第二十八話 油断
清音は焦りを感じていた。今まで既に幾多の死地は潜り抜けてきた。死を覚悟したことも何度もあった。その度、仲間が自分の窮地を助けてくれた。自分も仲間の窮地を救ってきた。一人では困難なクエストも仲間と共に達成してきた。
(立石…)
立石はレナスシステム当初からのパートナーであった。レナスシステム最古参である二人がお互いにレベル1から初めてのクエストを達成しあった仲間だ。時にはライバルとして、時には冗談を言い合ったりと清音が妹の優音の次に心を許せた学園内での数少ない相手だった。
(いかんな。こんなんじゃ、立石に笑われるな)
二、三度頭を振り、改めて気合いを入れる。韋駄天はあと一回が限度であることは理解している。その一回を如何に使うか。清音の脳内を稲光のように思考が駆け巡った。
(これを使うか)
清音は鬼と距離を置きつつ、風刃一刀の握りにある糸をそっとほどいた。鬼は仁王立ちの状態で清音の出方を窺っているように見える。居合いの構えのままゆっくりと、鬼を中心に円を描くように移動しつつ、兵馬にチラリと視線を送った。
「行くぞ!」
韋駄天を発動させた清音は鬼に向かって再度走り出す。
「グオォッ!」
射程距離に入るや否や、やたらめたらと両の剛腕を振り回す。清音は俊足を利用し紙一重でかわしながら鬼の周囲を付かず離れずの距離で駆け回る。
(隙を窺っているいるようだが、あの刀で鬼の皮膚を裂くことができるのか?)
愛洲は動かない体を歯痒く感じながらも、清音の一挙一動を瞬きすら忘れるほどに見いっていた。
(頃合いだな…)
鬼との間をとった清音は、不意に足を止めた。そして、ありったけの力で糸を引き絞る。糸は鬼の四肢を雁字搦めに縛った。力任せに糸を断ち切ろうとするほど、不思議に糸は鬼の体を締め付けた。
「如何に力が強かろうが、アラクネの糸は簡単には引きちぎれん」
アラクネ。ギリシャ神話に登場する蜘蛛の化け物である。元々、人間であった彼女の織る織物は素晴らしく、自身でもその技量は女神アテナを上回ると豪語した。その為、女神アテナの怒りをかい、醜い蜘蛛へと変貌させられた。清音は以前のミッションでアラクネを討ち取った際に、この強靭な糸を風刃一刀の握りに巻き付けていた。
「今だ!」
「おうよ!」
鬼が清音に気をとられていた間に、髭切を再び手にしていた兵馬が渾身の一撃を放っていた。
ザンッ!
鮮血がほとばしり、首がゴロリと地面に転がった。鬼の悲鳴か亡霊の嘆きか、この世のものとは考えられないうめき声が辺り一体に響き渡る。
(流石、名刀髭切だ。私もまだまだ未熟だな)
幼い頃から、先祖代々伝わる刀鍛冶の家系に育てられ、厳しい父に刀を打つことのみを叩き込まれた清音だった。彼女がこの世に生を受けたのは『強き刀』を打つことだと自覚していた。二年前、ガンにより父が他界してからも、か弱く気の優しい優音には一切刀を触らせなかった。同じ世界に足を踏み入れて欲しくなかったのだ。
(ユウ…)
ほんのわずかな時間だったが清音の視線が優音のいる茂みに移った。
(女が二人?)
木の高みにいる人物は訝しげに茂みを窺っている。一方、その僅かの隙を見逃さないモノが動き出す。
「娘っ!!」
兵馬が叫ぶより早く、首は地面を跳ね、清音の肩にその鋭い牙で食らいついた。赤い血汐が利き手である右の肩から滲み出て白地の胴着を真っ赤に塗らした。




