙の話は、さ」


 そう続けた智弘の言葉を聞いて、仁は勘違いに気づく。

 ああ、さっきまでの話って、好きとかなんとかという話ではなかったのか。

 また恥ずかしさを覚えるが、なるべく表情に出さないようにして、言葉を返す。


「ああ。あの、名前のない手紙、ね」


 そう、気のない返事をする。

 同時に仁は心の中で、もうそれはどうでもいい、と思っていた。


 実際、仁の直面していた謎はもう解けている。

 それに、収穫としてはそれ以上のものがあった。

 大体にして仁は、真相を智弘に教えるつもりはなかった。

 ごまかすのは難題だなとも感じていたが、うまくやりおおせたように思えていた。

 誰がそこに置いたかわからない、名前のないラブレター。

 偶然がひどく影響した、とても単純なその真相を。


「話が途中になったけどさ、……結局のところ仁は、誰があの手紙を書いたんだと思う?」


「知らないよ。誰が手紙を書いたのかなんて、わかるわけない。迷宮入りだね。……状況からして、その三人のうち、誰でもそこに置けたわけだろう? それなら、相手なんかわかりっこないよ」


「じゃ、どうすればいいんだ?」


「放っておけば。大体にして、名前のない手紙なんかを書くやつが悪い」


 智弘が、むむむ、とうなるのを聞きながら、仁は考える。


 そう、それがそもそもの原因だ。

 名前のない手紙。

 でも、あの手紙を書いた人間には、智弘にそんな謎を与えるつもりはなかった。

 仁にはそれがよくわかっている。

 そもそものはじめから、仁には手紙を書いた相手がわかっていた。


 なぜって、あの手紙を書いたのは、仁なのだから。



   ※※※ 



 あの手紙に名前がない理由。

 それは至極単純な話だ。

 仁が名前を書き忘れたから。

 ただ、それだけのことだった。


 仁が智弘と出会ったのは、高校に入ってからのことだ。

 一度も同じクラスになったことはない。

 だけど、高校一年生のとき、偶然同じ図書委員になり、それ以来、少なくとも二月に一度の頻度で、それなりに時間を過ごしている。


 彼のことを恋愛相手だと意識したのは、一年の終わり際だ。

 図書委員の活動をこなしていくうちに、ともにいる時間をすごく楽しんでいることに気づいた。

 変わり者だとよく言われ、一人でいることが好きな仁にしては、珍しいことだった。

 だから去年の終わりには、来年も一緒に図書委員をやろうと話を持ちかけた。

 連絡先も交換し、ときどき、何気ない話題で連絡を取り合うこともあった。


 そのうちに自分の気持ちは伝えるつもりだった。


 だが、それからもう八か月――もうすぐ三年生になり、本格的な受験シーズンや就職シーズンがはじまる。

 三年生になれば図書委員の受付当番はもう回ってこない。

 仁が無条件に智弘と過ごすことのできる時間は終わろうとしている。


 終わりが来るその前に、自分の気持ちを伝えようと、仁はあの手紙を書いた。

 普段はそんなことに慣れていない仁が、直接顔を合わせたり、アプリやSNSで気持ちを伝えるのも難しいと考えた、苦肉の策だった。

 可能な限りの丁寧な字で書いた手紙には、最後に自分の名前を書き忘れた。


 そんな名前のない手紙がカウンターの中に落ちていた理由。

 これはもっと単純だ。

 仁自身が、そうと知らず、その場に落としてしまったのだ。

 なんてマヌケなんだろう、と仁は自分でもそう思う。

 慣れない告白なんかしようとするから、いろんなミスをする。


 昨日、放課後がやってくるまで、仁は自分で直接手紙を渡すつもりだった。

 あの日、仁は、廊下からカギを開けて図書準備室を抜け、図書室に入っていた。

 智弘が図書室の、建て付けの悪い入り口の扉の音を聞かなかったのも、テラスに足跡がないのも当然だ。

 仁はカウンターの奥の、図書委員か司書教諭しか使わないルートで入って来ていたのだから。


 そのとき仁は、図書室にすでに智弘がいたことには気づかなかった。

 それもまた当然だ。

 普段ならまだ智弘が来ない時間だったし、準備室のカギだって開けられていなかったのだから、図書委員の相棒である彼は来ていないものだと思っていた。


