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 「だめだ、やっぱり返事がない」

 その翌日の昼、伊藤を呼びに行った部長がリビングに戻ってきて、不安げに首を振った。

 五反田の件で部屋に籠ってからというもの、伊藤は一度も姿を見せていなかった。

 もちろん一度か二度、部屋の前まで呼びに行く程度のことはしたけれど、あまりしつこくするべきではないという判断でそっとしておいたのだが、姿を見せていない時間があまりにも長すぎた。

 

 前日の昼過ぎからほとんど一日近く部屋から出ていないのだ。食事や風呂はともかくとして、トイレに行った様子すらない。

 もちろん夜中にそっと部屋を出ていた可能性はあるが、それにしたって呼びに行って返事すらないのはおかしい。

 

 「みんなで行ってみよう。言葉も発せないくらい具合が悪いのかもしれないし」

 萩原が提案し、一同は階上へと向かった。

 「伊藤、大丈夫か?」

 そんな風なことを、それぞれ遠慮がちに投げかけるも、やはり反応がない。

 ドアノブをガチャガチャ捻っても、内側から鍵が掛かっていて開かない。

 

 「まずいな」

 萩原がつぶやいた。

 「どういうことだよ」

 鳥見が怯えた声で萩原の顔を覗き込む。

 「いやそれはわからないが、これだけして返事がないのは明らかに変だろ。ドアを破ろう」

 うんうんと何度も頷いて、鳥見はドアの前を部長に譲る。

 「せーの!」

 部長と萩原が思い切りドアに体当たりするが、大きく壁ごと振動するだけだった。

 鍵のかかったドアを破るのは口でいうほど簡単なことではないらしい。

 

 あきらめず体当たりを何度も繰り返し、ようやく蝶番から軋みがし始める。

 「代わるよ。交替でやった方がいい」

 ぼくはそう言って、鳥見と二人でドアにぶつかっていく。振動は目に見えて小さくなったが、それでもさきほどまでの積み重ねもあって、デッドボルトの受けが浮き上がり、ドアの木材にも亀裂が生じていた。

 

 「よし、もう一回代わろう」

 部長と萩原で最後の一押しをし、ついにドアが部屋の中に斜めに倒れていく。

 「おっと!」

 ぼくと鳥見で、そのままつんのめってこけそうになる二人を支える。

 「やっと開いたか……って。うわっ!」

 部屋の中の様子を目にした部長がそう叫んで後ずさり、ぼくにぶつかる。

 しかしぶつかったことにすら気付いていない様子で、その両肩はガタガタと大きく身震いし始めた。

 

 二人の体に隠れて中が見えないため、ぼくは部長と萩原の肩の間に割って入る。

 萩原がそれに気づいて、目が合うが、彼は黙って静かに首を振った。

 「ひっ――!」

 視線を動かしたぼくは、思わず甲高い悲鳴をあげてしまう。

 

 ――太いロープが天井の梁から伊藤の首まで伸びていた。

 遊び終わったブランコのように、その体は柔らかく揺れている。

 「う、う、うそだろ……?」

 遅れてその様子を目の当たりにした鳥見が苦悶の声を絞り出した。

 男四人して一分以上もドアの前に立ち尽くす。

 不測の事態ばかりが続いたせいで、判断力はすっかり底をついていた。

 半開きになった窓から風が吹き込んで、伊藤をかすかに揺さぶった。雨が近いのか湿った風が死臭をぼくたちの方へと運んだ。

 

 「……とにかく、ベッドに下ろそう」

 ようやく我に返った萩原が静かに言って、部長と萩原とぼくの三人でようやく遺体を宙づりから解くことができた。

 伊藤の体は冷たく、三人がかりなのに重たく感じた。

 「もう嫌だ!」

 鳥見はタガが外れたように泣き叫んだが、だれも励ましの言葉はかけられなかった。みんな同じ気持ちだったからだ。

 遺体にシーツを被せてぼくたちは部屋を出る。部屋のドアは壊れてしまったので、二階を通るたびに対面しなくてはならない。おそらくもうだれも二階へは上がろうとしないだろう。

 

 腰の抜けてしまった鳥見に肩を貸して、四人でリビングへ集まる。

 だがだれもなにも言うことができないまま時間だけが過ぎていく。

 もう言葉でどうにかなる段階は通り過ぎてしまったのかもしれない。

 「ごめん、気分が優れないから部屋に戻るよ」

 部長がやっとのことでそう口に出した。

 「わかった。夜までおれたちの部屋を使ってくれ。多分鳥見も一人になりたいだろうから」

 「すまない」

 部長も鳥見も廊下へと消えていく。

 

 リビングにはぼくと萩原だけが残された。

 「マル、変なことに巻き込んですまなかった」

 萩原がぽつりと言う。

 「別に萩原のせいじゃないだろ」

 「おれが誘わなければこんな思いはさせずに済んだから」

 「どこにいても同じことだよ。むしろまだ生きてるだけマシかもしれない」

 こんなときまで他人の気遣いをする必要なんてないのに。そう思いつつぼくは答えた。

 「だけど――」

 「わかってる。もう言わなくていいよ」

 と萩原の謝罪を遮った。優しい口調のつもりだったが、そう聞こえただろうか?

