第九十三話 香川秋人 後編
前回のあらすじ
アスタロトの提示した必要なアイテムとは、『岬の想いが強く込められたモノ』だった。
タイムリミット内に見つけ出す事が出来なければ、岬の命も危うい。
そんな時、香川は彼が春川に残したペンダントを思い出す。
ペンダントに込められた想いと彼の岬に対する想いがリンクして、香川の過去が呼び起こされた。
「ね、少し見ていかない? 弓道初心者の子もいるし、先輩も親切に教えてくれるよ。あ! 私は顧問の仙道さくら。よろしくね」
「いや、自分はちょっと興味あった程度で、入ろうとは…」
秋人はやんわりと断ろうかと言葉を探していたが、なかなか見つからない。仙道のぐいぐい押してくる圧力に体が否定的なのが実感できる。かと言って彼女の口調はトゲがなく、すんなり受け入れてしまいそうな自分もいた。
「少し…」
「友達もたくさんできるから」
だけなら…と言葉を繋ぐつもりでいた秋人を、その一言が思いとどまらせた。
「黙ってくれませんか。自分、忙しいので失礼します」
「あ…」
踵を返し弓道部を颯爽と立ち去る秋人。
背後から「いつでも待ってるから!」と彼女がかけた声がいつまでも心に響いていた。
帰宅後で、秋人は重大なミスを犯してしまった事に気付いた。
宿題のプリントを机に入れっぱなしにしてしまっていた。
(まずいな)
彼のプライドから、まず宿題を忘れて登校するという概念はない。宿題の内容さえ分かれば、家で解いて明日の朝にでも書いてしまえば済むことだが、肝心の内容を教えてくれる友人が彼にはいなかった。
壁掛け時計を見ると針は18時にさしかかっている。
(仕方ない。走ればまだ間に合うはずだ)
彼はジョギングウェアに着替えて家を出た。
秋人の自宅から学園はそう遠くはない。徒歩で二十分程度である。
途中、激しい雨が降り始めた。
(ついてないな)
フードを目深にかぶり、雨に打たれながら走り続ける。
その時、ふと視界にスーツ姿の女性が三人のガラの悪そうな若い男達に囲まれているのを見つけた。
(あれは…仙道さくら?)
「やめてください。私はそんな気ありません」
「少し付き合えよ。ほら、少しで済むから」
その光景を帰宅途中のサラリーマンが再三チラリと横目で追いながらも、何事もなかったかのように行き過ぎて行った。トラブルに巻き込まれるのはゴメンだという風に。
(大人は誰も助けようとはしないのか)
その時、彼の頭の中に岬の言葉が甦る。
「誰かがやらなきゃ、始まらない」
リーダー各であろう男が、彼女を無理やり路地に連れ込もうとしている。
普段の秋人ならば、他人と関わるつもりはなかっただろう。しかし、岬の言葉と優しく彼に声をかけてくれた彼女の顔が記憶に甦り強い信念を抱かせた。
「待てよ。嫌がってるだろ」
フードを外し、路地に入った彼は威勢よく声をかける。
が、瞬間秋人の顔色が変わった。振り返った男達の手にはナイフと白い粉の入った袋を仙道に押し付けているところだった。
「あ、あなた! 弓道場に来てた…」
しまったという風に口を閉じた仙道だが、もう時既に遅し。
リーダー各の男は仙道が叫び声をあげないよう片手で体を押さえ、もう一方の腕で口を塞ぐ。
残った二人の男はそれぞれ手にしたナイフを秋人に向けた。彼らは常人とは明らかに違っていた。血走って濁った眼に、口の端から涎が垂れ続けている。
「威勢がいいな、兄ちゃん。この姉ちゃんの知り合いか? まぁ、俺達のまっとうな商売を邪魔してくれた罪は重いよな」
「へへへ、こいつにもやってしまいますか。連帯責任として」
体が震える。単なる軟派と思って勢いよく踏み込んだはいいが、まさか相手がナイフを持って近づいてくるとは予想外だった。
秋人に格闘技の経験なんてない。ましてや争いごとを避けてきた彼にとって、喧嘩など生まれてこの方やった事はなかった。
「とりあえず、腕のひとつぐらい刺しておけば大人しくなるだろ?」
「そうだな。騒いだら、こいつを無理にでも飲ませちまえばいいか」
そう言って手元の白い粉の袋をちらつかせた。
(怖い…怖いけど…)
男がゆらりとナイフを前に突き出し迫ってきた。
(やるしかない。今だ!)
