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2話

 蹴られた。

 胃液が出そうになる。

 なんでこんな目に。

 見上げると、そこには下種な笑みを浮かべた同い年の少女たち。


「何見てんだよ!」


 踏みつけられる。

 今度はこらえきれずに吐いてしまった。


「うわっきたね!」

「こいつ吐いた!」

「ぎゃはははは!」


 品のない大笑いが響く。

 石を投げられた。

 こぶし大ほどの大きさ。

 痛い。

 

 なんで。

 

 なんで。

 

 なんで、なんで。


「なんで? あはっ!」


 声に出ていたようだ。

 真菜の問いに、囲っていた少女たちはいっせいに嗤う。

 悪意にまみれ、しかし自分たちの行いが悪いことだとは思っていないのだろう。


「ウザいんだよ、お前」


 ウザい。

 便利な言葉だ。

 具体的なことを一切言わずに、しかし相手の反論を封じる言葉。

 ぶつけられる方はたまったものではないが。


「いいから死ねよ」


 足が振り上げられる。

 真菜は思わずぎゅっと目を閉じた。



 目が覚める。

 カッと開いた目に映ったのは、天井から吊り下げられた豪奢なシャンデリア。

 ここはどこだろうか。

 息が荒い。

 ……記憶が混濁している。

 身体を起こすと、気持ち悪い感覚が全身を支配している。

 寝汗でぐっしょりとしている。

 最悪の目覚めだった。


「……はぁ」


 具体的な内容は覚えていないが、どうやら悪夢を見ていたようだ。

 こわばった身体、早鐘のように脈打つ心臓。

 こんな反応を示す内容の夢と言えば、おそらくはあの光景。

 真菜がいじめを、暴行を受けていた時の夢。

 あの時抱いた恐怖を思い返すと、未だに身体が震えてしまう。

 両腕を抱き締めて視線を落とす。

 すると、毛布がかけられていることに気付く。

 呼吸を整え、落ち着いて周囲を見てみる。

 天井のシャンデリアが示す通り、とても豪奢な部屋だった。

 豪奢といっても、例えば金きらぴかぴか、というような決して品がないものではない。

 物の価値などが分かるほどの人生の経験値を積んでいない真菜から見ても、この部屋の調度品はどれも高そうなものである、と分かるくらいにはいいものが多数、センス良く配置されている。

