縄文人と中国南部
日本のハプロでC1A1とO1b2は本当に謎のハプロ。その原因はそれらの現郷ともいえる中国南部がかなり不可解だからになる。中国北部は結構分かっている。分からないのは寒冷適応した遺伝子がどう広がったか?になる。寒冷適応を無視すればアジア北東は、エスキモーなどのアメリカ先住民に近いグループと日本中国朝鮮の南部のグループに大雑把に分けられる。
アムール川やモンゴルに至るグループはどうか?と言うとどちからといえばエスキモー集団よりも中国北部集団に近い。だが寒冷適応としては表現型頭蓋骨については遺伝的に遠いエスキモー集団の方がアジア南部集団よりは近い。ただの勘違いじゃないか?と言うとそうでもない。注目する遺伝子が違うからになる。遺伝子全体ではかなり遠いエスキモー集団も寒冷適応と言う視点では似た集団になる。
この謎が残っているから私は注目している。全体の遺伝子のクラスター化じゃなくて欧州人の青い目の起源のような調査が欲しいと思っている。
ただ細かい流れが分からないだけで大雑把には南部もずいぶんわかってきた。その中で重要なのが、4000年から5000年前に起きたアジア北東沿岸部への中国南部からの移住がある。おそらく日本ならオーストロネシア語族の移住になると思う。今現在どういう影響を与えているか?分からないが、かなり初期の分岐したオーストロネシア語族の影響が日本にあるとされている。
時期的にちょうどこの時期になる。C1A1は分からないが、O1B2はこの時期なんじゃないか?と思う部分がある。稲作とともに日本にやってきた中国南部人となってるが、それだと他のロシア沿海州などにも広がる南部集団の説明がつかなくなる。
ハプロ的にこれらの地域で共通する南部ハプロはO1b2しかない。満州人や朝鮮人にO1B1が高く出るが、これは歴史時代の中国人である可能性が否定できない。何故なら中国でO1B2は高く出ない。歴史時代に特に南部中国人が移住してもO1B2は高く残らないが、O1B1なら残る可能性がある。
O1B2は歴史時代の中国からの移住じゃないと私は見ている。ただ周とか殷とかの時代は十分ありうる。中国の歴史は長すぎる。
稲作ともに移住した中国南部系ってのはいたと思うが、それとは別にもっと前の時代に移住した可能性はないのか?ならありうる。ハプロで追いかけるのはもう個人的趣味になってしまってるとは思ってる。正直言えばパズルを解くようなものになってて科学的な知見と言えなくなってる。
歴史時代の夏より前の完全に新石器時代の中国南部から全体の遺伝子ではもう日本を中心とした円で囲う極東沿岸部に移住があったのは間違いない。以前からmtDNAの調査で豊富な大陸に多いハプロが出ていたことは分かっている。その理由が良く分からなかったが、おそらくそれはこれじゃないか?と見ている。
アイヌ人にC1A1とO1B2は全くでないが、私はこれがかなり問題なんじゃないか?と見ている。アイヌは日本の中でかなり偏った集団だと思われる。縄文人の子孫ってのも一部を反映してるだけで、おそらく最初期にきたアンダマン諸島に近い集団に偏った集団で、他の集団はもっと多様性に富んだ集団だったと思われる。
しかもmtDNAもアイヌ人は極端に偏っている。mtDNAはかなり以前から多様なタイプが縄文時代にすでにいたことが分かってるがアイヌ人には全く残ってない。M7AとN9Bと言う縄文人に典型的なものしか残ってない。後はオホーツク人からの流入と思われるYぐらいだ。
ハプロとして調べることに意味があるのか?と言うと正直あまりない。縄文人はかなりの割合でアマンダン諸島と似た集団に中国南部集団が後から来て混血した集団だとなる。
この中国南部集団について触れないといけないが、以前の推測でアマンダン諸島などの集団に北部の寒冷適応した中国人が混血したってのが以前の推測だったが、今はこれが間違ってるのが分かってきた。正確には場所によっては3重構造になっている。インドネシア辺りは顕著だが、こういった島が多いが、台湾、日本、インドネシア、さらにチベットなどに一番古い最古の南部アジア人集団が居て、パプア集団などと近いとなっている。
これらに対して後からやってきた中国グループが北部と南部に分かれて集団化したのがアジア東部の全体像になる。中国南部にアマンダン、パプアに近い集団としてホビアン文化集団と言うのがあるが、それらがいたのか?は分からないが、遺伝的にはほぼ置換してしまっている。中国南部はこの影響は遺伝的にはあまりない。
後は歴史時代が始まる直前の時期におそらく寒冷化による北部集団の南下でこれら分かれた南北集団が混ざっていくことになる。東南アジアの南部に行くほど、最古層のホビアン文化集団との混血の影響が出てくる。日本も典型的な3重の混血集団になる。縄文人と弥生人という単純な構造じゃなくて、縄文人が中国南部人とホビアン文化集団の混血で、弥生人が中国南部人と北部人の混血になる。
じゃO1B2はどっちの中国南部人なのか?となると分からないとなる。多分C1A1もそうだと思われる。アイヌが偏ってるのは後から縄文時代にやってきた中国南部系の影響をほとんど受けてないだろうと見ている。ハプロは直系しか残らないので創始者効果で多分他のハプロが消えてしまっただけだと思うが、それにしても極端であるため混血率がかなり低かっただろうと見ている。
おそらく南北勾配があったと私は見ている。沖縄でC1A1が高いのもその顕著な特徴だと見ている。現在中国南部に多いO1AとO1B1は日本ではあまり高く出ない。近代まで漢民族と混血の多かった満州と朝鮮で多いが、それ以外少数民族ではではO1B2がしっかり出る奇妙な現象がある。
C1A1は台湾でも出たとの話があり、渤海や朝鮮、韓国の島などで出た記録がある。それらから偏って南部海岸の集団だと予測している。台湾で出たというデータがあやふやなのが惜しいところ。O1B2はロシア沿海州から出ている。アイヌに残らなかったので困ったものだが、中国南部集団の広がりと言う点でO1B2がやはり一番怪しい。
ただし、稲作の時期に広がった中国南部系と言うのも捨てきれない。問題があって、じゃ何故その集団が米の栽培に適さないロシア沿海州にまで広がっているのか?になる。やはり漁労集団としてひとつ前の時代に広がった可能性はまだ十分にある。
ひとつだけ趣味の範囲を超えるもので、もしO1B2が縄文系に”も”多いハプロだったなら父系としてこれらが多量に残ったのはかなりすごいことになる。日本の父系支配層は縄文系だからだったことになるからだ。これは単純に遺伝的関係だけじゃ分からない面白い話になる。