プロローグ
俺は父さんが嫌いだ。
「いいか、匠。男なら強くあれ」
父さんは何もわかってない。
「まず腕力。これがなければ何も守れない」
俺は父さんが嫌いだ。
「頭も切れなければならない。勉強も大事だ」
何でもできる父さんが嫌いだ。
「強くて頭が良くても、人望がなければ人は集まらない。1人ではどうしようもない事も、この先出てくるだろう」
父さんの周りにはいつも人がいる。人が良すぎる父さんが嫌いだ。
「そして何より…、生きて帰ること。自分を大切にしなければ何も救えない。強くなれるのは生きている者だけだ」
父さんは自分より他人を大切にする。嘘をつく父さんが嫌いだ。
「父さんは仕事柄、いつまでお前のそばにいられるかわからない。だからお前がもし一人になっても生き抜く術を教える義務がある」
俺は俺に生きることを強いる父さんが嫌いだ。
「………自分を大切にしろ、匠…。…死んだら誰も守れない…」
嫌いだった父さんが死んだ。あんなに強かった父さんが、呆気なく死んだ。自分よりも他人を、俺を守った。
「……強くなれ」
そう言い残して、父さんは喋らなくなった。
俺達をおいて逝った父さんが────大嫌いだ。
久しぶりに嫌な夢を見た。
もう忘れたかった思い出。いや、思い出という程綺麗なものでもない。
いつだって自分勝手だった、自分にとって唯一の、今はもういない肉親。
いつまでもこんなことを考えていても仕方が無いな、起きよう。
「……?」
モゾモゾと体を起こすと周りの様子に違和感を覚える。
パッと見た所、自分の部屋で間違いはないが所々おかしな気がする。
というか…
「あ、おはよ。起きた?」
………誰だよ。
寝ぼけてるのか? 自分の部屋に知らない男がいる。その男は耳が隠れるまで髪を伸ばした、いわゆるマッシュで、かなり童顔。服装はカジュアルな感じで、パッと見は女の子にも間違えられるだろう。そしてそいつは俺の本棚に背中を預け漫画を読んでる。
「さて、早速だけどお願いがあるんだ」
「いや誰だよ、てかここどこだよ」
「神の部屋だけど?」
「俺の部屋だけど?」
話が通じない。
というか俺は、確か…
「死んだでしょ、交通事故で」
「…………」
そうだった。
「知らない子供が車に轢かれそうになっていたところを咄嗟に飛び出て、死んだでしょ?」
「…………」
…てことはさっきの夢だと思っていたことが走馬灯とか?
嫌すぎる、最後に思い出すのがアレとか。
「涙ぐましいねぇ、自己犠牲の精神。お父さんと同じ───」
「やめろ」
「───まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。」
……俺は父さんとは違う。俺は誰かのために自分を犠牲にするなんて馬鹿なことはしない。
「君を呼んだのは他でもない、一つお願いがあってね」
「……それよりお前は誰なんだよ。ここ、俺の部屋じゃないだろ」
ダメだ、平然を装っても声が不機嫌になっているのが自分でもわかる
「あら? そっくりそのまま移したつもりなのに、分かっちゃう?」
「いいから答えろ、通報するぞ」
そう言いながら、ふと窓の外を確認しようと視線を動かすが、そこには───何も無かった。
自分でも何を言っているかわからないが窓の外には何もない。画用紙などで塞いでいるといった様子もなく、直感でここが自分の理解を超えた場所である事を感じていた。
「わかっちゃった? わかっちゃった顔だよね?」
いちいちイライラするな。
「さて、そろそろ本題に入るけど、君には異世界で魔王を倒してほしい」
「帰る」
「待って!わかった!説明するから!」
目の前の男は慌てて俺の退路に体を挟み、「まぁ死んでるし?君はどこにも帰れないけどね?」などと言いながら俺の肩を掴み椅子まで誘導し、話し始める。
「僕は神で、それはもう信じてもらうしかないんだけど」
「そこが一番重要だろ。そもそも神ならなんでこんなに生活感あふれる部屋で漫画読んでんだよ」
「え、もしかしてなんか不思議な空間で佇んでるとでも思ったの? そういう神もいるけどそんな所にずっといたら気が狂うでしょ。 いや、そこはどうでもよくて、君はどの道異世界に転生して魔王を倒さなきゃいけないわけで」
「そんな義務はない」
「一回死んでるのに?」
「………」
腹立つ。
「なんの報酬もないって言うのもアレだからね、多少のお礼はするよ? そうだな…」
そこで自称神は一拍置いて
「君の願いを一つ叶えてあげよう」
…信じた訳では無いがその提案は魅力的ではあるな。
「今は事情があって大した力は残ってないけど、魔王を倒してくれたら神らしいことはできる」
「神って言うくらいなら人を一人生き返らせるくらいのことはできるんだろうな?」
こういう場合のお決まりで、生死に関わることには干渉しないとか、どうせそんなことを言うんだろうが、最初に吹っ掛けておいて後から要求を下げれば無茶も通るだろう。
「できるよ」
「だろうな、じゃあ……。…は?」
勿論こいつが嘘を言っている可能性もある。だが何となく、適当なことを言っている訳では無いことはわかった。
「本当はダメだけどね? それを叶えると約束するくらい急を要する状況なんだ」
いつまでも状況を受け入れずにダラダラと時間を過ごす必要も無い。とりあえずはこいつが神だと仮定して話を続けよう。
「わかった、前向きに考える」
「助かるよ。じゃあ、具体的な使い方だけど」
と言って俺の足元を指さす。そこにはいつ置かれたのか、一冊の図鑑があった。
「…なんだこれ? いつからあった?」
「今出したよ、だってほら、神だし」
神だ何だとうるさいな。無視するか。
「……これの使い方は?」
そう言いながら足元の図鑑を拾い上げる。
うわ、涙目だ。
「埋めると強くなる」
「……拗ねたな」
「拗ねてない。図鑑埋めるの好きでしょ? ほら、もう行ってよ」
俺を椅子から立たせて、図鑑を押し付け、グイグイと扉の方へと背中を押される。
「ちょ、使い方とか、 強くなるって具体的には? それと…」
「それ読めばだいたい分かるから! 君の事はあっちの人に伝えてあるからもういいでしょ!」
「神がその世界の住人とやり取りしていいのか!?」
「預言者とか色々そんな感じだよ!」
「あ、わかった。拗ねたんじゃなくて、無視されて恥ずかしくなったんだな?」
「……───!」
図星だったのか、自称神は乱暴に扉を開ける。その先は広い草原地帯が広がっていて、その光景に驚きぽかんと眺めている俺の背中を蹴り、無抵抗だった俺は外に放り出される。
後ろでバタンッと扉が閉じる音がしたので振り返れば、そこにはもう何もなく、見渡す限りの草原に取り残されるといった形となってしまった。