第三十三話 邪に魅入られし者
日が夕闇に覆いつくされた頃にポツリポツリと降り始めた雨は、夜半になり大粒の塊となり激しく屋根を打ち続けていた。京の都の中心地から外れた一角にあるやや古びた家屋内では、唯一の灯りとなるであろう油に満たされた燈台の炎が揺らめいている。その当時、貴重品でもあった紙に得体の知れない模様や言葉らしきものを、書いては丸め書いては放り投げる男がいた。歳は二十歳前後であろうその男がいた。は華奢な体つきではあったが気品に溢れ、一目で高貴な身分と見てとれた。
(やはり想像だけでは乏しいな)
床に大の字になった彼はしばし、目蓋をとじ雨音に耳を傾けた。ふと、間口で戸を叩く音が聞こえる。時折、好き勝手に屋敷を飛び出し、ふらふらと人目に寄らない場所で己の研究に没頭するのが彼の趣味である。おそらく、屋敷から遣いを寄越してきたのだろうと彼は考えた。
(この場所も早めに立ち去るべきだったか)
若者は億劫に身を起こし、間口の戸を警戒もなしに開いた。嵐のような風と大量の雨粒と共に、二人の男女が傘もささずに着物をびっしょりと濡らしたまま転がり込んでくる。一人は30代半ばの働き盛りの筋骨粒々とした男で若い女をかばうように支えていた。女は若者の屋敷に勤めている二十歳前の女中で、日頃から若者が懇意にしている女であった。綺麗な面持ちだが、最近めっきり顔を見ないと思っていたら流行り病に侵されていたのだろう。死期を間近にして暗く青ざめていた。
「あ、あんた安倍晴明様だろう?き、桔梗を助けてくれ!」
晴明はあえて否定しなかったが、皮肉っぼく答える。
「病なら医者へ行けばよい。そもそも、そなたに私に払える金銀があるとは思えぬが」
この頃の陰陽師は物の怪退治や流行り病を治すことができると信じられていた。大半は詐欺のような者で、貴族相手医者よりも遥かに高額の報酬を要求し商売する輩もいたが、陰陽師と名乗る一部の者は常人では信じられぬ力を持つ者もいた。晴明は後者である。先祖代々受け継がれてきた陰陽師一族から抜きんでて優れた力を持ち、将来を期待されるだけの天才である。しかし、天才故に常人には考えがたい特殊な性格であった。
「確かに何も持っていない。だから、何でもやる!晴明殿の言う通りにする。だから、桔梗を助けてやってくれよ!」
「何でも…とな?」
晴明は男の決意の表れに興味を示した。
「あぁ!絶対に嘘は言わない。あんた様の為に出来ることはなんでもやるよ」
晴明の頬が赤く染まる。何かしら事がうまく行きそうになった時の彼の癖だ。
「ふむ、よろしい。さぁ、上がりなさい」
男は安堵し、女を抱えて奥の座敷へと運び込んだ。
「酒呑童子の最後の言葉がキキョウ…桔梗…まさか!?」
愛洲はあまりの出来事に戦慄した。晴明は辺りを一望し、一人一人の顔をつぶさに眺めた。
「ふふふ、お察しの通りあの酒呑童子は私があの晩の男の体を用いて造った鬼。当時の酒呑童子は贄がいささか少なかったので源頼光などという人間に容易く討ち取られたのですがね。今回は十分な女子供を与え甦らせたのですが、このような結果になるとは予想以上の収穫でした。まぁ、未来から来たと言った『あの男』の言葉通り、採取したDNAと贄さえあればいつでも甦らせられますからね。あぁ、これで長年の夢である不老不死の完成に一歩近付いた事に改めてあなた方には礼をのべましょう。お礼と言ってはなんですが、私の研究材料になっていただますよ」




