竜の最後
前回のあらすじ
鬼と化した土方歳三。彼は坂本竜馬を斬る為に、沖田の刀を催促する。
しぶしぶ刀を渡した沖田の心境を知らず、土方は問答無用とばかりに坂本めがけ刀を振り下ろすのであった。
坂本竜馬は刀を抜かない。
(武市さぁ、乙女姉……すまん。わしはやはり人は斬れん男ぜよ)
竜馬は友と姉の姿を思い出す。死を覚悟した者の脳裏によぎる走馬灯。
「竜さんは殺らせない!」
「何っ!」
刀を振り下ろそうとした土方は背後に現れた気配に身を翻した。
キィンッ!
激しい火花が散る。それは、土方の刀とぶつかる淡く光る刀身から零れ落ちた。
「ちっ! 次から次へと小賢しいっ!」
鞘から抜かれた静音の風刃丸は、土方の首すじ……頸動脈を確実に狙っていた。レナスの戦闘システムにより強化された静音の一撃は並みの者なら目に映る事さえ不可能な程の速度であった。
だが、土方は刀を振り下ろすモーションから転身し、静音の風刃丸を受け止めたのである。これは人の限界を越えた動きであった。
(……人はここまで強くなれるのか)
竜馬は目を見開いて眼前の光景に見とれていた。
見たこともない衣服に身を包んだ一人の少女が、鬼と化した土方と激しい斬り合いを行っているのである。
リーチで優位な土方の斬撃を、小さな短刀で受け流し、突き、斬り結ぶ。
お互いに命を賭け闘う姿。その息も尽かせぬ紙一重の攻防の中にある美しさは睦月や神崎、そして沖田さえも我を忘れて魅入っていた。
「ほら、立ちなよ」
「……あ、あぁ」
坂本竜馬は突如現れた不思議な姿をした青年……充之の差し出した手を借りて立ち上がる。
「君は……いや、彼女を助けなければ……」
「あぁ、心配いらねぇよ。もうじき終わる」
「そうか、それならいい」
自信に溢れた満面の笑顔。沖田や神崎よりもさらに若い青年の言葉に坂本は不思議と納得している自分がいた。
キンッ!
終わりを告げる音。それは、沖田に渡された土方の刀が鍔元から折れた音であった。
「まだ、終わらんっ!」
土方は折れた刀を投げ捨て、脇差しに手を掛けた。その時、
「勝負あり! そこまでだ!」
男の声が響く。強く低く、それでいて威圧感よりも心地のよい響きであった。
「こ、近藤先生!」
沖田は男に向き直り、地面に膝を付けた。
「……近藤さん」
鬼の形相が、人へと戻ってゆく。土方は脇差しに掛けた手を下ろしていた。
「大丈夫? 怪我はない、竜さん?」
「あぁ、大丈夫だ」
静音も風刃丸を鞘に収め、坂本竜馬の元へ駆け寄った。初めてあった少女に声を掛けられた筈であるのに、彼は違和感を感じる事はなかった。まるで、彼女が旧知の友であるかのように。
「歳三。わしの為に刀を抜いたのだろう? すまなかった。そして、お主達にも詫びさせて欲しい」
彼等の主人であり、師である近藤勇は坂本竜馬をはじめ、彼等に深々と頭を下げる。
「先生っ! 武士が頭を下げるなんてっ!」
近藤のとった驚くべき行為に、沖田は信じられないといった顔で立ち上がる。
「総司っ! 近藤さんに恥をかかすなっ!」
「ひ、土方さん……う、うぅ……」
強く激しい語気で戒められた沖田は地面に崩れ落ちる。彼は何を思っているのか。まるで、金魚のようにぱくぱくと口を開け、小さく何かを呟いているようにも見えた。
顔を上げた近藤は坂本竜馬を見つめる。
「天然理心流四代目、近藤勇と申す。小千葉の坂本殿であるな。わしらは北辰一刀流のように世に知れ渡るほど大きな流派ではないが、志はどの流派にも負けてはおらぬと思うておる。いずれ名を残そうと皆、信念を持って日夜修業に挑んでおる。土方も沖田もまだ若い。此度の争いは、わしの顔に免じて水に流してくれぬか」
近藤は再度、頭を下げた。
此度の争いは水に流して欲しい。つまるところ、ノーコンテストにしろと言うのである。
これは前代未聞であった。
仮にも流派のトップが、いち師範代に頭を下げ、門下の争いをなかった事にしてくれなどと言えるものか。
しかし、あり得ない近藤の行為をあり得ない返事で返すのが坂本竜馬である。
「頭を上げてくだされ。近藤殿の気持ちは分かりますゆえ。ただこちらも、条件を付けさせてもらいたい」
「条件……金……か?」
頭を上げた近藤は坂本竜馬の顔を睨み付ける。土方は再び、脇差しに手を伸ばした。
静音は腰の風刃丸に手を伸ばし、睦月も刀の束に手を掛けた。
「(おい! 止めろよ! また殺し合いになっちまうじゃねぇか!)」
慌てる神崎に、充之は腕に止まった蚊を叩いた。
「(見たところ大丈夫だ)」
「(あぁ? 見たところって、お前何見てんだよ!)」
明らかに場の空気が重くなっている。神崎が充之の言葉を信じられないのは仕方がない。
そこに、坂本は慌てて言葉を継ぎ足した。
「いやいや! 早合点してもらっては困る! 条件と言うのは、今後、わしらに関わって貰わぬ事。お、信用できないと申すか? それならわしももうひとつ約束を付け足そう! 今日の今から、わしは一時も刀を抜かん。小千葉の坂本が刀を抜いたとあらば、問答無用で襲って来ても構わん。それならどうじゃ? 武士の約束ぜよ」
(嘘か誠か。しかし、これで坂本は……小千葉の竜は死んだも同然だな)
土方は脇差しから手を離した。
しかし、土方は知らない。
いや、剣の道のみに身を置いてきた彼には分かる筈がなかった。
竜は牙を剥かずとも、空を飛べるということを。
後の新撰組局長であり、天然理心流四代目の近藤勇。
将来を見越した彼は武士でありながらも、此度の争いがなかった事にして欲しいと坂本に頭を下げる。
それは土方、そして沖田をはじめ、門下生である彼等を守る為。
一方、坂本は条件を飲む為に自分らに関わらない事を了解させる。そしてもうひとつ、彼は生涯、刀を抜かぬ事を誓った。
その誓いが坂本竜馬の最後……彼の死に至るまで守られる事になるのであった。
次回 江戸の花
今回もご覧頂き、ありがとうございました。




