深夜にマスクを買いに行く
狩衣といえば、平安貴族が狩りに行くときに着た服である。
最近だと陰陽師の衣装と言うとわかりやすい。
かわったところではフィギアスケート選手がアレンジしたものを着ている。
・・・なぜこんな事を考えているかというと、狩衣姿の子供達が輪になって寝ている俺の周りを回っているからだ。
「・・・ツケマショ、・・・ツケマショ」
「ヒ・・・マツリ、ヒ・・・マツリ」
「タノシイ・・・ヒ・・・マツリ」
キャッ、キャ、ウフフ、キャ、フフフ。
楽しげな笑い声の合間に聞こえてくる明るい歌声。
俺の腰ぐらいの背丈の子供達の手に握られた松明が、腹に押しあてられる。
「ヤメロ、ショ・・・、ぶっ飛ばすゾ!」
叫んで、パチリと開けた目蓋の先に伸ばした俺の腕が見えた。
⊂ロ⊃⊂ロ⊃⊂ロ⊃
「夢か・・・」
まあ、夢以外にあり得ない状況だったが。
熱さが残っている腹に手をやる。
懐炉。使い捨て安いのヤツだ。
低温火傷をしないように巻いたタオルからはみ出てしまっている。
変な夢を見たのはこのせいか。
もう一つの原因はアレだろう。
部長の机の横の大きな箱。
「季節感だよキミィ」二月の中頃に部長が持ってきたガラスケースの三段飾りは、三月三日の昼休みにお局様に片付けられた。
早くない? とは俺を含めて職場の誰もが思ったのだが、口にできる猛者もまたいなかった。
後は持ってきた部長が持って帰るだけ、なのだが、なぜか、まだ置いたままだ。
「家に場所がね~」
観葉植物と化しているモミの木の横で部長がいいわけをしていたが。
元の場所に戻せばいいだけなのに。
もう、奥様にとられてしまったようだ。
事務所は倉庫では無いのだけど。
四月の半ば、は、もうすぐ。
机の反対側にまた何か増えないといいが。
巻いたゼンマイが残っているらしく、忘れた頃、ビックリするタイミングでなるオルゴールの雛祭りを聞きながら俺は机の奥に隠してある灰皿を取り出した。
スマホの時計は終電終了を告げている。
こんな時間に仕事場で寝ているのは忙しいから、ではない。
最近は新型のアレが原因でむしろ暇な方だ。
ならなぜか。
・・・じゃんけんのせい。
正確に言うとグーが悪い。
⊂ロ⊃⊂ロ⊃⊂ロ⊃
ここの近所にシャッターがいつも閉まっている珍しい店がある。
シャッターが閉まっている店なんか珍しくもないとあなたは言うかもしれない。
そう、普通は廃業して家屋として使っているか、ただの空き店舗だ。
珍しいのはシャッターに営業時間、一時~三時と書いてある事なのである。
変な時間だ。
だが、弁当屋なら・・・、遅いか。
まあ、昼もシャッターは閉まっている。
「午前の一時か?」「まさか」「やってないだけだろ」
滅多に無い、のんびりとした職場の暇潰しの話題。
それがざわついたのは一枚の張り紙を見つけた後輩が駆け込んできたからだ。
「これ! これ見て下さい!」
論より証拠なのか、後輩が写したスマホの写真には営業時間の下に『マスクありΓ⊿』。
ますをそのまま書かずに枡記号とは。
手書きの殴り書きも怪しい。
いくら貴重なマスクがあっても、電車が終わった時間帯に店なんて行けない。
やれやれと肩をすくめた俺の後ろで暇人達が盛り上がる。
「子供が小さいから」
「親がいい歳で」
「マスク、あって困らないよね」
さすがに転売と言ったヤツは袋叩きにされたようだが、結局代表を一人を決めて確認しようとなったようだ。
ご苦労様。俺はマスクなんていらないから定時で。
明るい内に帰れる幸せ。
って、いや、だから。
全員参加って、ヤメロ、コラ。
・・・グーが悪い。
そして、急遽帰省するとかで参加しなかった後輩も悪い。
⊂ロ⊃⊂ロ⊃⊂ロ⊃
俺はフーッと紫煙を吐いてグリグリとタバコを灰皿に押し付けた。
給湯室で灰皿に水を入れて濡れた吸殻を三角コーナーへ。
禁煙の職場でこの所業。
お局様がキレるだろうが、朝までに新しいネットに替えればバレないだろう。
鍵にもなっている社員証がポケットに入っているのを確認して、俺はまだ寒さの残る空の下に歩き出した。
春先の夜は空が近い。
冬の澄んだ空気の先の星のかわりに、街灯に照らされた花弁が覆う。
街路樹の桜は今の季節以外はただの木なのだが。
白く柔らかに見える今があれば他に何もいらない。
⊂ロ⊃⊂ロ⊃⊂ロ⊃
「おおっ、マジで開いてるよ」
これで閉まっていたらイヤだなと思いながら歩いて、やっと到着した店。
シャッターが上がって全面ガラス張りの煌々と輝く店内は無人。
スカスカの棚には片付け忘れたような売り物がポツリポツリと置かれている。
・・・、・・・。ダン、ダン。
今時珍しい感圧系の自動ドアのマットの上で足踏みする。
故障か? 全く開く気配の無いガラス戸から一歩下がる。
ウィーン。ドアが開く。
通ろう、とすると閉まる。
ダン、ダン。下がる。開く。閉まる。
ダン、ダン。下がる。開く。閉まる。
ダン!ダン!下がる!開く!閉まる!
