15話
真菜の行く手を阻むように五人。
背後に六人。
総勢十一人だ。
「……何か用?」
どう見ても穏やかな雰囲気ではない。
周囲の人々も、異常を感じたのか距離を取っていた。
巻き込まれたくないのだろう。それは分かる。
真菜とて、これが他人事であったならそうしていたのは間違いない。
ただ、今回ばかりは当事者である。
真菜にとっては間違いなくいい話ではなさそうだ。
「さるお方がお前との対話を望まれている。光栄に思え」
そう話した男の身なりは、他の十人とは少しレベルが違う。どうやら彼がリーダーのようだ
「それは今から? 強制的に?」
「何だと貴様。光栄な話だと言っただろう。拒否権があるとでも思っているのか」
と言われても、というのが正直なところだ。
彼らにとっては敬うべき相手なのだろうが、あいにく真菜はその相手のことを知らない。
知らない相手を敬うなど御免である。
逆らってもいいのだが。むしろ逆らいたいのだが。
ここは人の往来。
そして、やや狂信的なこの態度。
もめ事になれば確実に周囲を巻き込む。
自由に生きる、誰からも搾取されない、というのは本心。
だが、それを成すためには無秩序で決まり事を守らないのも仕方なし、などと嘯くつもりはなかった。
そんな無法者に成り下がる気はない。
今ここで大立ち回りを演じるよりは、ひとまずついていくのが良さそうだ。
気乗りは全くしないのだが。
「……分かったわ」
「最初からおとなしくついて来ればよいのだ」
男は尊大にそう言うと、真菜の様子も確認せずに歩き出した。
仕方ない。
ここでごねると余計に面倒になるだろう。
彼についていくことしばらく。
アストレルの貴族街に入った。
ここは一般人は基本許可が無ければ立ち入り禁止の区画である。
そこを歩いてたどり着いたのは、ひときわ大きな屋敷。
見事なものだ。
真菜がイメージする貴族の屋敷そのものである。
こっそりと魔法で周囲を探ってみる。
すると、ずいぶんと警戒されているようである。
真菜を遠距離から狙う者もいる。
これで対話とは、と思ってしまう。警備と言うなら分かるが、それにしては厳重すぎる。
仮にも真菜を案内したのではないのか。
そんな疑問を抱いている間にも、屋敷の中に入り豪華で品のいい装飾が施された廊下を進む。
そしてとある部屋に通された。
「ヴァシリッサ様。件の娘を連れてまいりました」
「入って頂戴」
言われるがままに入室する。
そこには深紅の挑発をした中年の美女がいた。
最大限若作りをしているのか、見た目はかなり若い。
年齢の割には、という注釈がつくが。
学校にいた年齢不詳の美魔女教師といい勝負である。
ヴァシリッサは自身の執務机に向かって書類に向き合ったまま。
彼女の後ろに控えているメイドと従者も、一歩も動く気配がないどころか、真菜のことをみようともしなかった。
「……」
男の案内で真菜はソファに座らされ、紅茶も出されたが、声もかけられない。
何のつもりなのだろうか。
せっかく出されたものなのでひとまず飲みながら待つことにした。
しかし、一度たりとも真菜に目を向けることはない。
「……わたしに用があるのでは?」
「……」
「用が無いのなら帰るけど」
体感で十分は経っただろうか。
一向に無視され続けたままなので、これ以上ここにいる意味はないと判断した。
立ち上がり、部屋を出ようとする。
「待ちなさい」
ドアノブに手をかけようとしたところで、背中に声をかけられた。
ようやくか。
振り返る。ヴァシリッサはこちらを見てもいなかった。
「着ている法衣とローブとサークレットと靴、それから杖を置いて帰りなさい」
「は?」
意味が分からなかった。
目が点になってしまう。
何を言われた。
法衣とローブとサークレットと靴、杖を置いていけ?
