魂の在り処 神崎編 その拾伍『届かぬ願い 前編』
前回のあらすじ
教会内で行われていた悪事に業を煮やした神崎。
しかし、彼の目の前で少年との約束は破られた。
静かな怒りを秘めた彼に、奇妙な忍びの技を使う零。果たして彼に為す術はあるのか。
一方、その頃…
「どうしたの?」
「あ…ううん。なんでもないよ」
浮かない顔をしながら夕飯の食器を片付けていたミキサ。母はそんな彼女の心の内を見透かしていた。
「彼の事が心配?」
「え? 神城さんの事? あ…そう…なのかな…」
自分に歳の近い若い日本人である神崎に全く興味がないというわけではない。ミキサにとってそれはトーマとは違う、今まで接してきた異性とは異なる何か不思議な感情が芽生えていた。
母は小さくクスリと笑うと、皿を洗っていた手を止めて言った。
「おじいちゃんとおばあちゃんに会ってみたい?」
「え!? 日本にいる…」
「そう。私の母さんと父さん。あなたが産まれる前から無理にお父さんとこっちに来ちゃったから。神城さんにお願いして、せめて孫の…あなただけでも」
「会いたいよ! でも…島のきまりが…」
そう。島に住む女性は男性と違い、島を出る事を固く禁じられていたのである。
「大丈夫。一週間ぐらい、黙っていれば平気だから。あなたが神城さんと本島に行ってた時にお父さんとも話したの」
「本当にいいの?」
ミキサにとって島の外、しかも憧れていた日本に訪れる事は夢のまた夢であった。それに祖父母に会って話したいこともたくさんある。母や父の事。そして、日本を愛して止まない自分の事。
彼らはまだミキサの存在すら知らないのである。
母は笑顔で優しく頷いた。
(あぁ。夢みたい。本当に日本に行けるんだ)
まるで地に足がついてないかのように、彼女の心と体はフワフワと宙に浮き上がった感じがしていた、
その時である。
玄関口で激しい言い争う声で、ミキサは現実世界に引き戻した。
「トーマっ! お前、どの面下げて帰って来やがった!! 二度と顔出すんじゃねぇと言っただろ」
(あ!)
激昂する父の向かい。開け放たれた玄関口にトーマはいた。
しかし、その表情はミキサが知っているあの優しいトーマではなかった。
まるで泥酔してるかの如く、澱んで焦点が合わない瞳。半開きの口元からダラダラと流れている涎。
いつも頭を撫でてくれた、あの兄のように慕っていたトーマとは全く別人であった。
「うる…せぇ。早くミキサを出せ。あの…日本人の命令なんだよぉ」
トーマは兄にすがるように雪崩れかかってきた。
「酔っぱらいめ。目を覚ませ……あ?」
よろけるように二三歩後退する兄を見上げ、顔を上げたトーマがだらしなくニタァと笑っていた。
「早くしろっつったんだよ…ヘヘへ」
ミキサの父の腹部に違和感があった。真っ直ぐに突き立てられたナイフの間から血が溢れ、シャツが真っ赤に染まっていた。
日本への憧れを胸に抱き、明日を夢見ている少女の前で起こった悲劇。
彼女に降りかかる非情な運命。
次回 魂の在り処 神崎編 その拾六『届かぬ願い 後編』
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