腰を屈め、アマレスのタックルの要領で男の懐に潜りこみ、押し倒してマウントをとる。
「うぐぅ」
男はナイフを手放した。後頭部を打ったのか昏倒している。
(みよう見まねだが、先日見たオリンピック選手と同じ動きをしてみたのが案外上手くいったな)
秋人は得意気に笑った。生まれて初めて他人との喧嘩に勝った興奮が彼を有頂天にさせていた。
しかし、それは相手が一人の場合であった場合に限り得る事が出来る状況。彼はもう一人、ナイフ持った相手がいた事を忘れていた。
「死ねぇ!」
「!?」
気付けば彼の目の前にナイフが迫って来ていた。
(かわせない!!)
ガシッ!
先日のサッカーボールの光景がフラッシュバックされる。
「あ、あぁ…」
秋人の目の前に素手でナイフを受け止めた制服姿の岬がいた。
ポタポタと血の滴が落ちるのも気にせず、岬は振り返り、秋人を見て微笑んだ。
「よく頑張ったな」
「……」
緊張が解けたのか秋人の体から力が抜けた。
「だ、誰だてめぇ! 邪魔すんじゃねぇぞ」
「私は明勇学園生徒会長、時雨岬だ。うちの生徒と教師、返してもらうぞ」
リーダー各の男に隙が出来たのを見計らい、仙道は男の手から離れて岬の背後に回った。
「岬くん、ここは逃げましょう!」
「逃がすかよ」
ガォゥン!
リーダーの男は胸元から真っ黒な鉄の塊を出して、その引き金を引いた。
ナイフを持った彼の仲間が倒れた。
「拳銃か!」
岬は強く男を睨み返す。体は仙道と秋人を庇うように前に出た。仙道は岬の肩に手を起き、ガタガタと震えている。秋人は昏倒した男に馬乗りになったまま固まり、何もできない。
「おっと狙いが外れちまったか。そら、もう一発!」
秋人は自分の目を疑った。
弾丸が発射されると同時に人影が自分の横をすり抜け、岬の前に立った。
ガォゥン!
銃声の後、倒れていたのは拳銃を持った男だった。
(暴発…したのか?)
男の肩口に血が滲んでいる。男は何度も口惜しそうに「くそっ、くそっ」と呟いている。
「岬、手は大丈夫? すぐに手当てしてあげるから」
「神楽、すまない助かった。それより、先生と…君は無事か?」
仙道は涙を流しながら何度も首を縦に振る。
岬の手から血が流れ続けていた。彼は自分の怪我よりも、仙道と自分を心配して声をかけたのだ。
(この人は自分の命を盾にしてまでも自分達を守ってくれた…)
秋人には信じられなかった。自分の今までの生き方を否定された気がした。
だが、それは秋人の新たな生き方の道標でもあった。
その後、秋人は弓道部に入部する。
仙道の指導がよかったのか、彼に素質があったのか。秋人はめきめきと上達し、彼女を超えた実力を身に付けた。
後で知った事だったが、仙道はこう見えて国内大会を連覇している日本一の弓道の達人だった。
その時はまだ、彼女の祖先が、あの源平合戦で名を馳せた那須与一であったことは彼女以外知るよしはない。
自分の人生となる道標を与えてくれた岬。
また、そこには恩師である仙道の存在があった。
香川はペンダントを手にし、岬救出へと走り出した。
次回、岬とあの人が帰ってくる?
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