第三十九話 絶対絶命
「ち、千晶ちゃん。お、お姉ちゃんが…お姉ちゃんが…」
カノン砲がゆっくりと色をなくしてゆく。熱気が冷め、千晶の瞳に一筋の涙が流れ落ちた。
「そんな…手を出さない約束じゃ…」
「それは『貴女』にという話です。彼女らは除外でしょう?さぁ、この娘の命が惜しければ抵抗をやめていただきましょうか」
「(そんな…キヨっ!キヨぉぉぉっ!!起きろぉぉぉぉっ!!)」
千晶の脳内で立石の悲痛な叫びがこだまする。千晶の右手かサーベルが音を発てて落ちた瞬間、何事もなかったように消えた。続いて、シールド、サークレット、カノン砲などの武装も全て消え、元の制服姿の千晶が現れる。千晶は呆けたように両手をぶらりと下げたまま、清音を見下ろしている。両目をとじ、静かに横たわる清音の胸に突き立った短剣からはどくどくと真っ赤な鮮血が地面を朱に染めていた。
「さて、一つ聞きたい事がありましてね。私が立っていた木陰はそなたの斜め後ろ、つまり死角だった。しかし、この場所へ移した際に私の動きを目で捉えることなく突如真後ろであるこちらへ振り返った。これは、誰かの指示でなければ気付くことなはい。そちらの巫女姿の娘か…はたまた第三者がいるのか?」
千晶の口は半開きのまま何も声は出てこない。呼吸すらも忘れているかのようだった。先程から脳内では半狂乱の如く立石の声がこだましている。スピカや岬が取り押さえる様子が分かるが、千晶の脳内にはそれを理解し処理できるだけの力はなかった。ただただ、熱い涙が流れ落ち続けている。
「ふむ。脳に異常をきたしたようですね。仕方ない、あの巫女姿の娘に聞いてみますか」
優音を捉えたまま、晴明は茨木童子に目線で合図を送る。肉片がいたる所から削りとられ、ぼろぼろの体を引きずるように茨木童子は柚子へと一歩、また一歩と近付いてゆく。柚子の顔は恐怖にひきつり涙をいっぱいに溜めながら口を金魚のようにぱくつかせていた。思うように声が出ない。もし、助けを呼ぶ声を出せたとしても誰が助けてくれるのだろう。
(千晶ちゃん…みんな、死んでしまうの?嫌だよ、ケイ!お母さん!…充之くん!助けて!)
「な!?」
その時、一頭の鹿が茂みから飛び出して晴明に力の限りぶつかった。
「鹿さん!」
それは、先程優音に近付いて来た母鹿だった。思いがけない奇襲に晴明は優音の手を離し、地面に倒れしたたか額を打ち付けた。手の平を当てると額にわずかに傷痕があり血が付いている。
「くっ!獣風情が私を傷つけるとは言語道断。茨木っ!この鹿を殺せっ!」
逆上した晴明は大声で叫んだ。茨木童子は視線を鹿に向ける。
(あたし…あたし…)
この声に千晶は意識を取り戻し辺りを見回した。不思議と落ち着いて見ている自分がいた。
ギチッ!
突如、虚空から現れた右腕が鹿の首を掴み、握り締めた。母鹿は激しく抵抗したが、やがて成す術もなく泡をふき地面に崩れ落ちた。子鹿はただ、母鹿が死んでしまった事を分かっているのか軽く鳴くとペロペロと動かない母鹿を舐める。
「獣の分際でヒトを超えた私に楯突くとは。こいつもただではすまさんぞっ!」
晴明は子鹿を蹴飛ばした。キュンっと小さく鳴いた子鹿が勢いをつけて地面に転がった。
「………許さない」
「な…に?聞き間違えだと思うが、そこな娘なんと言った?」
パンッ!
優音の平手打ちが晴明の頬を叩いた。
「みんな、みんな死んじゃって。貴方は何も思わないのですかっ!心が痛くて苦しくないのですかっ!」
あの内気で心優しい優音が生まれて初めて人を叩いた瞬間だった。晴明の頬が赤くじわりと腫れ上がる。千晶と柚子が呆気にとられる。
「くくくっ。この晴明、初めてヒトに叩かれたぞ。ははははっ。そうだ、貴様を最初の贄にしてやろう!」
晴明は目を血走らせ、優音の髪の毛を強引に掴み上げた。たまらず悲鳴をあげる。
「茨木っ!こいつを喰らえっ!お前の血肉とせよ!肉片一片この世に残さずになぁ!」
「………」
茨木は長い髪を振り乱し、狂喜乱舞するかのごとく雄叫びを上げた。外見は美しい女性でも、その声は魔物と言うが如く、生きとし生けるもの全てを震え上がらせる凄まじいものだった。
「千晶ちゃ…ん、今の内に早く…逃げて」
残った力で優音は精一杯の声を伝えた。千晶は声を出す代わりに大きく首を何度も横に振った。その度に涙の粒が飛び散る。先程の鬼の唸りに体が言うことを利かなかった。ただ、首を振ることのみが千晶に出来る最期の力だった。




