表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殷周演義  作者: 諸橋カムイ
【第四章】
23/23

「姫旦誕生」1

(しょう)辛王(しんおう)が暴虐のかぎりをつくしている頃、西伯(さいはく)姫昌(きしょう)()べる西岐(さいき)のはるか北の大平原では、さまざまな遊牧の民による覇権争いが激化していた。


───羌族(きょうぞく)なる部族がある。


いっときは縹渺万里(ひょうびょうばんり)の大草原にて他部族を圧し、隆盛を極めたものの、歴代の商王の迫害を受け、その大半を西へ西へと移動させられ、ついには戈壁(ゴビ)砂漠に追い込められて貧しい生活を営まざるを得ないまでに凋落(ちょうらく)した。


羌族以外の遊牧部族は、商が全盛のときには羌族を迫害する側に加担することで生きながらえてきた。


だが、辛王の代に入り西域への勢力範囲が縮小すると、相争い、集合離散を繰り返す。


───そんな中、再び羌族は勢いを取り戻す。


生れ落ちてより馬上にいた羌族は、どの騎馬遊牧の民たちより馬を手繰(あやつ)るのに長けていた。


当然、騎兵も強い。


その最強なる騎馬隊を持って、羌族はあまたの部族を武力統合し、ついに八百諸侯のひとつ「(しん)」を滅亡させるまでの一大勢力となった。


羌族もまた数部族の集合体であるが、その中でも特に強靭なのは義渠(ぎきょ)族である。


その義渠の族長が、二万の軍勢を率いて西岐の領内に侵入してきた。


───姫昌が「太公望たいこうぼう姜子牙(きょうしが)と出会った、その直後のことである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