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世界の終わりなんかじゃないさ
きみがぼくを愛する限り
エリック・カルメン「エンド・オブ・ザ・ワールド」
いつなにが起きるかなんてだれにもわからないから、だれだってときには自分の居るべき場所に居られないこともある。
たとえば入試の前日インフルエンザを発症するとか、ペットの死を旅先で知らされるとか、そういったケースのことをいう。
そうしたアクシデントが起こったのが、それらのタイミングでさえなければ、ぼくは単に数日寝込むだけで済んだし、東京ディズニーランドで泣きべそをかくこともなかっただろう。
この世には間の悪い人間がたしかに存在する。
その中に自分も入っていると気がついたのは小学校二年生のときだったが、そこから一生抜け出せないと気がついたのはつい最近のことだ。
そしてときには、居るべき場所に居られないのとは逆に、自分の居るべきでない場所に居合わせてしまうこともある。
当時ぼくは一人の女の子と付き合っていた。
ぼくには勿体ないほど可愛い子で、しかも人生初の彼女だったから、
夜寝る前と朝起きた瞬間に毎回その喜びを深く噛みしめていたことを覚えている。
別の言葉を使うなら、まあ、浮かれていた。
ところがある日、彼女が見知らぬ男と手を繋いで歩いているのを、車の中から目撃してしまった。
彼女へ渡すつもりの誕生日プレゼントを、彼女に秘密で購入した直後の出来事だった。
お互いの秘密が悲しい形で交差した瞬間だった。
最初は見間違いだと思った。
というか思いたかった。
だがぼくの横には一緒にプレゼントを選んでくれた友達がいた。なにを買えば女の子が喜んでくれるか見当もつかなかったので、モテる友人にプレゼント選びを手伝ってもらっていたのだ。
「見間違いだよな?」という感じで横を見ると、友人の表情は完全に凍り付いていた。
おもむろにぼくの顔を見て、
「見たか?」
と訊いてきた。
「なにを?」
なんてとぼけることはとてもできなかった。
ぼくはそうする代わりに、にっと口元を緩めた。
どうしてそうしたのかわからないがそうした。
遠くの方で、彼女も同じように口元を緩めたまま、見知らぬ男とホテル街に消えて行った。
それからしばらく茫然自失の体でいたが、長く深淵なる沈黙ののち、ぼくは秘密の誕生日プレゼント購入会の中止を宣言した。
友人はぼくの様子をひどく心配して、色々話しかけてくれたがまったく耳には入らなかった。
当時のぼくにとって、その事件は世界が終わったのにも等しかったから。
一人になったあと、何時間も涙を流し続けたが、それでさえ静まる様子がなかったため、世間の人に倣って酒を煽ることにした。
弱いので普段はめったに飲まないのだが、このときばかりはタガが外れていた。
以前にお土産として貰って以来、戸棚の奥で埃を被っていた薬草系のリキュールの栓を開け、ラッパ飲みしたのだ。
甘ったるい液体に喉が焼け、アルコールが血流に乗ると、少しだけ痛みが薄まった気がした。
弾みがついたぼくは、やけくそのように胃に流し込んで、酩酊の世界へと突っ走った。
そして気づけば彼女に一〇回くらい電話をかけ、それでも繋がらなかったため、今度はさっきの友人にヘルプの電話をかけていた。
友人はすでに自宅へ戻っていたにもかかわらず、すぐにぼくのアパートまで駆けつけてくれた。
「――こういうとアレだけど、相手の本性がわかってよかったのかもしれないよ。まだ付き合いだして日が浅いんだし」
ぼくに付き合って酒を飲みながら、友人はそう言って慰めた。
だが当時のぼくにはとてもそうは思えなかった。そしていまでも思えていない。
「こんなことってあるかよ……! ひどすぎる!」
というような内容を延々くだ巻いたのを覚えている。
途中からの記憶はないが、なくてもいい記憶だったのはたしかだ。なんならこの日の記憶まるごとなかったことにしたいくらいだったし。
行き場を失った女ものの腕時計はいまだにぼくの心を締め付けている。
悲劇から一か月、ぼくはいよいよ四六時中「なにか」に身構えるようになった。
懸念は常に現実になるし、懸念がないときは不意打ちをくらう。だから常にこれから起こる痛みを想像しておくことで痛みに対処できる。そういう考えだ。
これはそれなりに有効な対策だが、完璧ではない。
いくら身構えようと痛いものは痛いし傷付きもする。どれだけ意志を強く持っても、たとえ気功の達人でも、車に轢かれれば無事ではいられない。
今回もそうで、ぼくはとてつもなくひどい状況に直面した。
夏休みがはじまって少し浮かれていたから、そろそろ悪いことが起こりそうだとは思っていた。
そして実際に起こった。
気がついたら、世界が終わっていたのだ。
なにかのたとえではない。本当に世界中の人々が大勢死んで、世界中の社会機能が停止しようとしていた。
そんな危機的状況にもかかわらず、なぜぼくがまだ生きているのかというと、やはり間が悪いからというほかない。
世の中が終わり始めたその日、ぼくは山奥での釣り合宿なるものに参加してしまっていた。
元々釣りの趣味なんてないにもかかわらず、今度に限ってちょっとした事情から、気まぐれに参加していた。
いわゆる虫の知らせというやつかもしれない。ぼくの虫は働き者なのだ。だが無能でもある。
――こんなことならいつも通り部屋で本を読んでいればよかった。そしてそのまま世間と一緒に、滅びるなら滅びればよかった!
世界中がだめになったあとで、自分だけ生き延びてなんになる。これじゃ生き延びたというよりもすぐに死ななかっただけだ。
散々自分の運命を呪ったあと、ぼくは持参していた日記帳にすべてを書き殴ることにした。
なぜこんな悠長なことをはじめたかというと、もう慌てても仕方がないところまで来てしまっているからだ。
なにより、こうしていないと現実に耐えられなくなる。
小学校のころから長年書き続けてきた日記というものをぼくは信用している。
書くことでマイルドに現実と向き合える。心の中を整理できる。
だからそんな効用があるといいな、と思いながらこれを書いている。
心を整理してどうする。そう思わないでもいいが、死を前にすると人間なにかと整理したくなるものなのだろう。
そう、ぼくはいま死に瀕している。そしてそれがいつやってくるのか、いまかいまかと待ち構えてしまっている。
だからこそこれを書いていて、書いているうちに喉元まで迫ってくれればいいと思う。
せめて書いている間は現実を忘れていたいから。




