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 そこからが長かった。

 たまに屋上に出て遠くを見張るが、なんでもないかのように長閑だった。

 この地を取り囲む青々とした森と一筋の川。それに太陽と青空。

 それらは世界の情勢には無関心で、あくまで自分自身の生活を営んでいた。

 ぼくもそうなりたかったが、そうはなれないのが人間だ。

 下界のことに気を揉みながらも、かといってどうすることもできず、それでも正気を保つため暇つぶしに専心する。

 籠城一日目はそうして過ぎていった。

 テレビもない。ネットもない。外にでも出られない。仕方がないから五反田以外の五人で大富豪をやり続けた。

 あまりにも虚しかった。なにしろ外の世界は革命の真っ最中なのだ。

 やっとのことで日が暮れたときはほっとした。一日はこんなにも長いものだったのか。こんな一日があとどれほど続くのだろう。夜、疲れはあるのに体力はあり余っていて中々寝付けず、そんなことばかり考えた。

 

 だがそんな一日でさえ、まだまだ底ではなかったのである。

 籠城二日目の朝、ぼくたちが朝ごはんの準備をしていると、階上から伊藤の悲鳴が家中に響き渡った。

 驚いて二階への階段の前まで向かうと、伊藤が飛ぶように階段を降りてくる。

 伊藤はそのままぼくと萩原の横を抜けて、一階の廊下の奥の方へと逃げていく。

 それに続いて、凄まじい速度で五反田が階段を転がり落ちてきた。

 「どうしたんだよ、大丈夫か?」

 ぼくが近づこうとすると、ふいに腕を後ろから引っ張られた。

 「マル、待って。どうも様子がおかしい」

 萩原が首を振った。

 五反田はたっぷり一〇秒はかけて、むくっと起き上がったが、こちらを見るその目からはなにかが抜け落ちていた。

 そして、階段から落ちた際の衝撃で右腕があらぬ方向に曲がっていたのだが、まったく気にする風でもなく、突然ぼくに向かって飛びついてきたのだ。

 「マル!」

 萩原がまたもやぼくの腕を引いて、自らの後ろに隠してくれた。

 空振りした五反田は姿勢を崩して再び床に倒れこむ。

 

 廊下から部長と鳥見がやってきて、その様子を目にする。

 「どうしたんだよ、いったい」

 「五反田が感染してる! 外に出すからみんなは部屋に入っていてくれ」

 そう言うと萩原はわざと五反田の近くに立って、彼の注意を引いた。

 だが、ぼくと部長と鳥見はというと、理解が追い付かず棒立ちのままだ。

 五反田が光めがけてぶつかっていく羽虫のごとく萩原に向かっていくと、萩原は玄関のドアを引いて外に出た。

 

 五反田が誘導されて外に出てからしばらくして、萩原がドアから入ってきてガチャリと鍵をかけた。

 「とりあえず外に出した」

 萩原は息を切らしながら額の汗をぬぐった。

 「五反田感染してたんじゃんか!」

 鳥見がヒステリックに叫んだ。

 「そうだね。あれは空港で見た人たちと同じだった」

 ぼくもその事実に同意する。

 

 「つまり空気感染するってこと?」

 部長が恐る恐る口に出した。

 「わからない。みんな熱はあるか?」

 萩原が全員の顔を見回す。

 「ぼくは大丈夫」

 「おれもだ」

 「ぼくも」

 みんな手のひらを自らの額にやる。

 

 「ひとまずは大丈夫なんじゃないかな?」

 ぼくは気休めにそう言ったが、みんなともかくその気休めに同意してくれた。

 「それより伊藤は?」

 鳥見が言った。

 「そうだ。伊藤は大丈夫なんだろうか」

 部長が慌てて周囲を見やる。

 「廊下の奥の方に走っていったよ」

 萩原はそう教えた。

 二人は急いで伊藤を追って走り、ぼくたちもそれに続いた。

 

