2.勇者は、使用人を躾直す
屋敷前に馬車を停めれば、ランスロットの記憶にある面々が姿を現した。
帰りが遅くなったお嬢様を心配する目もあるが、帰ってきた事を驚く目、無関心な蔑む目まである。
クラウド公爵には二男二女の子どもがいる。お嬢様は、その一番下だ。
マリアお嬢様のお母様は、お嬢様が五歳の頃に病死された。身分の低い方だったので、屋敷での暮らしは肩身が狭かったに違いない。
もしかすると、十分な治療も受けられず亡くなったのかもしれない。
マリアお嬢様の父である、公爵様はそのお母様をことの他寵愛され、とても大切にされていた。それが、正妻であるアーリア夫人の怒りを買っていたのだろう。
公爵様は仕事で忙しく、家を離れる事も多かった。いや、今でも多い。
だから、子供たちの中で一番に可愛がっているマリアお嬢様に、様々な被害が及んでいるのに気が付かれないのだ。
アーリア夫人やその子供たちのマリアお嬢様に対する態度は酷い。彼らの使用人は、その影響を受け、お嬢様に失礼な態度をとっている。
当然だろう?誰もそれを咎めないのだから。
ランスロットは、お嬢様を守るので精一杯で、反撃に出ることは無かった。彼の力量ならばできた筈だと思うが、お嬢様に危害が及ぶのを恐れたのだろう。
任せておけ!俺には結界魔法もあるぞ。
まず、使用人達から、躾け直してやろう。
お嬢様のお世話は着替えと入浴のみ、信頼できる侍女に任せている。侍女のエンマだ。三つ編みの冴えない風貌だが、真面目で気立てがいい。
今日もずっと玄関で待っていたのだろう、お嬢様が俺にエスコートされて馬車を降りてくる姿を見て、転がるように駆けてくる。
「エンマ、ただいま。」
「おかえりなさいませ。お嬢様。すぐにお風呂の用意を致します。」
「そうして。」
湯が溜まるまでの間に、俺はお嬢様に紅茶を入れる。今日は、お疲れだから、少し砂糖とミルクを垂らそう。
「お嬢様、お茶が入りました。」
「ありがとう、ランスロット。あなたのお茶は、いつも美味しいわね。」
当然だ。ランスロットは、お嬢様に美味しいお茶を飲んで頂くために、もの凄く研究したのだから。
俺はお嬢様の賛辞に、ランスロットがいつもしていたように、恭しく頭を下げる。
お湯が溜まったらお嬢様は、エンマと共に浴室に移動された。
この屋敷で信頼できるのはエンマだけ。今もノックもせずに侍女が乱暴に部屋に入ってくる。
今までは許されていたかもしれないが、俺は許さない。
入ってきた侍女の正面に立ち、バンッとドアを叩く。
「公爵家の侍女ともあろうものが、ノックもせず入室するなど、許されるものではありません。もう一度入り直しなさい。」
口答えしようとする侍女を冷たく睨み、口答えを許さない。
ビクッとした侍女は、何度か口を開け閉めすると、大人しく廊下に戻る。勿論、俺もその後をついて行った。
横からノックをするのを注視する。
「あ、あの……。」
「何ですか?」
「な、なんでもありません。」
「さあ、どうぞ。」
侍女はチラチラと俺を見上げると、ドアをノックした。
「駄目ですね。ノックの仕方がなっていません。さあ、もう一度。こんな基本もできないとは恥ずかしい。」
侍女は真っ赤になって、もう一度ノックをする。
「先程よりは良くなりましたが、まだまだです。さあ、姿勢を正してもう一度。」
侍女は既に涙目だ。俺は基本優しい方だが、優しさよりもお仕えする喜びが上なんだ。俺の前で泣いても効果は無いよ。
侍女は一生懸命に背筋を伸ばし、もう一度ノックをした。
「良いでしょう。今のノックを忘れないように。お嬢様の部屋を訪れる際には、注意してください。さあ、部屋に入って良いですよ。」
侍女は、お嬢様の郵便物を部屋の入口で俺に渡すと、頭を下げて、出て行った。
公爵からの手紙だ。恐らく、今年の誕生日に戻る事ができない詫びの手紙だろう。
お嬢様が、さぞやがっかりされるだろう。
来月は、お嬢様の15の誕生日。ランスロットは既に誕生日プレゼントを用意している。
風呂から上がったお嬢様の髪のお手入れは、俺の仕事だ。
お嬢様のお好きな香油を髪にのばし、ランスロットが使えた風魔法と火魔法の組み合わせで、温風を出す。
彼は練習はしていたが、俺ほどコントロールが完璧ではなかったので、心地よいには、少し足りなかった。
俺は指先に風を纏わせながら、軽く頭皮もマッサージしていく。
「ランスロット、それ、気持ちが良いわ。」
お嬢様が湯上りの少し火照った顔を、満足そうに緩める。
そうでしょう?これ、気持ちが良いんですよ。
髪が乾くと、お嬢様の髪に天使のリングが輝く。
エンマが湯の始末から戻り、お嬢様に果実水を渡す頃には、もうお嬢様は眠そうだ。
「お嬢様、少しお休みになりますか?」
「そうね。空腹も感じないし、少し休みたいわ。」
お嬢様は、可愛らしい欠伸を漏らされて、ベッドにはいられた。間もなく落ち着いた寝息が聞こえる。
俺とエンマは顔を見合わせて、微笑みを交わした。