 ただ、同時に謎が深まる。

 こんな部屋に来た覚えはない。

 あの時、真菜は石造りの部屋で召喚され、アルヘラに憑依されてそのまま気を失ったはずだ。


『わらわがそなたの身体を操り、ここまで連れて来たのだ』

「……っ!」


 頭の中に響く声。

 驚愕のあまり、思わず息を呑む真菜。

 周囲をきょろきょろと見まわしてしまう。

 しかし、誰もいない。

 そして謎の声は真菜の身体を操った、と言った。

 それがさらに、真菜の混乱を助長する。


『くくく……落ち着け。今はいいが、いずれわらわの宿主として相応しい態度をとるようにな』


 真菜の取り乱しっぷりが面白かったのか、声の主は楽し気に笑った。

 そのうえで、いずれはそのような無様をさらすことのないよう釘を刺してきた。

 そう……声の主だ。

 誰の声だったか。


「……アルヘラ……さん?」

『そうとも』


 気を失う前、真菜はアルヘラに憑依された。

 ということはつまり、この頭の中に響く声は、アルヘラのもの。

 そういえば、聞き覚えがあった。

 あの時は痛みと迫りくる死から逃れるのでいっぱいいっぱいで他のことを気にする余裕はなかったが。

 よくよく思い返せば、確かに真菜に生か死かの二択を迫った声だった。


『考え、イメージするのだ。そなたには、答えを得るための下地を既に授けてある』

「……あっ」


 頭の中に、これまでにはなかった知識のわだかまりのようなものがぼんやりとあるのを知覚する。

 イメージする。

 イメージ。

 真菜は安直に、その知識のわだかまりに手を突っ込んでみた。

 引きずりだされたのは、憑依魔法に関する知識。

 真菜の中に、アルヘラがいる。

 十三歳の少女の器に、四千八百年生きた吸血鬼の女王の精神が収まっている。

 肉体を失い、幽体となったアルヘラが直接脳内に話しかけてきているのだ。

 そしてアルヘラから与えられた知識は、真菜の意識が眠っている間、身体を動かすことができることも教えてくれる。

 真菜が倒れかけたのは召喚の間。あんなところで気絶して体調を崩されては憑依しているアルヘラも困るので、身体を操ってこの寝室に連れて来たのだという。

 この事実によって浮かぶ懸念は、アルヘラに身体を乗っ取られるのではないか、ということだが、それは無いことが分かった。

 アルヘラが真菜の身体を操っている間は、幽体の休養をストップする必要がある。なのでできる限りアルヘラとしては避けたい。

 こうして話しかけるのも、休養のペースが遅くなるので最小限にすべき、ということだった。


「……すごい」


 謎が一瞬で解けていく。

 この知識さえあれば、地球とは違う世界で生きていくにも困りはしないだろう。


『その知識を大切にすることだ。何もしなければ劣化し、霧散してゆくぞ』


 真菜は知識のわだかまりに改めて意識を向ける。

 もやもやと、雲のように揺らいでいる。

 失ったら補充してくれる。

 そんな甘い考えが通用する相手ではないだろう。

 真菜に与えられた知識、魔法の力、新たな人生は、身体を捧げた報酬だ。

 それとて、王として功労者に報いただけであり、また宿主が簡単には死なないようにするため。

 頼り切った結果アルヘラに見限られ気が変わってしまえば、すべて取り上げられる。

 アルヘラにはそれが可能であることも、知識は教えてくれる。

 女王としては、宿主は真菜でなくともいいわけだから。


『せっかくだ。力を扱う訓練として、知識が無駄に消えぬようにしてみよ』


 そういわれて、真菜は知識をどう保管すればいいかを考える。

 消えないように。

 すぐ探せるように。

 その二つの条件で、パッと頭に浮かんだのは三つ。

 本。

 パソコン。

 そしてスマートフォン。

 パソコンもスマートフォンも家にはない。母子家庭で、お金に余裕が無かったから。

 ふと、地球に残してきた母を想う。

 けれども、今の真菜にはできることはない。

 痛む心を振り切って、真菜はどうにか目の前のことに集中する。今アルヘラに見限られてはならないのだ。

 ともあれ、スマートフォンだ。

 同級生が持っているのを、羨ましいと思ったのは一度や二度ではなかった。

 それを、イメージしてみる。知識のわだかまりを、好きな形にこねくり回せることが分かった。

 真菜はすぐさま、スマートフォンにすることを決めた。


「せっかくだし、あれにしよう!」


 同級生にとりわけ人気だった、オレンジマークのスマートフォンだ。

 真菜は知識の塊をこねて固めて、変えることに成功した。


『うむ。それでよい。それで魔法も使えるようになろう』


 アルヘラに言われ、さっそくオレンジマークのスマートフォンで魔法について検索してみる。

 イメージの中とはいえ、憧れのスマホをいじれることにうきうきとしてしまう。

 ウェブサイトで検索した結果――魔法とはイメージであるという。

 どれだけ明確にイメージできるかが重要なのだと。

 これまでの真菜にとっては異物であるそれは、眠ることで既に魔力ごと身体になじんでいるのだとか。

 寝て起きたらなじむなど何の冗談だと思わざるを得ない。

 けれどもなじんでいるのは事実のようだ。

 指先を立てて、唱える。


「イグニッション」


 指先にライターのような火が灯る。

 そしてそれに驚かなかった。

 魔法が使えるのが当たり前だからだ。


『これで、そなたのいうところのチュートリアルは終了だ。これからどうすればいいかは分かるな?』

「はい、わかります」

『よろしい。わらわは休む。努々、わらわを起こさぬよう気を払えよ』

「はい!」


 すっと、頭の中が軽くなった。

 アルヘラのアストラル体が休養に入ったということだ。

 起きた瞬間からそうだったので気付かなかったが、かなりの負担が脳にかかっていたようだ。

 二人分の精神が同時に稼働しているのでそれは当たり前だと検索結果が出る。

 ともあれ、これからすべきことだ。

 まずはこの城を出る準備だ。

 それらもすべて、既にアルヘラの手によって用意がなされている。

 真菜は寝室のクローゼットを開ける。

 そこに用意されていたのが、真菜の魔法使いとしての装備品だ。サイズ自動調整のエンチャントがかかっているので、着るものの年齢や体格は一切関係ないのがありがたいところである。

 さっそく、と手を伸ばそうとして、真菜は寝汗でぐしょぐしょだったことを思い出した。

 せっかくなので身ぎれいにしてしまおうと、真菜は魔法を使った。


「クリーン」


 使用者が不浄と思うものを取り払う生活魔法。

 非常に便利な魔法ではある。魔術にも同じものがあるが、魔法ほどの万能性はない。

 魔術ではなく魔法を与えてもらったことに感謝しつつ、真菜は着ていた制服を脱ぎ、下着姿になった。


「……」


 ふと、手にした制服を見つめる。

 着ているものごと綺麗にする魔法なので、制服は洗い立てのようだ。

 けれども。

 暴力を受けていた時に解れたり破れたりしたところはそのままだ。

 まざまざと思い出される、嫌な記憶。

 あの時、この力があれば。

 これは決別だ。

 過去の自分と。

 抗えなかった自分と。

 されるがままだった自分と。

 アルヘラは力を与えてくれた。

 理不尽に抗しうる力を。

 そんな力を与えられて運が良かった?

