第九十二話 香川秋人 前編
前回のあらすじ
魔王ベルゼブブによるアリスへの呪いを断ちきった大悪魔アスタロト。
次はいよいよ、次元の狭間に落ちていった岬を呼び戻すという。
その方法とは?
「さて、次は岬の番だね。お待たせしたね、香川くん」
「頼む。岬さんが助かるならば、私は何でもやる」
いつも冷静沈着な香川が緊張して声を上ずっている。
(香川さん…)
沢村は真っ直ぐに彼を見つめていた。それに気付かないほど、香川は警戒心を解いている。今なら、沢村…いや、中学生でも容易く彼を押し倒す事は可能だろう。
「さっき聞いた事が本当なら、岬は今でも次元の狭間をさ迷っているわね。もしかしたら、もう死んでいるかもしれない」
「な、何だって!?」
香川の表情が、険しくなる。
「まぁ、可能性の一つよ。何しろ、あそこは人間が生きていける場所じゃない。例えて言うなら宇宙空間といったところね。響子、レナスの宇宙空間での耐久時間はどのくらい?」
「宇宙…スピカさんがおっしゃっていたのは…酸素供給がなければ二十分が限度とのことでしたわ」
皆が一斉に柱時計を見た。
岬が次元の狭間に飲み込まれてから、既に十分が経過している。
「時間がないわね。早速だけど、彼を呼び戻す条件は…」
固唾を飲んでアスタロトの次の言葉を待つ。アスタロトは皆をゆっくり見回しながら声を上げた。
「彼の想い入れの強いアイテムが必要なの。この中で、誰でもいいから岬が所持していた物を持ってる?」
皆、それぞれ思い返してみる。
「あ、私持っておりますわ!」
響子は制服のポケットから一枚の紙切れを取り出す。
「生徒会長から会計へと預かっていた学園の備品の領収書ですわ」
得意気な響子とうって代わり、アスタロトは首を左右に振る。
「それじゃ、想いが足りない」
落ち込む響子をよそに、立石がここぞとばかり立ち上がった。皆の視線が立石に集まる。
「仕方ねぇな。なら、これならどうだ! ほら、学園長から試合の初勝利記念にもらったボクサーパン…いてっ!」
ズボンのベルトに手をかけた立石をサンブレードの鞘で殴る響子。
「そんな物に学園長の想いが込もっているわけないでしょ!」
他に誰も名乗りをあげないまま、時は刻一刻と迫っている。
(岬さんの想いがこめられた……あ!)
香川は立ち上り、駆け出した。目指す場所は決まっていた。
「香川さんっ!」
沢村の呼びかけに振り向いた香川はしばらくぶりの笑顔を見せる。
「沢村さん…みんな少し待っててくれ。心当たりがあるんだ。今、それを持ってくる!」
一同は藁にもすがる想いで香川を見送る。
そこは春川の部屋であった。部屋に飛び込むと、亡骸となった春川の胸の上に青いペンダントがあしらわれたネックレスが光輝いている。
(すまん、春川。しばらく借りるぞ。岬さん、待っててください!)
香川秋人、明勇学園三年弓道部部長。
彼には年の離れた姉がいる。
香川流華道家元といえば、全国有数の華道家として有名な歴史ある家柄であった。女系の家元であり、代々香川家では女を後継者としている。厳しい母の教えもあり、後継者として育てられた姉はコンクール等、数多くの賞をとっていた。
秋人はそんな家庭の中でまるで女性のように育てられた。姉に万が一の事があればという母の教えでもあった。
髪も女の子のように長く伸ばし、服装もスカートとまではいかないが、姉に寄ったコーディネート。
そんな彼だから、小学校には同じクラスの男子からよくからかわれた。中学生となると更にエスカレートし、机の上には落書きなど日常茶飯事であった。
しかし、彼はなに食わず顔をし、男子生徒と揉めたり、登校拒否など学校を休む事はなかった。
一方、女子からは成績もクラスで上位の上にスポーツ万能、おまけに顔立ちもよくクールな面も受け、同じ男子の中でも特に人気を得ていた。休み時間や昼休みには彼の回りには女子が集まる。彼女らは、常に茶々を入れてくる男子から秋人を守っていた。
しかし、彼にとってはどうでもよかった。秋人にとって、男子であろうが女子であろうが空気と同程度としか考えていなかった。
常に自分は一人だと。
(生きていくのに誰の手も借りない。自分自身で出来る事をやればいい)
明勇学園に入学すると、風の噂で聞いたのか、華道部からのスカウトがあった。しかし、彼はにべもなく断った。
部活動に入る気はさらさらなかったのである。
誰かと一緒に何かを成し遂げる。誰かと関り合いになるのが、嫌だった。
一年も終わろうとしていたある日の事。
彼は一人で花壇の脇のベンチで本を読んでいた。
花壇では一人の男子生徒が汗を流しながらホースで草花に水をやっている。学生服から三年生だと分かった。
(男子なのに園芸部か。まぁ、自分も華道の家だし、同じようなものか)
特に興味もなく、本の続きに目をやる。
「あ、危ないっ!」
その声に顔をあげると、目の前にサッカーボールが飛んできた。白黒のつぎはぎが見える位置まで来ている。
(かわせない!)