「売れ、ってこと?」
「何を訳の分からないことを言っているの。それだけ素晴らしい魔道具、あなたのような小娘が持っていていいものではないわ。だから、ワタクシが有効に使ってあげるから献上しなさい、と言ったの。まったく察しが悪い、これだからガキは嫌いなのよ」
「……」
本当に、まったくもって、意味が分からない。
何故そんなことを言われなければならないのか。
商談ですらなかった。
まるで、真菜が献上するのが当たり前と言わんばかりの態度。
これらの装備品はすべてアルヘラが真菜のために用意したもの。
高品質なのは当たり前で、それに目を付けたヴァシリッサの物を見る目は確かではあるのだろう。
だが、素直に渡す理由など、これっぽっちもなかった。
「……お……っ」
お断り、と言おうとして、声が出なかった。
口がまともに動かないのだ。
不思議に思って手をみようとして……身体がしびれていることに気付いた。
「あら、断らないということは、了承ということでいいのね」
一服盛られた。
いつ。
考えるまでもない、あの紅茶だ。
と思考を巡らすものの、できるのはそれだけだ。
真菜は立っていられず膝をつき、そのまま床に倒れ込んでしまった。
「そうそう。素直が一番よ。どうやら動けないようだから、脱がしてちょうだい」
「承知いたしました」
メイドが近づいてくる。
「脱がした後はいかがいたしますか」
「そうねぇ……適当な服を選んであげて。夜までゆっくり時間をかけていいわよ」
「なるほど、ではそのように」
それは、ヴァシリッサとメイドの間にだけ通じる隠語。
要は暴行して脅迫して恐怖を身体に刻み込み、逆らわないようにしろ、ということだ。
真菜が魔術師として優秀であるための措置だろう。
麻痺薬のせいか、頭がぼんやりとしてきた。
油断していた。
絶対に自由を奪われてなるものかと思っていた。
けれども、今真菜は行動の自由を奪われ、装備品まで奪われようとしている。
ヴァシリッサには、奪っているという認識はあるまい。あるべきものがあるべき人間のところにやってきた、そういう認識といったところか。
……甘かったからこうなったのだろう。
そして、この世界を舐めていたからこうなったのだろう。
異世界で始まった生活の万事がうまく運んで、知らぬうちに舐めていたのだろう。
すべて身から出たさびではないか。
自由など、夢物語だったのだろうか。
悔しい。
悔しい。
そう、思うことすらできない。
声にして表明することすらできない。
徐々に意識も途切れていく。
目の前が暗くなっていくのを感じた。
『まったく、困るな。そのような体たらくでは』
どくん、と身体の中で何かが胎動する。
ただ、それが何かを考えることもできない。
『ふっ、もう思考能力もないか。まあよい、そなたを害されるわけにはいかぬのでな』
ただ。
悔しいです――
真菜はそれだけを強く思い、闇の中に意識を落とした。
『承った』
最後に、そう、聞こえた気がした。
◇
「触れるでない、下郎が」
メイドの手が、真菜のローブに触れる寸前でばちりと弾かれた。
「きゃっ!?」
思わずメイドが悲鳴を上げる。何か不可視の力に思い切り弾かれ、メイドは数歩後ずさってしりもちをついた。
メイドはしびれる右手を押さえている。
さすがにメイドの異常と真菜の異様な声には目を向けざるを得なかったのか、ヴァシリッサは顔を上げた。
そこには、すっくと立ちあがっている真菜の姿が。
「何故、立って……」
遅効性の強力な痺れ薬と眠り薬を盛ったはずだ。なのに何故立っていられる。
ヴァシリッサは思わず口にした。あのコンボには屈強な騎士であろうと耐えられないはずなのに。
その問いに対して、真菜は何も答えずにヴァシリッサを見つめるのみ。
その目には何の感情も抱かれていない。ただ、路傍の石を一瞥するかのように。
「何故立っているのかと聞いているのよ!」
貴族にも持ち上げられるヴァシリッサは長いことそのような目で見られたことはない。
それに耐えきれず、思わず声を荒げた。
ヴァシリッサ・グレンラント。アストレルにおける最大手の商会の会頭。女だてらに一代で成り上がった彼女が持つ雰囲気はただものではない。
大の男でさえ、その眼光でねめつければ冷や汗をかくというのに。
真菜はそれを真正面から受け止め、あろうことか鼻で笑った。
「下品な女だ。顔つきどおりか」
そして返ってきたのが、質問の答えでもなんでもなく、ただの罵倒だった。
ヴァシリッサは頭の中が真っ白になってしまった。
見た目十代前半の少女に面と向かって下品と言われたのだ。
これほどの侮蔑は、駆け出しの頃に「女のくせに」と陰口を叩かれ嘲笑された時以来であった。
「なん……ですって……!?」
無自覚にぷるぷると震える。
こみ上げる怒り。
ヴァシリッサの眼前が真っ赤に染まる。かあと頭に血が昇る。
その様子を興味なさそうに眺めていた真菜であったが、ふと踵を返すと。
「邪魔だ」
ドアノブではなく扉自体に触れた。
扉が、さぁ、と風化し、粉になって、落ちた。
その向こうには、当然見えないはずの廊下が丸見えになっていた。
「――」
何をした。
何が起きた。
ひとかけら残った理性が驚きのあまり怒りを塗りつぶした。
超常現象と言ってもいい。
