「姫旦誕生」1
商の辛王が暴虐のかぎりをつくしている頃、西伯姫昌が統べる西岐のはるか北の大平原では、さまざまな遊牧の民による覇権争いが激化していた。
───羌族なる部族がある。
いっときは縹渺万里の大草原にて他部族を圧し、隆盛を極めたものの、歴代の商王の迫害を受け、その大半を西へ西へと移動させられ、ついには戈壁砂漠に追い込められて貧しい生活を営まざるを得ないまでに凋落した。
羌族以外の遊牧部族は、商が全盛のときには羌族を迫害する側に加担することで生きながらえてきた。
だが、辛王の代に入り西域への勢力範囲が縮小すると、相争い、集合離散を繰り返す。
───そんな中、再び羌族は勢いを取り戻す。
生れ落ちてより馬上にいた羌族は、どの騎馬遊牧の民たちより馬を手繰るのに長けていた。
当然、騎兵も強い。
その最強なる騎馬隊を持って、羌族はあまたの部族を武力統合し、ついに八百諸侯のひとつ「秦」を滅亡させるまでの一大勢力となった。
羌族もまた数部族の集合体であるが、その中でも特に強靭なのは義渠族である。
その義渠の族長が、二万の軍勢を率いて西岐の領内に侵入してきた。
───姫昌が「太公望」姜子牙と出会った、その直後のことである。