バンッ!
が、彼の目の前に差し出された手が、サッカーボールを受け止めた。
(あ、園芸部の人だ)
「大丈夫か? おい、サッカー部! 危ないだろ。離れたとこで練習してくれ」
「すまん、岬。何しろ今年は新入部員の数が多くてさ。グラウンドが手狭なんだ」
サッカー部員は岬と呼ばれた生徒からボールを受けとると、足早にグラウンドへ戻っていった。
「そうか…」
何かを考える仕草の彼に、秋人は礼を言うのも忘れ、ただ呆然と彼を眺めていた。
「お、岬! あんたまた草いじり? おじいちゃんになっちゃうよ。そんなの園芸部に任せてさ、お好み焼き食べに行こ?」
どこからともなく現れた女生徒。腰に制服の上着を巻き付けた彼女は彼に気さくに話しかける。
「いや、これが終わったら、学園内の清掃だ。あと予算会議もある。神楽、すまないが今日は先に帰ってくれ」
神楽と呼ばれた女生徒は、ぶすぅっとふてくされながら去っていった。
(あ、思い出した。この人は確か生徒会長だ)
入学式の挨拶で目にした事を思い出した。
(でも、なんで生徒会長が園芸や清掃をやるんだ?)
不思議そうに見つめる彼の真意を汲んだのか、岬は秋人に話しかけた。
「何やってるのかって顔に書いてあるぞ。うん、そうだな。君は、綺麗な花は好きかい?」
花は見飽きるぐらい毎日目にしている。
「誰だって、綺麗な花は好きですよね」
「なら、校内も綺麗な方がいいよな。つまりそういう事だ。人の感情は周りの景色に左右される。綺麗に育てられた花や清掃が行き届いた校内だと、生徒達にも穏やかな心が保たれる。逆に荒れていたり、汚れていると心が荒むだろ。私は皆に、この学園でいい思い出を持って卒業してもらいたいんだ」
「………」
秋人には理解し難かった。人にはそれぞれ役割分担がある。
(園芸や清掃なんて、その担当がやればいいじゃないか)
「誰かがやらなきゃ、始まらない…だろ」
「!?」
岬はそう言い残して立ち去った。
『誰かがやらなきゃ、始まらない』
空っぽだった秋人の心の隙間に、この言葉が深く突き刺さった。
翌日、全校集会が開かれ、生徒会長である岬はサッカー部のグラウンドを広げるよう教師達に声をあげた。予算の編成や生徒達への事故に繋がる配慮など、こと細かに調べ上げたデータを説明する。
(昨日の事だぞ。まさか、あれからこれだけのデータを集めて…)
一部教師からの反論もあったが、全てデータに基づく正当な理論で受け答えた。正に完璧な対応に、サッカー部は勿論、生徒達から喝采を浴びる。
岬の祖父である学園長、時雨景時は彼の意見に深く頷いた。
「生徒会長の意見しかと受け入れようではないか。予算面や施工業者の話もあるのでしばし時間をもらうが、よいかの?」
「もちろん構いません。学園長、その際は私も同席します」
景時は好々爺然として、カラカラと笑った。
教室に戻ると岬の話題で持ちきりだった。
「流石、生徒会長! 言うことが違うな」
「カッコいいよね!」
秋人は周囲のクラスメートの輪に入らず、ただ聞き流していた。
放課後、教室を出て中庭に繋がる渡り廊下を歩く。校内を行くよりも、玄関口の下駄箱へはこちらの方がショートカットになっていた。夕暮れ時の真っ赤な空の下、一羽のはぐれカラスが一声鳴いた。
(お前も一人ぼっちか……ん?)
渡り廊下の先を一人のスーツ姿の女性が歩いてゆく。
(あれは弓道場か)
彼女の向かう先は玄関口とは逆の弓道場であった。
秋人はつい弓道場へと足を向けた。幼少の頃から習い事といえば実家の華道のみを学んで来た秋人に弓道の経験はない。だが、不思議と何かが自分を呼んでいるような気がした。
彼女は弓道場に入ってゆく。
(弓道か。華道とはまた別な道だな)
全く興味がないわけではない。サッカーやバスケットなどの複数人で行うスポーツと違い、己自身が切磋琢磨し腕を上げる弓道は彼の性に合っていた。
秋人はそっと近付き、中を覗いて見た。
数人の生徒が的を狙い、弓を引く。外れる者もあれば、中心を射抜く者もいる。皆、心を静め、弓矢を通して己自身を見つめているようだ。華道のような華やかさはないが、どことなく似ている感じがした。
「あの…入部希望者かな?」
「!?」
気配さえ感じさせずにその人物は秋人の背後から声をかけた。
「驚かせちゃったかな。ごめんね」
照れ笑いを浮かべて謝る弓道着姿の彼女。先程見たスーツ姿の女性に間違いはない。弓道部顧問であり、後の秋人の弓の師となる仙道さくらとの初めての邂逅であった。
香川の回想編です。
岬と彼の間に何があったのか。
次回、香川秋人 後編 にご期待ください。
今回もご覧頂き、ありがとうございました。




