第四話 アシュリー・フェニックス
真夜中に咲く満月が照らしたのは、密かにスカイハイの外壁を伝い歩き、ランドルの部屋へ侵入を試みる少女の姿。彼女の名はアシュリー・フェニックス。アーカムの十二番目の息子であり、容姿端麗なか細い女性であるが、見かけに寄らない度胸があった。
「何者だ……」
ランドルは暗闇の中で近づく物音に気付き、自身の枕元に仕込んでおいた短剣を手に取る。
「私です。アシュリーですよ、お兄様。このような夜分に訪れたことは、誠に申し訳なく思っておりますが、折り入って頼みがあるのです」
ランドルは相手が仲の良かった妹であると分かると「アシュリーか」と気を緩め、彼女が侵入してきた窓辺から差し込む夜風を感じ取って、「こんな夜分に、それも相当な危険を冒して、何の用だい」と態度を改めた。
「私と一緒に、あの男を討ちませんこと?」
「何を言うかと思えば、そんなことを言うためにわざわざ、こんな決起夜行を?」
「ええ、そうですわ。白昼堂々、あの男について話をしていたら、いくら命があっても足りません」
彼らが思い浮かべる男とは長兄、リガロのことに他ならない。それを協力して殺そうと言うのだから、ランドルは必要に声を潜めて話す。
「おれが真っ昼間に行った訓練稽古を見て、この申し出をしようと考えたのか?」
「いいえ、わたくしが思うに兄弟の中で有力なのは、イーサン兄弟とアーロンお兄様くらいでしたから、ある程度の目星はーー」
「その中で最下位のおれにこんな話を……」
「そんな風にご自分を卑下なさらないで。少なくともランドルお兄様は、あの男に対抗し得るエゴを持っていらっしゃる。……それで早速、本題に移りたいのだけれど」
「そう、早まるな。何も協力するとは言っていない」
ランドルはキャンドルライトに火を灯し、絶妙なライディング加減を受けて、凄みを利かせる。
「このままだとお前、早いうちに死ぬぞ」
「……」
「いいか、過去に囚われたら、あとは少しずつ死んでいくだけだ」
「そんな説教は欲しくない」
「おれは命が惜しい。だから、あの人と戦わない。お前も復讐に関しては諦めろ。兄のスティルだって、そんなことは望んじゃいない」
「あなたに、お兄ちゃんの何がわかるの!」
「何もわからないからこそ、冷静に物事を判断できる。異母兄弟とは言え、同じ父を持つよしみから、こうして仲良く忠告してる。いいか、絶対にあの人とは関わるな。わかったな」
アシュリーもランドルと同じく実の兄がいた。スティル・フェニックス。かつて、リガロを兄と呼んだことが原因で、無残にも絞め殺された不幸な人物である。
アシュリーの生い立ちは悲哀に満ちていた。
まだ幼かった自分を甘やかしてくれる兄と、それを温かい目で見守る母。とてもゆったりとしていて、朗らかな雰囲気の家庭で育った。
しかし、兄のスティルはリガロの強さに憧れ、よく「自分もあんな風になりたい」と、日頃からアシュリーに打ち明けていた。
その時のアシュリーはリガロの人柄を知らず、同じ兄弟なのだから親しくなって鍛えてもらえばいいと、軽はずみに進言してしまった。
「リガロ様とお友達になれるかな……」
「なれるわよ、きっと!」
そして、あの悲劇が起こった。リガロにスティルを殺され、彼女たちの母が申し立てを行うも正義は果たされず、悔しさのあまりアシュリーを置いて、その母まで自殺を遂げてしまう。
ランドルはこの騒動を深く記憶していた。
それでアシュリーの覚悟を受け取り、きちんと話し合って考えを改めさせようとしていた。だが結局のところ、無関係な人物であるが故に逆効果を生み出し、アシュリーをより意固地にさせる。
「いいわ、もう誰も巻き込まない……」
アシュリーが胸に抱く、自責の念をランドルは知らない。自らが無責任にしてしまった返事で、大切な家族を失ってしまった後悔など。
「待て、アシュリー!」
「ありがとう、お兄様。お陰で決心がついたわ」
アシュリーは破談したが、それでも手応えを感じていた。ランドルが止めようとしてくれたお陰で、この沸々とした感情の根源にある復讐こそ、我が人生であるのだと確信できたのだ。
ランドルはそんな彼女の背中を追わず、スティルの一件でイーサンの安否を不安に思い、夜空へ向かって愚痴を溢した。
「兄さん、どうか無事でいてくれよ……」