 そうして、書いた手紙――その日、渡そうと思っていた手紙をもう一度確認しようとしたら、ポケットの中からその手紙が消えうせていたことに気が付いた。

 瞬時に、パニックになった。

 通ってきた図書準備室の中を一生懸命に探し、その手紙を落としたばかりだったこと――つまり、図書室の床に手紙が落ちていたことには気づかなかった。

 図書準備室のカギを閉めてから、自分の教室まで廊下をさかのぼった。

 それでも見つからない。


 放課後が来るまで手紙はリュックの中に入れていた。

 そのリュックが入っていた、教室にあるロッカーの中を探しながら、智弘には、今日は図書室にはいけそうもないとメッセージを送った。

 他にも、探せる場所は全部探した。


 さっきまでいた図書室に手紙を落とした可能性だってもちろん考えた。

 だがすでに智弘は図書室にやってきているはずだった。

 手紙はもう、彼自身から見つけられているかもしれない。

 智弘がいる時間には、とてもじゃないけれど図書室に足を運べなかった。

 午後四時半を過ぎ、智弘が帰ったはずの時間になってからのぞいてみた図書室にも、手紙はなかった。


 書いたはずの手紙がない。

 拾ったのは智弘か、あるいはこちらのことすら知らない、何の関係もない生徒か。

 もしも智弘が拾っていたら。

 そう覚悟を決めてやってきた今日の放課後――。


 智弘には目立ったリアクションはなかった。

 拍子抜けした後に、智弘から『名前のないラブレター』の相談を持ちかけられた。

 手紙は智弘の元に届いていた。

 ただ、そこに仁の名前はなかった。


 だけど、そのおかげで仁は、仁にとっての一番の謎だった、智弘の気持ちをより深く探ることができた。

 スポーツウーマン。

 ギャル。

 メガネっ子。

 三者三様の魅力を持つ彼女たちに、智弘の気持ちはなびいてはいなかった。

 それで十分だと思っていたのに。


 それなのに智弘は、仁が想像すらしなかった言葉を与えてくれた。

 仁の方は、様々なミスの結果、あんなに奇妙なラブレターを生み出してしまったというのに。

 


   ※※※



 こんなマヌケな経緯のことは 気持ちが通じ合った今も、できれば智弘には教えたくない。

 そう考えていたのだけれど――。


「でもさ、本当に、あの手紙を放っておいていいのか?」


 なんだか含みのあるその言葉に、仁は首をかしげてみせる。


「別に構わないじゃないか。だって、キミにはもう、……その、特別な相手がいるんだろ?」


 自分で言っておきながら、仁は少し恥ずかしさを覚えていた。

 仁の言葉を聞いて智弘が微笑む。


「まあ、そうだな。だけどさ、その特別な相手がもし、手紙の出し主なら、最高じゃないか?」


「……どういう意味だよ、それ」


「そのままの意味だよ。俺さ、さっき、お前に自分の気持ちを伝えたけど……あれ、ある程度の勝算があったから、そうした。気持ちにウソはないけどな」


 勝算?

 困惑する仁を前にして、智弘はさらに言葉を重ねる。


「あの手紙を書いたの、お前だろ、仁」


 仁は、智弘を見つめる。

 彼は真剣な表情をしている。

 冗談だ、と言って、吹き出したりはしそうにない。

 やがて仁は目を逸らし、すねたような声を出す。


「なんだよ、それ。……目星がついてたんならさ、はじめから、そう言ってくれよ」


 仁がそう自白したとき、智弘がパッと明るい表情を見せる。


「やっぱり、そうだったのか。……いや、実際のところ、目星なんかついてなかったけどな。なんであの手紙があんなタイミングで、あんなところに落ちていたのか、そのあたりはさっぱりわからない」


「……なんだって?」


「本当さ。ただ、お前が書いたのかも、ってことだけには気づいた。そして、確信したのは、ついさっきだ。お前が俺の告白を、受け入れてくれたから」


「……じゃあ、あの三人の話は、いったいなんだったんだよ」


「あれ? ああ、あれはあれでもちろん、可能性があるのかな、とは思っていたよ。昨日、家に帰ってからもずっと、そのことを考えていたぐらい。手紙を書いたのは仁なのかも、と気づいたのは、今日、お前と顔を合わせてからのことだよ」


