第三話 忍び寄る影
「は、は、は…ふぇーっくしょいっ!!」
(また誰かあたしの噂話をしているみたいだ。こういう時の勘はよく当たるんだよねー)
まだ日が沈む前だが、時折強くなる木枯らしに長いポニーテールが揺れている。カジュアルジャンパーに履きなれたジーンズ姿の彼女は、ネックウォーマーを軽く口元まで引きあげた。
(特売品のお肉はゲットした。お野菜と玉子は買った。とりあえず、まだお米は残ってたし。今日はお月謝入ったから久しぶりに豪勢にすき焼きっ! 充之びっくりするわよー)
ニコニコ顔でそんな事を考えながら歩いていると向かいから彼女の見知った顔がやってきた。
「およよ? やっぱり、柚子ちゃんじゃない! おひさー!」
「あ、神楽さん。お久しぶりです」
柚子は立ち止まり軽く会釈した。
「前にも言ったけど神楽お姉ちゃんって呼んでいいんだよ。あーあ、なんで柚子ちゃんみたいな妹が生まれなかったのかねー。ん、今からでも遅くないか…なーんてね」
神楽はとびっきりのスマイルでおどけてみせた。
柚子は頬を赤く染めている。
(顔に出ちゃってるって)
神楽のいたずら心に火をつけた。
「そういえば、夏休みに千晶ちゃん達と一緒にキャンプ行ったきりだねぇ。元気してた? 新しい高校にはもう慣れた?」
「はい、クラスには千晶ちゃんや充之くんもいますし。千晶ちゃんとは中学から席が隣同士なのもほんと偶然ですね」
神楽はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、
「恋のライバルが友人とは厳しい道のりだねぇ。二人とも応援してるから柚子ちゃんも負けちゃ駄目だよ! あー、青春だなぁ」
背伸びをしながら山間に沈みゆく太陽を薄目で眺める神楽。
「そ、そんなんじゃないですよ! あ、あの! 私うちの用事があるんで帰りますね!」
柚子は、その場を逃げるように慌てて駆け出して行った。
(ちょっと悪いことしちゃったかなー)
ほんの少しの後悔の念を感じつつ、振り向いた先に地面に小さなキーホルダーを見つける。
拾い上げてみるとそれは手作りのウサギの人形だった。どこかで見たようなちょっとふてぶてしい顔をしているが。
(HTP3000か…)
フンと鼻を鳴らして双眼鏡らしき物から視線を外した。
黒のジャケットを着込み、ニット帽をかぶった男は、腰に下げた長いシルバーのチェーンを右手でもて遊びながら人気を避ける様に路地裏から視線を移す。
(やるか)
夕暮れ時ではあるが、繁華街から離れている為人通りは極めて少なかった。
ヒュン!
(!?)
風を切る音に反応したのが早いか、神楽は寸での動きで体を反らす。光る塊が通り過ぎ、向かいの樹木に突き刺さる。それは肉眼では判別しにくい物だったが、神楽にははっきりと視認出来ていた。
(これってアイスホッケーのパック?)
続けて二発目が空気を切り裂き飛翔する。それは咄嗟に身を翻した神楽の手にあるスーパーの買い物袋を掠め取っていった。見るも無惨にアスファルトの上には、すき焼き用特選牛1280円が散乱している。ちなみに、玉子も割れて飛び出しているのは言うまでもない。
パックは、間髪おかずに三発目が放たれた。
(真田流空芯転っ)
パックは振り向き様の彼女の胸に追突寸前、突如方向転換し狙撃者に向かって同じ速度で戻ってゆく。
後にはダーツを投げるかのような神楽の姿があった。
真田家に伝わる武術の一つで、片手で掴める個体なら同じ速度で跳ね返す技術。戦国時代では、弓や手裏剣を投じられても即座に反応し狙撃者を倒す事が可能であったらしい。こと、真田流古武術当主である神楽にとっては児戯に等しいことだった。
反射したパックは不思議と狙撃者に当たる寸前、男の片手にスッポリと収まる。男はさして驚いた様子もなく軽くうつむいた状態でボソリと呟く。
「ふん、及第点だ」
とほくそ笑む男が視線を上げた時、雷光の如く一閃した神楽の渾身の拳による一撃が顔面を捉える。
夕焼けよりも濃い、真っ赤な飛沫が舞った。