 そんなわけがあるか。

 運が良ければ、あんな目には遭わなかった。

 理不尽に彼女らに嫌われたとて、標的にはされなかっただろう。本当に運が良ければ。

 母が買ってくれた制服。

 それをぼろぼろにしてくれた恨みは大きい。

 この屈辱は、絶対に忘れない。

 二度と、こんな苦さを味わいはしない。

 真菜は、その制服を放り投げた。

 ばさりと宙を舞うブラウスとスカート。


「燃えろ!」


 詠唱でも魔法名でもない。

 ただ純粋に、標的を燃やせと魔力に命じる。

 制服ごと、過去も一緒に。

 そうだ、燃えてしまえ。

 空中に舞った制服は強い火に包まれる。

 一瞬の後。

 かすかな灰を残して制服は燃え尽きた。


「お母さん……親不孝でごめんね…………ううん、制服、ありがとう」


 最後に。

 制服を買ってくれた母への謝罪と感謝をして。

 真菜は、弱かった自分を捨てると強く決意した。

 だから。

 思わずぽろりと落ちた涙を。

 今だけは、許してもいいだろうか。



 ひとしきり泣くだけ泣いて、吐き出して少しすっきりできた。

 心持も新たに、改めて装備品に着替える。

 魔法使いの法衣を着用し、その上からローブを羽織り、靴を履いて額にサークレットを身に着ける。

 そして長さ百八十センチほどの杖を手にすれば完成だ。

 法衣もローブもサークレットも、全て吸血鬼の王が手ずからエンチャントをかけた逸品。

 数が多いのですべてはつまびらかにはしないが、サイズ自動調整に始まり衝撃軽減、斬撃防御、魔法防御、魔力増幅、魔力操作補助、気配遮断に自己修復エトセトラエトセトラ。

 人間界で過ごす分は申し分ないどころか過剰な性能があるのが分かる。

 まずないと思うが、もしもこれで足りなければ自分で用意すればいい。

 最後に、ベルトにポーチを取り付ければ完了だ。ポーチはベルトに装着すると一体となり、素人のスリ程度ではまず奪えないとのこと。

 なおこのポーチ、手のひら大ではあるがマジックバッグである。

 これもまたアルヘラ謹製であり、この大きさで内容量は真菜が住んでいた2DKのアパートほどもあり、口は可変式で人間大の大きさのものでも余裕で収納できるのだとか。

 そこに、アルヘラがお金やらポーションやらなにやらを詰め込んでいる。

 至れり尽くせりとはこのことか。

 アルヘラがいう「真菜に死なれては困る」というのは、これだけの準備が整えられていることからも伝わってくる。


「むしろ、これでダメだったら完全にわたしが……のせいだね」


 思わず自分で自分を「カスだね」と言いかけて、そこまで自虐する必要はないと言いなおした。

 いじめられ尊厳をずたずたに引き裂かれていたころならばそれでもよかったが、今の真菜は過去の自分と決別したばかりだ。

 さらに、誇り高き吸血鬼の女王を身に宿している。

 くだらない自虐を彼女に見つかっては何を言われるか分かったものではない。

 さて、至らないかもしれない、という不確定な未来を想像して陰鬱な気分になるのはここまでだ。

 それよりも、この力を使ってどうやって生きていくか、建設的に考えよう。


「よし、行こう」


 真菜は寝室を出て、広い城を一人コツコツと足音を鳴らして歩く。

 知識に従い城内の地図を思い浮かべて歩く。歩く。

 さすが吸血鬼の女王の城。すさまじく広い。

 広さももちろんだが、それ以外もとんでもないものだ。

 そのひとつは、城を包み込む天気である。

 窓の外は昼間なのに、日差しは地平線の向こうまでいかないと差さないようだ。

 ここいらは、上空に浮かぶ分厚い暗雲によって、昼間なのにまるで夜のよう。

 雨は降っていないが、しきりに降り注ぐ雷が、城の雰囲気を盛り上げている。

 軽く観察しながら歩き続け、たどり着いたのは何の変哲もない客室、だった場所。

 かつて設置してあったベッドやテーブルなどはすべて壁に押しやられ、部屋のど真ん中には魔法陣が一つ。

 これは人間が治めるとある国のとある街の近くに飛ばす転移魔法陣だ。

 その国とその街を選んだことに特に意味はないという検索結果。

 つまり、どんな人種が住んでいてどんな思想を持っていて、どんな問題があるかも分からないが、それらもろもろは自分で乗り越えろ、ということだ。

 初っ端から難易度は高め。

 しかし、何も持たされずに放り出されるわけではない。

 アルヘラからこれだけのものを授かっておいて、このくらい乗り越えられないのではそれこそ問題だろう。


「うん」


 立ち止まったのは一瞬。

 真菜はすぐに歩みを再開し、転移魔法陣の上に乗った。

 真菜からわずかに魔力を吸い取り魔法陣は起動。

 青白い光の粒をそこかしこから上昇させながら、陣に刻まれた転移魔法が発動する。

 足元から強い光。

 あまりのまぶしさに真菜は思わず目を閉じる。

 光が収まった時、そこいたはずの真菜の姿はなく。

 転移魔法陣は、その光の残滓をわずかにたたえるのみだった。


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