リスナーの恐怖体験
『恐怖体験募集』って事で、応募させていただきます!
古い話で恐縮ですけど、昭和時代の思い出話をさせてもらいますね。
某国営放送……って、実際には国営じゃないんですけど、そう呼ばれてる放送局に、私は一時期勤めていたことがあるんです。あ、でも『本局』じゃないんですよ、地方局です。それに身分はアルバイト。今風に言うと、フリーアナウンサーってトコかな? うふふ。
その頃は、そんな職種はなかったんで、私たちは『アシスタント』さんって呼ばれてました。
短大を卒業したばかりの私は、そこでラジオのディスクジョッキーって呼ばれる仕事をしていたんです。エッヘン、なーんちゃって。ふふっ。
いやだなあ、年がバレちゃう。ま、それはこの際いいんだけど。
どんな仕事をしてたとか、そのあたり肝心なことは全然覚えてないんですけど、その頃の放送局の空気は覚えてます。常にざわざわしてわくわくしてて、時に張り詰めたような。懐かしいなあ……。
私たちアシスタントの勤務は、朝から夜まで休憩込みで八時間。
勤務時間の大半は番組制作に費やされますが、三時になると、お茶汲みもしていました。今って、どこの企業もお茶汲みなんてしてないですよね。
そのことだけでも、この話がいかに大昔の話か、ご理解いただけたかな? なーんちゃって。
私が当時担当していたのは、夕方六時から五十分間の生放送。FMの音楽番組です。ディレクターも付いていないミニ番組、技術さんが音声チェックしてくれるだけ。
私は月、火、水曜日担当で、レコードをかけるのは相方の女の子。その子も同じアルバイトで、番組出演は彼女と私が週替わりに担当していました。つまり、彼女が出演する週は、私が円盤をかける係なんです。やだー、円盤ですって。
田舎のFM放送ですけど、当時は商店街やショッピングモールで一日中FMを流してる店も多くて、親戚や友人から、買い物してると私の声が聞こえてきてびっくりする、なんて言われたりもしました。
声しか知らないDJ。どんな人だろう、綺麗な人なのかな? って想像してくれるファンもいたりして。ウフフ、いい思い出です。
あんな怖い体験さえしなければね。
あっ、ごめんなさい。前フリが長いですね。
じゃ、私のとっておきの怪奇譚をこれからお話いたしまぁす。
もう古い話だから、すっかり記憶も薄れてる出来事なんですけど、あの時感じた恐怖感だけは覚えてます。
本当に怖かった。
思い出すと未だに体が震えるくらい。
その日は終戦記念日でした。
お盆なんですけど、私は勤務日に当たっていて、朝から通常勤務。
葉書の整理をして、番組の原稿作り。合間にお茶汲み、他には天気予報やお知らせを読むのも、業務の一環としてありました。
そして、夕方五時五十分。
私と、相方の女の子ヒロちゃんは、いつも通りアナウンス室を出てスタジオに向かいます。そのスタジオは、複数の技術さんが詰めていて、レコードをかける係の子は、よく若い技術職員からチョッカイかけられてましたね。
正直ウザかったです、うふふ。
私は不器用だから、ミスをしないように緊張感マックスで番組作りに臨んでるのに、話しかけてこられると困るんですよ。気が散っちゃって。
無論、向こうも声をかけるタイミングには気を遣ってくれてたんでしょうが、私は別にコミュニケーション取らなくていいのになぁ〜なんて思ってました。可愛げがないタイプなんです、私。んふふ。
スタジオの隅っこにある狭いラジオブースは、事務机が一台と、背もたれ付き丸椅子が二脚置いてあるだけ。机の上にあるのはマイクと、カフと呼ばれる装置。カフは、アナウンサーがマイクのオンオフ出来る機材です。
ホント懐かしいなあ。今はどんな風に変わってるんだろう。
こうしておしゃべりしてるうちに、当時のことをどんどん思い出して来たぞ。ウン。
あっと、いけない。怖い話でしたね。ごめんなさい、ついつい脱線しちゃう。
私も年だから、さっきから話が横道に逸れてばっかりでごめんなさいね。
その日は終戦記念日を意識して、戦争に関するお葉書をいくつか紹介して、懐メロも二、三曲流すことにしていました。軍歌じゃなくて、どちらかというとロマンティックな感じの曲を選びました。
当時はまだ昭和の終わりでしょ、だからリスナーの中には空襲を体験した方はもちろん、戦争に駆り出された方もいらしたんです。
ローカル番組ですしFMの音楽番組ですから、リクエストを下さる方はほとんど若い常連さんでしたけどね。
でも、たまに水茎の跡も麗しいって……我ながら古いなぁ。素晴らしい達筆で書かれたお葉書が届くこともありました。
私がその日、紹介すると決めていたのは、大空襲の体験談を送って下さった方の葉書とリクエスト曲。
