第三十四話 茨木童子
「あの男だとっ!」
普段から気性を、面に出さない岬が激昂し肘掛けを強く殴り付けた。
(岬と私では、進さんの価値観が違うのだ)
スピカはチラリと横目で岬を見つつも、あの優しかった進がおぞましい安倍晴明と名乗る人物に知識を与えたことを違和感に感じてならなかった。
「私の陰陽道と新たな知識を得て編み出した式神…いや死鬼神しきがみをお見せいたしましょう。出でよ、茨木童子よ!」
晴明が片手で印を結ぶと地面に魔方陣のような物が浮かび上がり、竜巻のように禍禍しい黒煙が螺旋上に地面から空へ伸びる。
「柚子ちゃん!」
強風に飛ばされないよう千晶と柚子はお互いを抱き締める。優音も清音の体をかばうように前のめりになりつつも必死に堪えていた。
「がっ!?」
一瞬の事だった。黒い竜巻の中から飛び出した黒い影の腕が兵馬の腹部を貫いた。
「兵馬殿っ!」
隣にいた愛洲さえも、刀を構える暇さえなく、その影には全くと言っていいほど反応できなかった。兵馬は口からゴボッと血を吐きつつ黒い影の腕を両手で掴んだ。影の正体は極めて美しい裸女の姿だった。その頭にある一本の角と鋭い爪以外は人間とほぼ大差ない。作り物の人形のような無表情さで、兵馬と視線を交わしている。
「な、何を…して、いやがる。はや…く…」
愛洲は兵馬の意を察し、風刃一刀を地面から擦り上げるように振り上げた。ビシュッ!と兵馬の腕を振り払い。腹部から血を吹き出させると同時に鬼は後ろへ跳び愛洲の一撃を避ける。兵馬は苦々しい表情のまま、前に倒れこんだ。
「気を持たれよ!兵馬殿っ!」
「愛洲…あとは…頼む。俺の…先祖を騙した、あの男を…」
兵馬はそれだけ言うとふっと糸の切れた操り人形の如く首を落とすように項垂れ、それきり動かなくなった。
「な、何故にこのような…」
開いたままの兵馬の目蓋を閉じ、愛洲は立ちあがり、鬼を…安倍晴明を睨み付けた。
「心配しなくともよいのです。遺伝子情報さえ後でいただければその男も甦らせてあげますよ。新たな鬼としてですがね」
「う、うぉぉぉっ!!」
怒りが頂点に達し、愛洲は刀の刃を肩に乗せ一足で安倍晴明めがけて跳んだ。着地とともに上段から全力の袈裟斬りを浴びせる構えだった。普段の愛洲なら、このような無謀な技は出さないであろう。ただ、若さ故に怒りの感情がこの技を選んでしまった。無論、茨木童子がこの隙を逃す筈がなかったのが不運であった。
グンッ!
「うぁっ!?」
着地と同時に降りおろす予定の刀が空で何かの力で静止する。目と鼻の先にある晴明の顔がニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「なっ!?」
茨木童子はその場から動いていない。晴明の側に立ちすくしたままである。が、不自然な所が一ヶ所だけあった。右腕の肘から下がないのである。
「綱に落とされた茨木の右腕を見て思いつきましてね。この腕を切り離して動かすのも面白いかと」
虚空から現れた一本の腕が、風刃一刀の刃を握りしめている。
(ならば、絶つまでっ!)
愛洲はそのまま、全体重をかけ力任せに振り下ろした。
バキンッ!
折れた。酒呑童子の体をいとも容易く断ち切った風刃一刀が鍔元から折れた。
ドウッ!
「!?」
その反動で前のめりになる愛洲の背中を右拳が殴りつけた。背中が焼けるように熱く、呼吸が出来ない。気の遠くなりそうな意識のまま晴明の足元に倒れこむ。地面の土を引っ掻き握り締め、薄れゆく意識の中顔を上げる。
「茨木は酒呑童子よりも丹精こめて念を込めた傑作でしてね。酒呑童子より十倍近い千人近くの女子供の血肉を厳選して作った完璧な鬼です。ご覧なさい、強さは勿論のこと美しいでしょう?このきめ細かい滑らかな肌。触れてみたいでしょう?」
晴明は悦に入って茨木の片腕を取り頬ずりした。
「しかし、これは私のモノ。ヒトを越えた魔人と呼ぶに相応しいこの晴明だけの特権なのです。これからそこの娘達の血肉を加え、更なる美しき私の人形を作りましょう。命の絶える貴方にお見せできないのが残念ですがね。ハハハハハッ!」
狂気に満ちた男の笑い声がこだまする。
「外道め…」
最後に口惜しくも呟きながら、愛洲は力なく地面に顔を突っ伏した。




