「妲己囁声」4
「……それは、西岐の職人に作らせました 『美女』の人形です」
美女、というところに子牙は力を入れた。
蘇后の頬がかすかに動いた。
緊張の電流が大広間せまりと駆け抜ける。
しかし艶貌にはそれ以上何もあらわさない。
また侍臣に囁く。
「……せ、西岐では、こ、このような市井の娘ごときを美女と呼ぶのか?」
額と言わず、鼻と言わず、首と言わず、汗を吹き出させた侍臣が、己の言葉をつけ加えて尋ねる。
「なにぶん西岐は辺鄙な国。ゆえに朝歌ではどこにでもいるような婢女を美女と称しているのです。しかし、このような者が束になっても、至上芸術、天女のごとき王妃さまの美貌には足元にも及びません」
その場を席巻する殺気とも言える緊張感を知らぬかのように、しれっとした顔で子牙は歯が浮くようなことを言ってのけた。
「……こ、こ、このようなものがたくさんおるのか?」
蘇后の囁きを一段と震えが激しくなった声で侍臣は伝える。
「……はぁ、掃いて捨てるほどに」
「掃いて捨てるほどに……か」
侍臣の反芻を聞き終えないうちに、蘇后はくつを返して、垂簾の奥へと戻っていった。
蘇后の嫉妬心を逆手に取る───これが子牙の策である。
彼は西岐でも指おりの職人に、蘇后を想像して人形を作れと言った。
蘇后に自分の姿を模した人形を見せ、さらに子牙が西岐にはそのような女性は掃いて捨てるほどいると伝える。
たとえ絶世の美女の誉れを欲しいままにしている蘇后でも、必ずや恐れを抱くはず。辛王が西岐の地へおもむき、もしやその美女たちに心奪われてしまわないか、と……
下げられた紗幕の内で、蘇后は侍臣を呼び、一言二言何かを告げる。
侍臣が大仰にその大きな頭を何度何度も上下させているのが、使者たちには見てとれた。そのうち、突き出た腹をさらに張り出すようのけ反って、頓狂な声をあげる。
しばらくして、彼は幕の外に出て姿勢を正し、西岐の使者にむきなおると咳払いをひとつ。
「姫昌どのの身を西岐にお返しいたしましょう。さらには『西伯』の称を与えます。いまより増して、西方の安康に努められよ、とのこと」
蘇后の代弁をつとめる彼の広い額や団子のような鼻は、あふれる汗で濡れ光っていた。なんて大それたことを伝えているだろうか。自分でも信じられない、そう泳ぎまわる目が語っていた。