その方は市内の大空襲のあった日、目の前の川に飛び込んで爆撃機が去るのをじっと待って、九死に一生を得たということを書かれていました。
空襲の翌日、その川にご遺体が次々と流れて来たそうです。それはそれは無惨で怖くて悲しかった、とも。
実は、放送局の目の前に川が流れているんです。市内の中心地ということもあって、おそらくその川にもご遺体が流れ着いたんじゃないかなって思った私は、葉書を紹介しながら胸が痛くなりました。
葉書を読み終えて、ラジオブースの外にいるヒロちゃんに、曲を流す合図を送ったんですけど、音楽が流れてこない。ブースの窓からスタジオを見たら、ヒロちゃんが定位置である機材の前に座っていない。
「ちょっとぉ!」
私はマイクオフにしてから、思わず叫びました。
30秒間、無音だと放送事故になります。私たちバイトの女の子には何のお咎めもありませんが、直属の番組担当ディレクターとアナウンサーは始末書を書かされます。
自分のせいで他人が責任取らされるのって嫌なものです。
私は仕方なくマイクをオンにして
「あれ、おかしいなー。曲かかりませんね。しばらくお待ちください」
そんなふうに言いながら、どう繋ごうか焦っていました。
私の『喋り』はスタジオ内に全部流れています。アナウンス室でも流れています。
何かアクシデントがあったら、スタジオ内でチェックしている技術スタッフさんや、アナウンサーの人がブースまで駆けつけてくれます。
「おーい、ヒロちゃん! どこぉー」
放送で流れちゃいますけど、わざとそう呼びかけたりもしました。しかし、一向に彼女が帰ってくる気配もなければ、誰も私のいるブースに来てくれません。
その時になって、私は気付きました。
ここ、暗くない?
本来ラジオブースは、天井の蛍光灯が部屋を明るく照らしていますし、机の脇には小さな蛍光スタンドもあり、手元も明るいんです。
それなのに、今、私のいるブースはだんだんと薄暗くなってきている。蛍光灯は点滅して、今にも消えそうでした。
冷房が一段と強くなったような気もします。ブース内は寒い、と言っていいほど冷えてきています。
私は混乱して、何を喋ったらいいのかわからなくなりました。というよりも、こんな事態にどう対処したらいいかわかりません。
突然、ガチャ! という音がして、ラジオブースの重い扉が開きました。
入ってきた人を見た私は声を失いました。
紛れもなく戦時中の兵士です。
実際に見たことはないけれど、写真で見たことはあるので兵隊さんだとわかりました。
その人はブースの入り口に立ち、キョロキョロ見回した後、「異常なし!」と厳しい声で言ってブースを出て行きました。その間、僅か五秒ほど。私の存在は全く目に入っていない様子でした。
誰かのいたずら? ドッキリ?
やがてモニターから『桑港のチャイナタウン』のメロディーが流れているのに気づいたのは、兵士が出て行ってからどれくらい経ってからでしょうか。
私は本当に、本当に何が起きたのかわからず、ブース内で固まっていました。
外では、ヒロちゃんが技術さんと楽しげに会話しています。
何が起きたのか尋ねるため、立ち上がろうとした瞬間、足首を誰かに掴まれたのです!
私の足首をしっかりと掴む手指の感触。
震えが全身を襲います。私は視線だけを下に向けて、デスクの下を見ました。
足下の床に誰かが横たわっていて、私の両足首を掴んでいます。
悲鳴を上げた気もするのですが、そのまま意識が飛んでしまい、その後のことは覚えていません。
私の異常に気づいたヒロちゃんがブースに入って来て、番組エンディングまで代理で放送してくれた、ということは後で聞きました。
私は、アナウンス室から飛んで来たチーフアナに支えられて、ようやくブースから出ることができました。どうやら一人では立ち上がれなかったようです。
何があったか、アナウンス室の人や技術さんから尋ねられましたが、上手く説明出来ません。
何か人のようなものが床に倒れていて、私の足首を掴んでいた。それは覚えているのですが、それが何だったのか、姿形を全く覚えていないのです。
さらには、その前に起きたこと。
時空を超えてラジオブースに入ってきた兵士。
一体あの時、何が起きていたのか。
私はアナウンス職や技術職の人、アシスタントの女の子たち全員に、私の体験したことを全て話しましたが、みんな半信半疑でした。
私はその後、怖くてラジオブースに入ることが出来なくなり、番組を降りました。
今は、その放送局は、当時とは違う場所に移転しています……。
文章全体にある違和感に気づいてくださった方はいらっしゃいますか?