「妲己囁声」1
朝歌の市街で、辛王考案による「炮烙之刑」がおこなわれていた。
辛王の快楽と栄耀はとどまることを知らず、巨億の財貨が惜しげもなくそそぎ込まれ国庫は尽きた。さらに新たな税法を制定して人民の膏血をしぼる。
重税に民草は辛酸を嘗め、怨嗟の声が高まった。それを背に受け、姫昌ら三公をはじめとする狂君に諫言苦言を述べる剛直な臣も出てくる。
臣民の不平が高まると、それを鎮めるもっとも手っ取り早く、もっとも効果的で、もっとも苛烈な方法が「弾圧」である。
油を塗った銅橋が、赤々と燃え盛る炭火の上に架け渡されていた。淫楽を誹謗、忌避した良臣たちは次々にこの橋を歩かされる。
彼らは熱せられた橋から火の海へと落下し、苦痛にあえぐ声と焦げた匂いを巻き上げた。
「なんてことだ!」
姫昌は檻の格子をぐっと掴んで叫ぶ。
彼は両手両足に枷をはめられ、檻車の中にあった。
罪なき罪人が次々と銅橋を歩かされ───そして焼け死んでいく。
悲鳴叫喚の地獄絵図がよく見える場所に設けられた席で、悪夢のような惨劇をこの世に現出させた王は杯をかたむけている。
臣下の最期の姿がその目に映っているのか、魂消る声がその耳に届いているのかまったくの無表情でいた。
───銅橋に渡されたやぐらの階段に、うずくまる囚人ひとり。彼は役人に鞭打たれ、立ちあがると死への階段をのぼり、ついに橋の前まで進む。
「鄂禹どの!」
姫昌は唖然とした。
その囚人は鄂禹であった。
先に無慈悲な方法で処刑された鄧九に続き、またしても三公のひとりが、いままさに殺されようとしている。
鄂禹は姫昌の声が届いたのか、おとがいを上げて口をせわしなく開閉する。
しかし、彼の声は姫昌には届かない。
「舌を……舌を抜かれているのだ」
檻車の横に立つ、崇虎の子、崇黒虎が感情を押し殺した声でつぶやく。彼は父の命で姫昌の見張り役をしていたが、いまだ十を二、三過ぎたばかりの少年である。甲冑をまとうに値する年ではない。
それでも黒虎はその名の通りの黒い虎の意匠鎧で身をかため、槍を手に、この酸鼻な光景を目の当たりにしている。恐怖に身体を小刻みに震わせ、その名とは逆の、透きとおるほどに白い顔をさらに薄くしながら。
鄂禹は辛王をにらみすえ、言葉を成さない罵声を放つ。
浴びる辛王は眉ひとつ動かさず、鄧九のときと同じように、手を振りあげ───そして、降ろす。
役人に背中を押され、鄂禹は銅橋へと足を踏み出した。
数歩も進まぬうちにたっぷりと塗られた油で足元をすくわれ、無残にも猛る炎の中へ吸い込まれていく。