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とりとめもなく喋りながら、ぼくたちは掃除を続けた。
仕事は適当になってしまったが、もともとそれほど汚れていなかったので構わないだろう。
だらだらやっていたせいで一通り掃除を終えるころには、午後六時前になっていた。
「こんな時間か」
「こっち着いたのが遅かったしな。みんなもう帰ってきてるんじゃないか」
窓の外を見ると東屋の方でコンロやアウトドアテーブルの設営をしているメンバーの姿が見えた。
「ほんとだ。バーベキューの準備してるみたい」
「ちょうどよかったな」
一階と二階の浴室を使い、シャワーを浴びてからぼくたちが合流すると缶ビール片手に部長があれこれ仕切っていた。
手慣れているようで、コンロの網の上ではすでに数匹の川魚が焼かれている。
「これ今日の釣果。幸先いいでしょ」
部長が誇らしげに笑った。
「鳥見だけ坊主だった」
五反田が付け加える。
「まだ初心者だから仕方ない。まあ明日からは見てろよ」
鳥見が弁明した。
そんな風にして初日の夜が始まった。
酒も入ってみんな舌も滑らかになり、非日常的な雰囲気のおかげかぼくも幾分打ち解けた気分になっていた。
正直最初は馴染めるか不安だったけれど、みんな気を使ってくれて、第一印象が悪かった鳥見とでさえ色々と歓談したことを覚えている。
長旅の疲れから、鍵だけ萩原に渡してぼくは早めに引き上げたが、残りのメンバーは遅くまで残っていたらしい。
その後遺症で、翌朝まともに起きて来られたのはぼくと萩原だけだった。
ぼくはともかくとしてどうして萩原が平気な顔をしていられるのかはわからないが。
萩原はぼくよりも早く目覚め、トーストとコーヒーを準備した上でぼくを起こしてくれた。
ぼくはリビングのソファーに腰掛けコーヒーを口にする。
「昨晩はみんな結構飲んでたね」
「いつもこうだよ」
「でもさ、最初は打ち解けられるか心配だったけど、みんな良い人でよかったよ」
「ちょっと関わったらすぐ良い人だもんな、マルは」
萩原はにやっと口角を上げる。昨日も思ったが、なんとなく皮肉めいた暗示があるように思えた。
「違うの?」
ぼくはストレートに訊ねた。
萩原は軽く微笑んで、
「いや良いやつらだと思うよ。けどちょっとルーズなんだよな」
奥歯になにかものが挟まったような言い方だが、昨晩の様子を見て酒癖のことだろうと解釈した。
たしかにルーズではあるかもしれなかった。
メンバーが顔を見せ始めたのはようやく昼前になってからだ。
ブランチに素麺をいただいて、お昼過ぎになるとようやく調子も戻り始めたようで、二日目は釣りサークルらしく、全員で釣りに出かけることになった。
ぼくは糸と針をあらゆる場所に絡ませ、周囲の手を焼かせたけれども、怪我の功名というべきかそれによってサークルメンバーとのコミュニケーションが生まれた。
「丸内って、萩原と仲いいんだよな」
絡まった糸をほぐしながら五反田が訊ねてきた。
五反田は意外にも面倒見が良く、トラブルが起こる度に文句も言わず助けてくれた。
こいつになら伊藤を任せてもいいかもしれないと思った。
「そうだね。いつもつるんでるわけじゃないけど、なんだかんだで」
「あいつさ、普段どんな感じなの?」
「え?」
「いや、萩原ってみんなと上手くやってるけど、だれかとすごく仲がいいって感じでもないだろ」
「たしかにちょっと不思議なところがあるよね」
「だろ。いまいち掴めないんだよ」
五反田は大きな岩の上に立っている萩原に眼差しを向けた。
萩原はちょうどキャスティングをしようとしているところで、一連の動作はかなり様になっていた。
ウキが水面に落ちてからは、その一点をひたすら見つめている。
「たしかになに考えてるかわかんないよね」
ぼくが呟くと、五反田も噴き出した。
「入学してすぐのころも、モデルをしてるっていう女子から告白されててさ。一旦は付き合ったんだけどすぐ別れたとか」
「へえそれは初耳だな。ぼくはそのころの萩原は知らないから」
とはいえ、萩原を近くで見ているといかにもありそうなことだとは思う。一緒に歩いていると、街行く女性の視線を一身に集めているのがよくわかる。一八〇センチの長身に甘いマスク。それでいてガツガツしておらず、どこか超然としていて頭までいい。モテないわけがない。
ぼくとしても差がありすぎて嫉妬すら起こらないほどだ。
「おれなら絶対そんなもったいないことしないけどな」
「たしかにね」
「あ、これ莉緒には言うなよ。怒るから」
「わかってるって」
五反田も真面目そうに見えて結構俗っぽいこと考えるんだなとなんだかおかしくなる。