 廊下に伊藤の姿は見えなかったが、一〇一号室、元は部長の、そしていまは伊藤の部屋のドアに鍵がかかっていた。

 「伊藤、いるか?」

 部長がドアをノックする。

 しかし返事がない。

 「おいおい、大丈夫かよ。萩原、鍵は?」

 鳥見が振り返る。

 「だから合鍵はないんだよ」

 「なんだよそれ。じゃあ破っていいか?」

 「そうだな。それしかないね」

 男たちが体当たりを試みようとしていると、急に部屋のドアが開いた。

 伊藤は真っ青な顔色をしていて、化粧も涙でぐちゃぐちゃになっていた。その上、異常な速さで呼吸を繰り返している。

 「まずいな、過呼吸だ」

 部長は伊藤の背中を擦る。

 「鳥見、袋持ってきてくれ」

 「わかった!」

 二人はそれほど慌てた様子もなくそれに対応している。こういったことが過去に何度もあったかのように。

 「キッチンにあるよ」

 萩原が鳥見に教える。それからぼくの方を見て、

 「こっちは外の様子を見てこようか。全員ここにいても仕方がないし」

 「そ、そうだね」

 

 ぼくと萩原は二階へ上がって、窓から庭を眺める。

 そこにはふらふらとあてどなくさ迷う五反田の姿があった。

 あれほど剛健に見えた彼もこうなってしまうのか。哀れをその誘う姿はぼくの心に恐怖を与えた。ぼく自身が、いやそれよりも家族だってああなってしまうかもしれないのだ。

 「おい、マル。しっかりしろ」

 萩原に肩を揺すられて我に返った。どうやら釘付けになっていたらしい。

 「あ、ああ、大丈夫」

 ぼくは何度か頷き、さっきのことを思い出して礼を言った。

 「さっきはありがと」

 「え?」

 「さっき、二度も手を引いて助けてくれただろ。でなきゃいまごろ……」

 「なんだ、そんなの当たり前だろ。マルが無事でよかったよ」

 萩原はにこっと笑った。

 

 「それより五反田をどうするかだよ。外まで誘導できたのはいいけど、このままじゃ窓を破って入ってくるかもしれない」

 「たしかにそうだな」

 ぼくは考える。

 「庭から柵の外まで誘導する?」

 「いや、柵の門の前には家具を置いて塞いであるだろ」

 「あ、そうか」

 まさかバリケードが自らの首を絞める結果になるとは。

 「でも、危険ではあるけど、どかせるならどかそう」

 「そうだね」

 「とにかく下で相談してみよう」

 「わかった」

 ぼくは萩原のあとをついて階下へと向かった。

 

 リビングでは、部長と鳥見が二人して沈んだ顔で座っていた。

 「あれ、伊藤は?」

 「ああ、一人になりたいって言って部屋に籠ってる」

 悄然とした様子で部長が答える。

 「部長や鳥見も辛いとは思うんだが、ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」

 萩原は二階でした話を二人にも話した。

 「たしかに、いずれどこかから入ってこようとするだろうね」

 部長も頷いた。

 鳥見は黙りこくっている。

 鳥見を除く三人で談義して、庭の五反田をどうにかして敷地外へ誘導するという話になった。

 

 唯一の出入口は、自分たちで塞いでしまっている。

 ぼくたちはタイミングを見計らって、積んだ家具をどけようと試みた。

 だが五反田に気付かれて何度も途中で逃げ出す羽目になった。

 すっかり閉じ込められてしまったわけだ。

 もう川で魚を釣って食料確保というわけにさえいかなくなった。

 絶望感がぼくたちの間に立ち込める。

 「でもさ、相手は病人だ。いつまでも元気なままではいられない。なんたってこの暑さだ」

 そんなムードをどうにかしようとしてか萩原がそう唱えた。

 「そうだね。ゾンビなんていうけれど、死者が蘇ってるわけじゃないんだ。健康な人間が勝つに決まってる」

 部長も萩原の言説を補強した。

 「そう。だから我慢比べさ。しばらくここに閉じこもってたらあいつらはいなくなるはずだ」

 萩原が大きく頷く。

 「だからもうちょっとの辛抱なんだ」

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