「姫昌受難」2
三十代半ば、優美な肢体を獣面を装飾した甲冑に包んだ偉丈夫が、巨大な弓をかまえていた。
商王辛、そのひとである。
夏の桀王とともに古代中国における暴逆非道な昏君と評される人物である。
しかし、愚者が暴君になるということは皆無に等しい。
「史記」は辛王を語る……その頭脳、明敏怜悧。その行動、機敏権数。その膂力、万夫不当なり。
歴代の商王の中でもっとも「王たる王」、それが商王朝二十八代目の辛であった。
「これから、姫昌さまの興をそそるものがはじまりますよ」
崇虎がくぐもった笑いを漏らす。
軽業師や楽人とたちはすでに退場し、かわって足枷をはめられた囚人が、鉄球を引きずり、おぼつかぬ足取りで入場してきた。
「鄧九どの!」
姫昌は愕然とした。
囚人は、同じく三公のひとり鄧九であった。
辛王への諫言のために、ときを合わせて朝歌へのぼってきたものの、一度も会いに来なかったので怪訝に思っていたのだった。
鄧九は遠目でもそれとわかるほどに、拷問されていた。
むき出しの上半身には鞭のきずや焼けた鉄棒を押しつけられた火傷がまざまざと残っている。
手足の指はその幾本かがつけ根から切断され、残ったものもすべて爪がはがされていた。
なによりもむごたらしいのは、両目が無残にもえぐられ、眼窩が凝り固まった血によってふさがれていることだろう。
「おのれ辛王、傲慢不遜の王! 忠臣を軽んじ、佞臣を重んじ、美酒と漁色におぼれ、愚行を重ねおって! いずれ天誅が降るであろう!」
もはや何も映らぬ眼孔で虚空をにらみすえ、鄧九は叫ぶ。
しかし、弾劾されている辛王は顔色ひとつ変える様子はない。
「喋る、喋る。誰だ、やつを折檻したのは? まずやるべきは、あの舌鋒を折ることだろう」
崇虎は嘲弄した。
諸侯筆頭三公の位など、いまやなんの威もない。
───弓弦の鳴る音が二回響いた。
数瞬のあと、鄧九の凄惨な声が夜気を震わせる。
辛王が立て続けに放ったふたつの矢が、見事に鄧九の両膝を砕き、彼は床に崩れ落ちた。
うめきながら岩盤を必死にかいてはう───が、足枷の鉄球がそれを許さない。
鄧九のはるか前方は、そこだけ演武場の壁が牢獄のようになっており、二重の柵が設けられていた。
───その中で何かが蠢動している。