コントか! もう!
職場のみんなから預かった金が無ければ帰っている。
ダン、ダン。下がる。開く。開く。
ダン!ダン!下がる!開く!開く!
ダン・・・。
フッと前に影が。
開いている自動ドアの前で、店員さんが不思議そうな目で俺を見ていた。
キュウリ味のペプシ、錠剤のように押し出す飴、ハッカ味のダブレッドの苺バージョン。
どこか懐かしい商品が並ぶ店内、だがマスクが無い。
⊂ロ⊃⊂ロ⊃⊂ロ⊃
「マスクあるって聞いたんですけど」。
俺の問いかけに頷いた店員さんがレジの奥に消える。
戻ってきた店員さんの手にはマスクが。
「そうそう、コレコレ」
つけただけで笑いの取れるヤツや。
ぶっとい下がり眉毛にドングリ眼。
「Aの方がコクがあるけど、Bも美味しい」
格付けは落とせない。
って、アイマスクじゃないか!
「マスク違い。これじゃなくて」
ペコリと頭を下げた店員さんがレジの奥に消える。
戻ってきた店員さんの手にはマスクが。
「そうそう、コレコレ」
リングで虎になれるヤツや。
BGMも流れてきた。
「ワイは虎や。プロレスラー虎や!」
って、ちがーう! BGMも違う!
これはプロゴルファーのヤツや。
「マスク違い。これじゃなくて」
ペコリと頭を下げた店員さんが奥に消える。
デンデンデ、デデデ、デデデ~♪
「ダース・ベイダーいらんよ~」
俺のツッコミで、ガタッと奥で店員さんがコケた。
どこかショボーンとした店員さんの手にはマスクが。
「そうそう、コレコレ」
使い捨てタイプじゃなくて一昔前のガーゼ生地のヤツや。
なんでか手紙がついている。
『○○君お元気ですか。元気ならマスクなんていらないね(笑)。お婆ちゃんは元気です。最近変な風邪が流行っているからマスク送るね。お婆ちゃんはかかってないけど・・・』
って裏もあるのか。
『・・・元気すぎて借金しました。せっかく○○君に作ったこのマスクもカタで盗られそうです。タスケテ、タスケテ』
「買いづらい! どこから仕入れた! 借金いくらや!」
一万て。それぐらいなら俺が払うから婆さんに返してこい。
本当にもう。
恐縮したようすの店員さんが奥に消える。
使い捨て十枚入りマスクのパックがつまった箱。
「そうそう、コレコレ」
・・・また手紙がついてないだろうな。
一つ手にとって裏も確認する。
「・・・、・・・」
ぼそぼそと店員さんがマスクの値段を伝えてくるが聞こえない。
そういえば、この店員さん喋らんな。
何でだろ?
「もっと、大きめに頼む」
店員さんが、自分の喉を指差して、腕でバッテンを作る。
「お前がつけろや!!!」
俺は持っていたマスクのパックを店員の顔に投げつけた。
⊂ロ⊃⊂ロ⊃⊂ロ⊃
「うぉっと! 何をつけるんですか?」
驚いた表情の後輩が俺を除きこんでいる。
いつもの職場のいつもの椅子。
並べた椅子のキャスターが滑らないように注意して俺は起き上がった。
ヤバイ。
どうやら疲れがたまっていたようだ。
今日も泊まれとか言い出さないだろうな?
・・・、言いそうだな。
どう謝ろうか悩む俺にマスクがつきだされた。
「これは?」
一昔前のガーゼ生地のヤツ。
「ああ、祖母がくれたんです。借金したとかで家族会議しに帰省したんですが、もう解決してました。先輩に感謝しろって言われたんですけどなんでしょうかね?」
「なんでしょうかと言われても」
後輩の婆さんにあった覚えなぞ無い。
でも、職場の人数分あるらしい後輩が持ってきたお土産のマスクはありがたい。
これで、俺の失敗も帳消しだろう。
清々しい気分で俺はう~んと背筋を伸ばした。
⊂ロ⊃⊂ロ⊃⊂ロ⊃
帳消しのはずなのだが・・・。
なぜか、俺はお局様にキレられている。
三角コーナー、ねぇ?