「妲己囁声」2
肉の焼ける音が耳朶を打ち、姫昌は痛恨に顔をゆがめた。
さらに死臭に満ちた熱風が鼻腔を突く。
嘔吐をこらえる姫昌に、白皙の顔を朱に染め、奥歯を鳴らし、槍を握る手を震わせている少年の姿が映る。黒虎は義憤していた。
「黒虎どの、崇黒虎どの」
姫昌の呼びかけに、少年はにらむように檻の中をのぞく。
彼の眼技に怯むことなく姫昌は続ける。
「見るがいい、万億の民があえぎ苦しみ、そして賢臣たちがあのようにして殺されてゆく。これみな辛王の狂気のなせるわざ。王こそ忌むべき賊ではなかろうか?」
姫昌の言葉に、黒虎は端正な顔を伏せた。
「……この少年、何が善で、何が悪かしっかりわかっている」
説得できるかも知れない───辛王の悪政に、どれだけの人々がれ塗炭の苦しみを味わっているかを、佞臣賊徒の悪鬼跳梁している宮廷のさまを、姫昌はとくと少年に説いた。
彼が姫昌に心を開きつつあった時である。
「黒虎、何をしているか」
崇虎が檻車の方へ歩み寄ってきた。黒虎は槍を脇にしまい込み、低頭する。
「黒虎どの!」
いま少しというところで……姫昌は声に力を入れて少年を呼ぶ。
「だ、だまれ!」
黒虎は槍を握りなおし、檻を叩く。
「何をしているかと聞いておる!」
「はい、父上。この者が陛下に対して、悪言をなすものですから、怒りを禁じえず、つい……」
「ほぅ……まぁ、よい。黒虎、おぬしはさがってよいぞ。ご苦労であった」
しかし、その言葉とは裏腹に、子へ向けられるまなざしは尋常ならざる光を宿していた。
「……は、はい」
黒虎は父を畏怖している。到底自分はこの父に逆らうことなどできないと悟っていた。
「……失礼いたします、父上」
ちらりと少年は姫昌の方を盗み見た。
が、視線が合うと、すぐにばつが悪そうに視線をそらし、去っていった。
「どうであった、見ものであったろう?」
崇虎は手にした杖の先で、うつむく姫昌のあごを上にむかせた。
「ゲスめ!」
姫昌は吐き捨てる。
「前にも言ったが、おぬしの殺し方はもっと愉快なものにしてやる。『蛇蠍之刑』などどうかな?」
「きさまの顔みたいで趣味が悪そうだ。遠慮しておこう」
「まぁ、そう言わずに!」
渾身の力を込めて崇虎は、杖で姫昌の頭を殴りつけた。
何度も何度も打ちすえる。額が割れ、血が噴き出す。
姫昌は前のめりになってうめき苦しむ。崇虎はさらに力を加え、背といわず肩といわず殴りつけた。
姫昌が気絶してはじめてその動きを止め、肩を揺らしながら気息を整える。
「はじめに手の指を残らず切り落とす。
次に足の指を、鼻、耳、そのあとで、肘と膝を裂き、蛇と蠍がごまんといる穴の中に蹴落としてやる」
崇虎はねずみのような顔をさらに醜く歪ませる。
「姫発とかいう小僧、おぬしが収監されてから、堰をきったように豪遊しているそうだ。先刻、西岐から使者が参った。貢物を持参してな。媚びを売りにきたのさ。ご子息は父親に似ず賢明だな」
杖で柵を叩きながら、崇虎は声高に笑った。