第六十八話 春川亜希
選抜メンバーエピソード1です。
今回はテニス部部長の春川さんです。
では、ご覧くださいませ。
1日目、日本時間22時。
岬達選抜メンバーは、個々の部屋に引き上げ、明日の朝まで休養をとることにした。明日は、王都カイザルへ向かう事にした。カイザルはこの世界では最も大きな港町アンジュを擁する王政国家である。勿論、冒険者ギルドはこの町よりも更に多くのプレイヤーとNPCを抱えている。ギルドで情報を集め、必要なら港から出る船で他の大陸へ移動することを視野にいれ考えた案であった。
応接間には春川と内藤の二人の姿があった。
「春川さん…でしたね。私に聞きたい事とは?」
聞きたい事があると内藤を一人応接間に残したのは春川だった。
「あの…内藤さんは栞さんのマネージャーと言いましたよね?」
「はい。彼女が10歳の頃に子役としてデビューした以来、私が付き添っています。まぁ、彼女にとっては身内のような者でしょうか」
春川は内心ホッと胸を撫で下ろしていた。
「今回は、彼女がCMのイメージキャラクターである『ライフサーガ』を自分でも体験したいとの事から始まりました。偶然にも私はこのゲームが始まった初期からのプレイヤーで、何度もやりこんでいたので事務所からも案内役として推薦されたのです。この館も周回プレイにより私が貯めたこのゲームの通貨で建てたものなんです」
ゲームとはいえ、実際の作りは驚くほど丁寧であった。春川は屋敷内を見回して感嘆のため息をつく。
「いや、今とは雲泥の差ですよ。当初の館はあくまでハリボテのようなみすぼらしい館でした。勿論、外の世界から見てですがね。今の館は、あなた達が訪れた…このような事態に陥った際にすっかり変わっていたのです。私も驚きました」
このような事態。実際にゲームにプレイヤー達が取り込まれた事である。
「その事態に直面したと同時に、二人とも気づいたらゲーム世界にいた…」
「はい。私も彼女もゲーム内のプレイヤーの格好をして、この屋敷に倒れていたのです。幸い怪我はありませんが、お恥ずかしながら夢と思っていました。しかし、彼女と話す内にこれはゲームの世界に入ってしまったのだと。とんだSF映画ですよね」
春川は真剣に聞き入っていた。彼らは自分達とは違うルートでこの世界に来た。これは、現実なのだと深く痛感させられたのも事実だった。
「私には原因は分かりません。栞とゲームをしていたのも事務所での営業が終わってからですから、二人きりでした。明日の朝には事務所は…いや、マスコミが大騒ぎとなっているでしょうね。参ったな、ははは」
内藤は力なく笑った。大人の男性の見栄っ張りが春川の心を打った。
「内藤さんっ!必ず、私達があなた方を元の世界に連れ返して差し上げますわ。だから、今は胸を張ってください」
「うん。学生で年下の君にそう言われたら大人としてしっかりしなくちゃあな。ありがとう、春川さん」
心臓の鼓動が今にも聞こえるんじゃないかと疑った。いつも強気で、大人ぶったふりをしていた春川にとって、これは初恋だった。一回りも年上の内藤は、同世代にはない大人の魅力を春川に感じさせていた。
春川亜希。
彼女の姓は母のものである。彼女は父の記憶がない。幼い頃、医者であった父はボランティアで海外に渡航した際にかかった病により死去したのだ。美人であった母は、水商売で働きながら彼女を一人で育てた。
彼女は中学に上がるとテニスを始めた。類い稀な才能を開花させ、かつ努力家であった彼女は県大会など常にトップクラスの成績を納めた。
中学三年の時に悲劇が訪れる。母が身籠った。相手はまだ二十歳そこそこの彼女の母が働くクラブのオーナーだった。
しかし、彼は籍をいれる事を頑なに拒んだ。経営者として、まだ独身の方がよいという随分身勝手な言い訳だった。
彼と母の間に娘ができた。名を唯と言う。
彼は一度も姿を見せなかった。まるで自分の子供ではないと否定するかのように。母は働く場所を失うのが怖いのか、自分の手で育てる決意をした。
だが、毎日のように水商売で家を開けていた母に代わり、亜希が唯の世話をしていた。
ある時、深夜に自宅のアパートにふらりと彼が訪れた。
彼は土足で上がりこむと、有無を言わさず亜希を襲った。
亜希は幼い唯を抱え、裸足で下着姿のまま家を飛び出した。警察が路地裏で震えていた彼女達を確保した。
次の日、母はクビになった。反抗する気力もなく、母は毎日酒びたりの日々を送るようになった。
母と唯の為に部活を止め、アルバイトを始めた亜希を救ったのは明勇学園前学園長である岬の祖父、時雨景時だった。
彼女の才能を評価し、特待生として迎え入れたのだ。
充分な生活費と学費を援助された彼女は、青春の全てをテニスに打ち込んだ。
そんな彼女だからこそ、年上の内藤に異性としての憧れ…いや、未だ知らぬ父の姿を見たのだった。
まだ知らぬ父と憧れの異性を重ねて見ている彼女。
実は苦労人なんです。
今回もご覧頂き、ありがとうございました。