そんなヴァシリッサだが、真菜は一顧だにすることなく、部屋を出ていこうとする。
「ま、待ちなさい! 何故立っているの! 薬を盛ったのよ!? それに、扉をどこにやったの!!?」
下品と言われた大声。
しかし、ヴァシリッサはそれさえも気にする余裕はなかった。
振り絞るように声を出したにも関わらず、薬を盛ったことを暴露したにも関わらず、真菜は立ち止まらなければ返事のひとつすらもしない。
そのまま歩みを止めることなく部屋から出て行った。
彼女が立ち上がってから向けられた目の通りの対応である。
眼中にないといわんばかり。
完全な無視。
「……」
これほどまでに取り付く島もないのは、グレンラント商会がここに屋敷を構えてからは一度たりともなかった。
アストレルの経済の一割を握っているのだ。貴族も役人もライバル商会の会頭も、たとえ表面上であっても、誰もかれもがヴァシリッサにゴマをすっていたたというのに。
最初は良かった。
思い描いたシナリオ通りに絵が描かれていた。
だが。
真菜の口調や雰囲気が変わってからは、一変した。
雰囲気が全く違う。
まるで、別人が乗り移ったかのような――
「ご主人様……」
声を掛けられてハッとなる。
呆けている場合ではない。
「あ、あのガキを捕まえなさい! そしてワタクシの前に引きずってきなさい!」
「しょ、承知いたしました!」
従者が押っ取り刀で飛び出していった。
ヴァシリッサは自身専用の、特注の椅子に腰かけた。
これほどの侮辱、許せるはずが無かった。
地面に額をこすりつけさせ、その頭を踏みつけてやらねば気が済まない。
そうだ。
ヴァシリッサなのだ。
グレンラント商会の会頭なのだ。
あんな小娘一人にすげなくあしらわれた、などと言う情報が巡っては、これまで築き上げた地位に傷が入る。
決して小さくはないだろう。
魔術が得意な期待の新人、しかし所詮はアイアンランクの少女、と舐めたのが良くなかったのだろうか。
確かに山を吹き飛ばした、という情報も耳にしてはいた。その時はあまりに派手な話なので、眉唾ものだと一蹴した。もう少し現実味のある話ならば良かったのに……全て言い訳である。真菜が持つ魔道具に目がくらみ、普段なら持ち合わせている冷静さが居眠りしていたとしか言いようがない。
ヴァシリッサの現状を文字に起こすとシンプルかつ残酷だ。
アストレルの経済界に君臨するグレンラント商会、十代前半の新人冒険者の少女に逃げられる。
こんな話がライバル商会から聞こえてきたなら、ヴァシリッサは逃さず徹底的にそこから影響力を削ぎに行く。
それが分かっているからこそ、真菜をこのまま帰すわけにはいかないのだ。
そのために、捕縛しろ、という命令を出したのだが。
「ぎゃああ!!」
「腕が、腕がっ!!」
「なんだこのガキ、うぎゃっ!!」
遠くから悲鳴が聞こえる。
断続的な悲鳴が。
どれもこれも、男のもの。
少女の声は、一切聞こえてこない。
ヴァシリッサは呆然と、消し去られた扉があったところを見つめていた。
しばらくして、従者が戻ってきた。
報告はもちろん「逃げられた」である。
まさか。
ヴァシリッサはふらふらと執務室を出て、真菜が歩いたであろう道順を追っていく。
そこかしこに倒れ込んだ男たちが重傷でうめき声をあげており、壁や天井、床、装飾品に至るまで、戦闘に巻き込まれたものは容赦なく破壊されていた。
戦闘が起きなかったところは無傷だったので破壊して回ったわけではないことは理解できたが、そんなものは慰めにもならない。逆に戦闘になった際は周囲への配慮など一切していないことが伺える。
つまるところ、配慮するに値しないと思われたからに他ならない。
一階に降りる。
正面玄関は開け放たれ、片側の扉が外に吹き飛び半ばから割れている。その上には気を失った私兵が。
庭もところどころがぼこぼこになっており、自慢の庭園は見る影もなかった。
被害額はいくらになるだろうか。この土地を買い取り屋敷を建て直すのはもちろん、訪れる客に対する見栄のために色々と金をかけたのは間違いない。
それを治すとなれば、今年の利益の幾らが損失するか。いや、今年どころか過去数年の利益までもが吹き飛ぶのではなかろうか。
新進気鋭の新人に目をつけるとは素晴らしき目の持ち主ですわ――
屈強な護衛をお持ちでございますわね――
お屋敷の方も実に先進的な装いになりましたこと――
それらの嫌味は商人としてはお手の物。問題は、ヴァシリッサが言う側ではなく、言われる側であることだ。
特に真菜は、先日のゴブリン異常事件の際に、ワイトセージを追い払った功労者。領主からも報酬が出ている。
屋敷を破壊されたのだが、むしろ暴れさせるような原因を作ったのではないかと厳しく追及されるだろう。事実その通りだから始末に負えない。
うるさい冒険者ギルドはもちろん、功労者として称えたというメンツを守るため、領主も出張ってくる可能性さえある。彼らとてヴァシリッサと同じく海千山千。真菜に罪を擦り付けられるかは、楽観的に見積もって五分五分といったところか。普段からやり込めていたために、ここぞとばかりに責め立ててくるだろう。
もう嫌というほど理解した。
ヴァシリッサは。
グレンラント商会は。
アイアンランクの新人冒険者に、返り討ちにされたのだと。