 ざあっと音がした。

 そっとカーテンの隙間を覗けば、スコールのような勢いで雨が降り始めていた。

 

 ぼくと萩原は気まずい空気のまま、ほかに行くところもなく、漫然とリビングで時間をつぶした。ふかふかの高級なソファーも、苦痛を和らげるにはいたらない。

 せめてコーヒーでも入れようとキッチンに行って、電気ケトルのスイッチを入れるが、うんともすんとも言わなくなっていた。

 まさかと思って照明のスイッチを入れてみるが、そちらの方も反応はなかった。

 どうやら停電してしまったらしい。


 その旨を萩原に伝えると、

 「発電機の燃料補給しないといけないね」

 そういえば、すっかり忘れていた。庭を通る必要があるから、五反田が庭に居座ってからずっと補給できていないことになる。

 「でも、五反田がいるだろ。それにもう燃料も少ないんだし無理に行く必要も――」

 萩原が手でその先を制した。

 「このままにしておくわけにはいかないよ」

 短くそう言って、萩原は部屋を出ていこうとする。

 「待って。ぼくも行くよ」

 「いや、来ないでほしい」

 「どうしてだよ」

 「理由は訊かないでくれ。頼む」

 萩原の声音からは感情が読み取れない。

 だが有無を言わせぬ口調に、ぼくは押し黙ってしまう。

 「ちょっと時間がかかるかもしれないけど、心配はないから」

 出て行く際に萩原は一度だけ振り返った。

 「ここで待っていてくれ」

 

 それから一〇分ほどして、照明がパッと光った。室内が、暗澹とした気分に即さないほどに明るくなる。

 だが燃料の補給は無事できたようだ。萩原本人も無事帰ってくればいいのだが。

 しかしいくら待ってもその気配がない。

 ああまで言われて、ほいほい出て行くわけにもいかないが、やはり気になって仕方がない。

 萩原はなにをしているのだろうか。

 すでに萩原が出て行ってから三〇分以上が経過していた。


 痺れを切らしたぼくは、五反田に気づかれないように、部屋の照明を落として、カーテンの隙間に滑り込んだ。

 するとそこには思いもしない光景が広がっていた。

 庭の隅の方で何者かが穴を掘っていたのだ。

 カッパを着ていてはっきりとはわからないが、シルエットからそれが萩原であることは推測できた。

 「なにやってるんだ、あいつ」


 ぼくは萩原に言われたことも忘れ、玄関を開け庭に出て行く。

 警戒して周囲を見渡すが五反田の姿はない。

 すぐにTシャツの中にまで雨が染みてきたが、気にせず萩原の元へと駆け寄る。

 「おい、萩原。なにしてるんだよ」

 雨でぼくの気配に気がつかなかったのだろう。萩原驚いた様子で振り返った。

 「マル……!」

 ぼくは萩原が掘っていた穴の中を覗く。こんなコンディションで、その上たかだが数十分で掘れる深さなどたかがしれている。深さはぼくの膝ほどまでもなかったが、穴の中には五反田がピクリとも動かず横たわっていた。


 五反田は首元に大きな切り傷を負っていて、それを見ただけでもう死んでいるのは理解できた。そしてその傷を作ったのが萩原だということも。

 「このままにしておくわけにはいかないからな。友達だから」

 萩原は悲しそうに視線を落とした。顎の輪郭からは水滴がポタポタと垂れて地面を濡らす。

 「手伝うよ」

 「でもスコップがない」

 「じゃあ代わろう」

 「いいって」

 「体が冷えてるだろ。風邪をひかれたら困る」

 ぼくはその冷えた手からスコップを奪い取った。

 「それに伊藤の分も掘らないといけないから」


 掘っても掘っても雨水が穴を崩してしまい、作業は順調には進まない。

 だがそれでもぼくたちは交替で作業をして、ようやく二人の体が納まるだけの広さを掘り切った。こんなものを墓と呼ぶのははばかられるだろうが、いまできるのはこれくらいだ。

 自己満足に過ぎなくても、二人を弔うことができて、ほんの少しだけ気持ちが軽くなったような気がした。

 ――しかし穴の大きさはそれでは足りなかったのである

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