第八話 柚子と充之
「ありがとね。後はママがやっとくから、柚子はケイくんとご飯食べてきなさい」
「うん」
柚子は丁寧に仕上げられたまっ白なワイシャツを包装し、母の御堂雪に渡した。
『ネクタイひとつから大きなお布団まで真心こめたクリーニング承ります』
が、モットーのミドークリーニング店は夜中9時になっても明々と明かりがついている。
一年前、父を配達中の交通事故で亡くしてから、繁忙期には母の手伝いをしていた。
「ほんとゴメンね。部活動あったのに。柚子、部長なんでしょ?」
「んーん、いいよ。アッコ達には後で謝っておくから」
羽衣亜希子、ニックネームはアッコ。今年、初めて一年生同士で立ち上げられた部活動である手芸部の副部長である。柚子は入学当初からコスプレ好きな彼女に縫製技術を見初められ、制作活動を手伝っていた。いつのまにやら同じ趣味を持つクラスメートが集まり、自然な流れで(半ば強制的に)手芸部の部長を任されていた。
申し訳なさそうな母に出来るだけ心配かけないよう、ありったけの笑顔で応え、二階の居間の階段を上がった。
(ママ、最近痩せちゃったかな)
ただでさえ細身の母が最近更に痩せ衰えている感じに胸が締め付けられる。
二階の居間では今年三才になる弟の圭一郎がおとなしく積木で遊んでいる。
「ケイくん、ゴメンね。今からすぐにご飯作るから待っててね」
「わかたー」
柚子は腕まくりをし、キッチンにかかっていた月か南極か分からない上でペンギンとウサギが踊っている手作りエプロンを下げて冷蔵庫を開ける。
(…あれ、お豆腐切らしてる…)
「ケイくん、お姉ちゃんお買い物行ってくるからちょっと待っててね」
「んー、いてらしゃー」
舌っ足らずな弟の見送りを受け、柚子は財布を手に階段をかけ下りた。
「ママ、スーパーでお豆腐買ってくるね」
「あら、切らしてたの忘れてた。ゴメンね。気を付けてね」
柚子はエプロン姿のまま靴を履き、店を駆け足で飛び出した。おっちょこちょいなのは母親譲りかもしれない。
店を出て50メートルも離れたところでふーっと一息つく。運動は得意な方ではない。クラスの女子の中でも下から数えた方が早い方だ。
月明かりが夜道を照らしている。この辺りは住宅街から離れていて、夜間は人通りが少なく車の交通量もさほど多くない。
ふと、視線を送ると交差点の信号機が明滅している。
(パパ…)
三年前に他界した父が起こした交通事故の現場である。日中は気にしなかったが、こうして人通りのない夜の交差点を歩くと父の記憶を思い出してしまう。柚子は知らずのうちに涙が溢れ、前方の視界が滲むのも構わず赤信号中の車道に足を踏み出していた。
眩しく光る車のライトが視界を奪った。大型のトラックがノンストップで柚子めがけて突っ込んでくる。はっと振り向くが柚子の足はその場でピタリと釘付けされたように動かない。
(あ、あたし…死んじゃうの? 嫌だ、ママ、ケイを置いていけない)
その時、体が宙にフワリと浮いた感覚とともに優しく身体を支えられた不思議な温もりを感じた。歩道に着地する。
トラックはそのまま速度を変えず、通り過ぎて行った。
「ばかっ! 死ぬ気かよ! …にしても、あのトラックも危ないよな」
「え…さ、真田くん?」
そこには見慣れた制服姿の充之がいた。
「そだそだ、ちょうどよかった。お前んち今から寄ろうかと思っててさ」
一瞬何が起こったのか分からず混乱している柚子に、すかさず突き出された手の平の上に手作りのウサギがちょこんと乗っている。
「私のウサギ。こ、これ…どうして真田くんが?」
「夕方、姉さんに会っただろ。その時、落として行ったんだってさ。明日、学校で渡そうかと思ってたんだけど姉さんがシャンプー切らしてて買ってこいっていうから。ま、ついでに御堂の家の近く通るから渡しとこうと思って」
柚子は恥ずかしそうに人差し指でウサギをつまみあげ、そっとエプロンのポケットにしまいこんだ。
「んで、御堂はこんな時間にエプロンなんかして歩いてんだよ?」
「あ、これは…」
柚子は夕食の買い出しに買い物に行く事を話し、充之ともに他愛のない話をしながらスーパーへ向けて歩き出した。
「それにしても、夜道は気をつけろよ。クラス一の美少女が怪我なんてして入院したら、うちの男子生徒が毎日のように病室見舞いに来て鬱陶しいだけだぜ」
充之にしたら単なる冗談のつもりだったが、柚子はぴたりと足を止める。
「私なんかより千晶ちゃんの方がずっと可愛いし、人気者だし、それに…」
(私、何言ってるんだろ。バカみたい)
後悔の念でうつ向いた顔が上げられない。
「千晶ぃ? あんな食欲大魔人が可愛いって?」
充之の笑い声に拍子抜けした柚子は呆気に取られて顔を上げた。
「真田君は千晶ちゃんのこと…好きじゃないの?」
自分でも大胆な発言をした。
「俺が好きなのは…」
ゴクリと生唾を飲み込む音と心臓の鼓動が充之に分かるような気がして恥ずかしさでいっぱいになる。
「御堂…」
「え!?」
充之に両肩をガシッと掴まれ、真っ正面に向き合った。普段のクラスでは見ない真剣な眼差しの充之。あまりに突然の告白に膝が震え出した。
「お前、新聞部の白河に何かしら言われたんだろ? 学園モテモテランキングのリサーチだな。あの野郎、御堂がおとなしいからってダシに使いやがって」
力が抜けて崩れ落ちそうなのを何とかこらえ、弱々しく頷いた。
(明日、朝イチで白河くんに謝らなくちゃ)