第四十六話 静音伝 その壱
新シリーズ開始しました。
戦国時代に残った清音とその娘と鹿(?)のお話です。
よろしくお願いいたします。
「静音、雨降ってるでしょ。お家から出ちゃダメよ」
「ぶぅ」
その日も雨は降り続けた。山の天気は変わりやすいとはいえ、もう幾日もこう雨が続くと人間嫌気が差してくるのも当然だろう。清音は外に遊びに行きたく仕方ないといった感じの静音を引き止めると、再び裁縫を始めた。静音の夏服だ。ここでは自給自足が当たり前である。衣服も野菜や肉、魚等の食料も全て自分の手で得なければならない。山を降り、都まで足を伸ばせば綺麗な着物が手に入るだろう。しかし、彼女にはそのような高価な物と交換できる持ちあわせはなかった。
ポチョン…
「う、ちべたっ!」
狭い家…といっても二人暮らしが精一杯の藁葺きの粗末な家は、落ちてくる雨漏りが絶えない。しかし、4歳になる娘の静音は雨粒を当然の事だと理解しているのか苦でもないらしい。最近は落ちてくる雨粒を手の平で受け止める遊びに夢中である。やがて、夕闇が辺りを暗がりに変える。清音は兵馬にもらった油を張った皿に火を灯した。兵馬は時折ふらりと家に寄り、ここでは手に入りにくい貴重な薬や魚、米などを届けてくれた。
トン、ツクトン…
「おかぁさん! しかさん来たぁ!」
「あら、本当ね」
慣れ親しんだ角が戸を叩く音に静音はキャッ、キャと幼い笑みを一杯にはしゃいでいる。裁縫の手を止め、戸の閂かんぬきを 外すと一頭の鹿が口に木の実やらを咥えて入ってきた。雨露に濡れた毛をブルッと震わせる。
「あはっ!」
雨の飛沫で自身の体が濡れるのも厭わず、静音は鹿の首にすがりついた。鹿はそんな静音を嫌がることなく、あえて愛情を注ぐかの如く何度も顔を擦り寄せる。
「あなたも大きくなったわね、マロン」
あの時の子鹿は清音に育てられた。もう今時分は一頭で山を駆け巡る事が出来るほど成長している。時折、こうして木の実を届けに来てくれた。山暮らしの清音にとっては貴重な食料の一つであり、何よりも大切な家族の一員であった。綺麗な栗色の毛並みをしていたのでマロンと名付けている。兵馬や愛洲にはマロンとは何かと聞かれたが。
あの戦いから五年の歳月が過ぎていた。清音ももう23歳を越えた。授かった小さな命は、すくすくと育ち、小さい頃の優音にそっくりである。生まれた頃はあまりに静かで泣かない赤ん坊だったので、兵馬が静音と名付けて案外気に入って今にいたる。
「うふふふ。マロンもきれいきれいにしよぉねぇ」
静音はマロンの毛皮を櫛でといて遊んでいる。マロンは目を細め、気持ち良さそうにうとうとしている。そんな光景を見ながら清音は裁縫の手を進めている。この裁縫も妹の優音に教わったものだ。料理もそう、洗濯も掃除もそう。女の子の家庭でのお世話は全て優音に教わった。
(お姉ちゃんは刀の事ばっかり考えてるんだから。そんな事じゃ、お嫁さんの貰い手がいなくなっちゃうよ。いつか私もお嫁さんに行っちゃうんだから、お姉ちゃんも一人で出来るように鳴ること)
優しい口調だが、いつも口うるさく言われていた事を懐かしく思い出していた。口元が無意識にほころぶ。
ふと、神棚を見上げた。そこには折れた風刃一刀が飾られている。清音の打った刀である。あの時以来、刀は打っていない。兵馬の勧めで近くに簡易的な火事場を設け、包丁などの刃物を打ち、都で着物や野菜と交換しているぐらいだ。
気が付くと静音はマロンを枕に眠り込んでいた。マロンも気を許しぐっすりと眠っている。
「おやすみ。私達のお姫さま」
清音は裁縫の手を止め、静音が目を覚まさないよう優しく毛布をかけた。
ご覧いただきまして、ありがとうございました。
子供から大人の女性になった清音が母親として頑張るお話です。
が、実は大きな伏線を…。
次回もよろしくお願いいたします。




