「子牙出廬」2
姫昌は辛王により、幽里という土地にある獄塞に収監された。
主君幽閉される、の報が西岐にもたらされるや家臣たちは色めきだち、ことの真相を問う使いを朝歌へと送り出した。
だが、返ってきたのは、無残にも切り落とされた使者の首。
こうなれば商と、辛王との一戦あるのみ───世を覆わんばかりの民衆の怨嗟呪詛に拠れば、商朝に幕を下ろすこともあながち無理ではないぞと、気炎をあげる家臣群。
起つべき姫昌の子、発は今年で十九。
聡明であり、数多の学問にも通じ、何よりも行政手腕に傑出していて、よく父を補佐した。
性格は慈悲深く、常に悠揚迫まらず、若いながらにも大人物の風格を持っている。
……その聖人君子のような姫発が、どういうものか父の入牢を聞くや、いままで質素倹約を重んじていたにもかかわらず、贅沢を覚え、離宮を次々と新造し、朝に昼にと豪遊しだした。
狂気じみた乱行を苦言した家臣はみな免官され、西岐から追放されてしまった。
家長たる若き領主の、辛王もかくやの暴君的行動に激昂した他の臣下たちはみな、みずから城を去って行った、とのこと。
「まぁ、だから山をおりてきたんだけどね」
子牙は笠の下で苦笑していた。
しばらくののち、子牙と蓮は、姫発が豪遊三昧の日々を送っている離宮「臥子龍宮」前に立つ。
「姫発さまにお会いしたい」
「なんだ、そのなりは? どこの馬の骨とも判らぬ者が、姫発さまにお目通りできるとおもうなよ!」
正門を守る衛士は取り合わず、槍の石突で犬猫を払うように、子牙を押し退けた。
「岐山より、はるばる『宝』を持参してきたのだ。はやく取り次げ」
「聞こえなかったのか? 姫発さまはご多忙の身。立ち去るがよい!」
衛士、今度は穂先を突出し、追い立てる。
「あぶないなぁ」
子牙は竿を肩にかけ、びくをさげたまま、さらり身を翻してかわすと、突き出された槍の柄を蹴り上げた。
衛兵の手から得物が弾かれ、回転しながら宙空に弧を描き、そして大地に突き立つ。
領主の邸門を衛るほどの男───身の丈もあり、胸板も厚く、肩も腕も筋肉で盛り上がっていた。握力も相当なものと自負していた───だが、自慢の槍を文字通り一蹴されてしまった。
恐るべき脚力に目をまるくし、
「お、おのれ、くせものだ! くせものだ!」
悲鳴に似た叫びをあげる。
槍矛を手にした仲間の衛兵が駆けつけ、子牙と蓮へ鋭先揃えてぐるり囲む。
にわかに門前は剣呑な空気に包まれた。