 今度は仁が不思議そうな顔をする番だった。

 智弘は真相がすべてわかっているわけではないらしい。

 だとするとむしろ、誰が書いたのかだけを当てる方が、一番難しそうなのに。


「お前と話している間だって、仁が本当に何の関係もない可能性だって考えてた。あるいは、あの三人の中の誰が書いたのか明確に推理してくれる、なんてこともあるかな、と。もしくは仁が、あの三人の中の誰かに協力してもらったとか。何せ、わけのわからないことが多すぎるし、な。……そもそも、なんで名前がなかったんだ? 何か深い意味があったのか?」


「別に。名前は書き忘れただけだし、手紙はキミに渡そうと思っていたのに、あそこに落としてしまっただけ」


 仁がそう言うと、智弘はさすがに、目を丸くしてみせる。


「そんなことだったのか?」


「マヌケだろ。我ながら、そう思う。もっといえば、図書室には、テラスからでも、音のなる図書室の入り口からでもなく、図書準備室を通って入ったんだ。そのとき運よく――あるいは運悪く、智弘がカウンターのところにいなかっただけで、さ。そんな多くの偶然が重なって、この始末」


 はあ、と大きなため息をついて、仁は続ける。


「こんなマヌケな告白、なんとかごまかしとおせるかな、と思ってたのにな。結局のところ、バレてしまった」


「まあ、いいじゃないか。終わり良ければすべて良し、ってな」


「……これ、終わりじゃないだろ。むしろ、はじまりだろ」


 せめて一矢報いたくて、言葉尻をとらえた仁のその言葉は、智弘を喜ばせたようだった。


「それも、そうだな。……じゃあさ、はじまりがてら、ひとついいか? 俺さ、お前のことも名前の方で呼びたいんだけど」


「名前で?」


 仁は少し嫌そうな顔をしてみせる。

 仁は、どちらかといえば、自分の名前が好きではなかった。


 同年代の中でも変わっている方だと自認している。

 映える写真を撮ることも、流行のドラマやファッションを追いかけるのも、クラスメイトで集まってああでもない、こうでもないと恋バナをするのも、一度は試したことはあるけれど、あまり好きではなかった。

 たぶん周りには、誰かを好きになることもない、なんて思われているはずだった。


 だから、可愛らしさやしとやかさ、大和撫子なイメージを持つその名前は、そんな自分には似合わないと感じていた。

 クラスメイトにも、できれば苗字の方で呼んで欲しいと頼んでいたぐらいだった。


「知ってのとおり、自分の名前、あまり好きじゃないんだけど」


「わかってるよ。でもお前が書き忘れたその名前、俺は結構好きなんだよ。新しい関係になれるのなら、せっかくならそっちで呼びたい」


「……勝手にしろ」


 そっけなくそう答える。


「じゃあ勝手にさせてもらうよ、薫子かおるこ


 智弘はすぐにそう、仁の名前を口にした。

 じん薫子かおるこ

 手紙にも書き忘れたフルネーム。


 ……出会ってからずっと、名字で呼ばれていたのに。

 これが新しい関係になるってことなのだろうか。

 その呼び名に慣れるのっていつのことなんだろうかと、仁はそう考える。

 ただ、もし慣れるということがあるのなら……、その頃には、自分には不釣り合いだと感じるその名前のことが、少しは好きになれているのかもしれない。


 校門を抜けた頃に、ふと、仁が智弘にたずねる。


「だけどなんでキミ、手紙を書いたのが私だと気づいたんだ? はじめは私である可能性にすら気づいてなかったのに、そこまで確信させたものって、いったい何?」


「ほら、これ。……俺は今日、お前がハンドクリームを塗っているのを見て、気づいたんだ。鼻が慣れているせいで、薫子には、すぐには感じ取れないかもしれないけどさ……匂い、確かめてみて」


 智弘はそう言って、胸ポケットから仁の書いた手紙を取り出す。

 この放課後の話題をずっと占めていた、名前のないこの手紙。

 手紙を手に取り、仁はそっと鼻を寄せてみる。


 その手紙は、ラベンダーの香りがした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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[良い点] 手紙の差し出し人を探す物語 すっごい面白かったです
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