努力と無知と
石畳のレンガを翠色が這う。それらは懸命に新しい芽を出そうとしている。その上をいく彼らも当然、新しい大人として芽を出そうとしているのだ。彼らは苔むし、街を這うように巡らされた石畳をこれでもかと踏んづけて、その先へ行こうとしている。白い息を吐いて、彼らは進む。
「よぉ、ベレーの坊ちゃん。今日もお友達とお出かけですかい。お父さんに礼でも言っておいてくれな。」
そう言われて笑顔で返したのはベレーである。彼はベレー帽がお気に入りである。ベレー帽のベレー、なんとも安直である。
「やっぱりこの街はいいなぁ。こんなにも商店が並んで、みんな笑顔でいるんだから。活気があるし、まさに僕にぴったりの街だよ。」
彼は鼻高々に言うのだ。
「いやぁ、なんてったってすごいなぁ。こんなところの大学に通わせてもらうんだから。君の言う通りすごい活気に溢れているね。」
このように言うのはクラシカルハットを被るクラシである。なんともまた安直なものである。彼らはたまたまパブで出会って幾分かの話をした仲である。お互い初めてこの街に来たということで、うっすら酔いを浴びて歩き呆けているのである。
彼らが歩いていると一団が見えた。何やらプラカードを掲げているようだ。雑多なような模様の蛇である。黒や褐色、茶色の服を着た一団がまるで力の抜けた酔っ払いの腕のように2列縦隊で進んできた。なにやら一団はプラカードに書いてある言葉を叫んでいるのである。私たちを見て、私たちを見て、と。商店と商店の間に伸びる路地にクラシを連れ込みベレーがこう言った。
「みてみなよ、クラシ。彼らはどうしてこんなことをしていると思う。」
「んー、僕にはわかんないなぁ。田舎の叔父さんの家で育った僕からすると、こんなのは初めてみたよ。君は都会で暮らしてたんだろう。わかるなら教えてくれないかな。」
「そうだね。彼らはみんな怠け者なんだよ。この街は僕の子供の頃はとても貧しかったのさ。でも、知事が商団を誘致してこんなに豊かにしたんだよ。なのに彼らは以前より貧しくなったってさ。この街のみんなが豊かになったのに、彼らだけは貧しくなった。おかしいよね。」
「そんなことがあったんだね。でもさ、彼らは知事のことも悪く言ってるよ。」
「あぁ、知ってるよ。僕はパブで何度も聞いた。でもね、文句を言うならお前がやれ、と思うんだよ。ああはなりたくないものだね。」
ベレーは憤然とこう語った。クラシはハッとしたような顔で路地から一団を見る。そうすると黒い制服を着た人たちが来て、一団を警棒で散らそうとするのだ。一団の先頭にいる1人が倒れた。倒れざまに1人の警官の服を掴んだ。警官のズボンは落っこちていく。あれよあれよと白い布が見えてしまった。白いぞ、白いとの叫び声と共に赤い顔をした警官が誰それの頭を殴った。そこから、あたりはてんでばらばらになって、誰も見えないほどの砂煙が立ち込めた。2人は路地から抜け出し、砂埃を抜けた。路地から漂うのはうれきった梨の匂いだった。
いつのまにか広場にいた2人はつんざくような声を聞いた。ちょうど噴水のところで粗末な木箱をひっくり返し、その上であれこれと話している男を見つけたのだ。大声でだ。あたりには砂糖に群がるアリのように人がいる。男のいうことにいちいち頷いてはたたみかけるように言うのだ。そうだ、そうだ、と。男はなぜ路地裏がこんな状況なのかと言っているらしかった。ベレーは堪忍ならなかった。彼は怒ったのだ。みてみろ。新聞で見た知事があの男の言うような悪いやつに見えるか。優しそうな顔をして、しかも苦労人なんだ。田舎から出てきて、一から知事になったんだぞ、と。ずっとクラシに語っている。人のことを悪くいうなんて信じられない。そう彼は最後に言った。クラシはそれを聞いて何度も何度も頷いた。クラシはなんとも澄んだ顔でこう言った。
「確かに、あんな風に文句を言うくらいなら自分で努力したほうがいいね。うまくいっていない人がああやって悪口を言ってるんだよ。」
ベレーとクラシは努力を誓った。
それから数年が経った今、クラシカルハットの男が新聞に掲げられた。新聞の見出しは最年少のクラシカルハットの軌跡であった。その男が知事になってからというもの街は大いに発展した。摩天楼が空を埋め尽くすほどの大都会、豊かさの象徴である。クラシカルハットの男は新聞のインタビューにこう答えた。
「私がここまで来れた理由は努力です。うまくいかないときには他人にあたりたくなるでしょう。しかし、そんなときは自分と向き合います。その積み重ねですね。何もかもうまくいかないのなら努力が足りないのでしょう—————」
摩天楼の巣窟から離れたバラックの街の中でベレー帽の男が粗末な果物箱の上で叫んでいた。彼はつぎはぎだらけのベレー帽を脱いだこう言った。
「みなさん、あの摩天楼を見てください。摩天楼はこの街の豊かさの象徴と言われています。しかし、みてください。このバラックで住む私たちはいくら努力しても一日生活するのが精一杯の賃金しかもらえません。私たちは忘れ去られているのです。いくらデモをしても、警棒に殴られてしまいます。私たちの声は聞こえません。聞くこととは程遠く、しまいには・・・この記事を見てください。ここにはこう書いてあります。知事がデモを行う人間にはこう言ってやりたい、お前がやれと言ったことが書かれています。なぜ、バラック街がこんな状況なのでしょうか。それは—————」
周りの人間は自ずと頷いている。
その遠くから何も知らない少年たちが話し合っていた。彼らはなんらかのやりとりをして努力を誓った。
いかがてしたでしょうか。努力を誓い合った2人が最後にどうなったか。これは努力をしたことのある人にこそ当てはまることだと思います。ベレーは知らなかったのです。デモをしている人たちや、男の演説を聞いている人たちが努力をして生活をしているということを。決して知事への批判ではなく、その人の悪口を言っているのでもなく、自分たちの生活を豊かにしようとしていることを。私が高校2年生の時に努力をすれば自分の行きたい大学にいけると語っていた人がいました。しかし、その人は今そこへ進学することができていません。久しぶりに会ってみると前のようには、努力をすればとは言いませんでした。もっと言うと模試や学校のテストで点を取れない人を努力が足りない人間とは言いませんでした。彼は初めて努力をして、挫折を味わった。だからこそ、ベレーと同じように努力をしてもがき苦しんでいる人と同じように声を上げたわけです。クラシとベレーの数年後の姿はその人の受験失敗の前と後を表しております。
さて、「お前がやれ」という言葉に私は思い入れがあります。基本的には目上の者に何か意見を言う際に言いかえされる物だと思っております。部活動の顧問やら会社の上司などが思い出されます。個人的には人に指示を出し、それに則って人は動くのだから、影響を受ける人の意見をそうバッサリ捨てるのはいかがなものなのかなあと思います。しかし、いつぞやの時だったか、テレビでの討論番組を見ていた知り合いがこういいました。論者が悪口を言っているのが我慢ならない、人としてどうかと思う、批判するくらいならお前がやれと。視点を変えれば、その論者も仕事として必要とされているからそうしているのです。しかもその知り合いは論者のことを悪く言っているし、批判もしています。知り合いの論理でいくなら、知り合いにこそお前がやれと言われるべきです。そう言った人の姿もベレーを通じて表現できていたらと思います。