第三十八話 絶望の音
二体一。千晶は茨木童子と安倍晴明を前にゴクリと生唾を飲み込んだ。自分でも絶えず小刻みに体が震えているのが分かる。
(あたしは出来る。あたしなら出来る。こんな事、ゲームの世界なら楽勝なんだから)
千晶は趣味の一つである格闘ゲームを大の得意としてきた。人並み外れた反射神経の持ち主である充之でも彼女に勝った事はない。全国レベルのゲーム大会で毎年上位を修めている電脳部(普段からゲーム製作と称して遊んでいる部だが)でさえも、しつこいぐらいに千晶を部員として勧誘しに来ているぐらいだ。
「あんたの好きにはさせないんだから!」
「くくっ、面白い。よろしい、私は貴女に一切手を出しません。茨木、後は任せましたよ」
茨木童子は黙ったままゆっくり頷いた。晴明は数歩下がり、一際大きな木の陰に身を移す。
(よし)
千晶にとって幸運だった事は三つある。一つは一人の敵に対して集中出来ること。一対一の格闘ゲームを得意とする彼女にとって好都合であった。数々の剣豪も多勢に無勢ともなれば、話は変わってくる。実力が伯仲しているのならなおさらである。かの有名な宮本武蔵が京の武芸家吉岡一門を下松で何十人と斬り捨てた場合は等は例外であるが。二つ目は、晴明が自分を見下し油断していることにあると推測していた。晴明の実力は定かではないが、隙あらば晴明の寝首を掻くことも想定していた。そして、最期の三つ目は…。
ブンッ!
突如、空間に穴が空き千晶を背後から襲った腕は、つい今しがた千晶が立っていた空間を空振りした。既に千晶の体は砂煙を上げ、地面を滑るように棒立ちの茨木童子に向かって直進している。そのスピードは兵馬や愛洲を凌ぎ、韋駄天を使用した清音に匹敵するほどであった。
(ほぅ。あれを見ずに避けるとは、偶然…ではないようですね。やはり、あの男同様、未来人は少々厄介な生き物です)
「(よしっ、その調子!腕の位置は俺の視覚があればすぐに捉えられる。千晶ちゃんは茨木童子本体に集中するんだぜ)」
「(ありがとうございます)」
立石の動体視力を活かしたナビゲーションが功を奏し、的確に茨木の右腕を避ける。千晶にはスピカ達による全方位を確認できる三つ目の『目』があった。
「やっ!」
掛け声と共に地上から高く跳ね上がった千晶は、右手にあるサーベルを茨木に振り下ろした。身を捻り、真上からの一撃をかわした。流れるような動作で右膝が跳ね上がり千晶の腹部を狙った。確かに腹部は体を覆う装甲が薄い。今の状況の千晶でも致命傷になりかねない。しかし、千晶には奥の手があった。
「いっけぇぇぇぇっ!プラズマスパークっ!!」
「!?」
千晶を中心にした周囲2メートルに発した放電が茨木を激しく痙攣させた。たまらず、地面を転がるように数メートルの間合いを取る茨木に高速のつぶてが飛弾する。茨木の体が弾けて吹き飛ぶ。片腕で頭部を庇うが、全身から肉が削げ落ち、真っ赤な血が流れる。腰部にあるガトリング砲が全弾打ち出し切っても、千晶は止まらない。
「これで止めよっ!フレアカノンっ!」
高熱のエネルギーの塊が右肩のカノン砲に集中する。熱気による大気の歪みが目に見えるほどであった。
(これは不味いな)
晴明は扇を口元に当てた。考え込む時の癖であった。その時、ある光景が視界に入る。
「お姉ちゃん!千晶ちゃんが頑張ってるよ!もうすぐ、助かるからね!」
優音は必死に意識を失いかけている清音に話し掛けている。地面に横たわり、肩を上下に揺らしながらわずかな呼吸音を上げている清音は、今にも落ちそうな瞼を持ち上げ千晶の姿を見てとった。微かに笑みがこぼれた。
(ま、いいでしょう)
晴明の姿が消える。
「(ち、千晶ちゃん!後ろだっ!)」
千晶にとっての幸運が重なる中、唯一、不幸とも言えたのは立石がナビゲーションを行っていることだった。彼は他のメンバーの中で清音達姉妹を特に気にしていた。
カノン砲が今まさに放たれようとした矢先の事である。慌てて振り返る。そこには胸に短剣のような物が突き刺さり、全身を血に染めた清音が倒れている。側には顔をぐしゃぐしゃにしながら涙を流す優音を後ろ手にとり、ほくそ笑む晴明の姿があった。