「萩原の内面……か」
五反田が別の場所に移動した後、ぼそっと呟く。
普通、それなりに親しくなってくると身の上話も増えてくるものだ。
ぼくと萩原だってその例に漏れず、ほかの友達と比べてだが、打ち明け話だってしてきた。
けれどもどれだけ一緒にいても、ぼくたちの間にはそれ以上踏み込まないようにしている一線があったように思う。
たとえば萩原の家族の話題。
仲良くなって半年くらい経ったころでさえ、ぼくは萩原の父親が代議士をしていることも知らなかった。本人が家庭のことをまったく話さないからだ。
もっとも家族の職業の話なんてそうそう話題に上がることでもないが、萩原の場合、こと家族の話になると、うんとかああとか、曖昧な返事しかよこさないのだ。
だから、ぼくも触れてほしくないのだろうと思って、あえてその話をすることもなかった。
だけど去年の年末に、周囲の学生が次々と実家に帰省を始めたころ、ぼくはついこう訊いたことがあった。
「萩原は実家に帰らないのか?」
萩原の出身は東京だと言っていた。
ぼく自身は実家に住んでいたから、いつまでも帰省する様子もなく連日誘ってくる彼に対して、なんとなくした質問だった。
「うち、家族仲あんまりよくないんだよ」
萩原は少し寂しそうにそう笑って答えた。そのときは酒が入っていたから、口を滑らせたのかもしれない。あるいはぼくを信用してくれていたのか。どちらだったのかはわからない。
それからほどなくして、萩原の父親の職業を知り合いから聞かされた。
偏見ではあるのだけれど、それなら複雑な家庭事情があるのかもしれないなと妙に納得したものだ。
だからぼくは今回少し安心したのだ。
「ひょっとすると萩原は勘当されているのでは?」なんて想像したこともあったから、人に話したくない事情があるにせよ、別荘を貸してもらえるくらいには、親御さんとの繋がりがあるのだとわかって。
そのあと、ほかの四人が何度も場所を変えて、ずいぶん上流の方へ行ってしまったから、屋敷の近くの釣り場に残ったのはぼくと伊藤だけになっていた。
てっきり伊藤は五反田にべったりだと思っていたが、そういうわけでもないようで、まだ二日酔いが抜けていないから、とこの場に留まっていたのだ。
ぼくはたいして仲良くないだれかと二人きりになると気後れしてしまう。それが同年代の女の子ならなおのことだ。
弱ったなあと思っていたが、なぜか伊藤はしきりに話しかけてきた
「丸内くんの専攻ってなに?」
「丸内くんは彼女いるの?」
「丸内くんは普段なにしてるの?」
ひどい質問攻めだ。――ぼくに興味があるのか、と思ってしまいそうになるくらいに。
おまけにやたらスキンシップが多く、細い指がTシャツ越しにぼくの二の腕に触れるたびもどかしい気持ちになった。
さらに彼女は暑いからと塩分補給用のお菓子をくれたり、アウトドア用の小さなバッグから、水筒を取り出して紙コップにお茶を注いでくれたりもした。
きっと五反田のことを知らなかったら、ぼくはすっかり勘違いしてしまっていたことだろう。
だが過去の苦い記憶は、ぼくのちっぽけな理性に対して警鐘を鳴らしていた。
勘違いするな! 釣りをしている間はほとんど待ちの時間だから、必然的に会話をすることになる。これはお互いが気まずくならないような心遣いにすぎないんだ。
だが追い打ちをかけるように、伊藤はしなを作ってこう言った。
「ねえ、運転得意ならさ、よかったら今度どこか行こうよ」
水面に大きく波紋が広がった。
「あ、ああ、今度みんなでね!」
慌ててぼくは目を逸らす。
なにかがおかしい。わかってはいたが、ウブな心がときめいてしまったことも事実。
ぼくみたいな男をからかってなにが楽しいのやら。
これでは五反田も気苦労が絶えないかもしれないな、と少し同情した。
その一日を通して釣果はゼロだったが、人間関係の方はそうではなかった。
部長から鳥見までまんべんなく歓談する機会があったからだ。
釣りという媒介があることで、お互いにずいぶん話がしやすかったためだろう。もちろん向こうから気を利かせてくれたことは大きいが、普段ならしどろもどろになって返事に窮してしまいやすいぼくにとって、明確に会話の内容が提示されていることは大きな助けとなった。
なんとなく避けていたが、サークル活動とは理にかなったものなのだなと感心した。なにをいまさらと自分でも思うが、なにぶん友達作りに関しては釣り以上に素人なのだ。
とにかく、大学に入って以来、萩原以外の友達はまったくできていなかったが、ようやくその状況にも変化の兆しが表れたのである。
残念なことに、それは単なる兆しにすぎなかったのだが……。