第二十二話 物の怪
「(な、なにあれ!)」
「(モンスターか?二人とも私から離れるな!)」
「(お、お姉ちゃん、怖いよ)」
蜘蛛は山賊をあらかた食した後、山賊の首を投げてよこした。何度かバウンドした首は柚子の足下に転がり、真下から恨めしそうに見上げている。
「ひっ…」
柚子は二、三歩よろめくように後ろに下がるとそのまま崩れるようにしゃがみこんだ。巨大な鬼蜘蛛は兵馬と愛洲を次の獲物に定めたらしくジリジリとその巨大な体躯を動かし始めた。
「ちっ!鬼蜘蛛か。厄介な奴に出会っちまったな。若いの今は休戦だ。こいつを使いな」
兵馬は自身の腰にある刀を鞘ごと愛洲に投げて渡した。先ほどの一撃で腕の痺れが残っていたのか、危うく取り落としそうになるのを両手でなんとか受け止める。ずしりとやや重みのある刀であった。
「無名の太刀だが、無腰よりましだろ?俺はこいつを使わせてもらう」
愛洲の刀を引抜き、何度か素振りしその軽さに兵馬は感嘆する。
「さすがは髭切。あの茨木童子を切っただけの名刀だな」
「(髭切だと!?)」
髭切または鬼切丸と呼ばれ、源頼光から授けられた四天王の一人である渡辺綱わたなべのつなが鬼の首領である酒呑童子の手下茨木童子を切ったとされる国宝級の刀である。
「小僧、魔物を見るのは?始めてか?」
「小僧ではない。拙者は愛洲太郎久忠だ!」
兵馬はあくまで強気な愛洲に怯えがないのを認めると口元を綻ばせ、髭切丸を鬼蜘蛛に向い合った。
「まぁ、いいさ。俺が奴を狩るからお前はそこの娘を庇ってろ」
へたりこみ、その場で呆けている柚子に視線を送った。
(人が…)
夢でも芝居でもない現実に直面した柚子の視線は焦点が合わず、空をさ迷っている。
「さぁて、殺るかな」
間髪入れずに鬼蜘蛛に向かって駆け出す。その動きはさながら狼が獲物を狙うがごとく鋭く鬼蜘蛛に迫る。一方、鬼蜘蛛も前足で兵馬を絡めとろうと動き出す。
「牙狼閃撃斬っ!」
「ギュオーッ!」
日光に煌めく刃が一閃し、瞬く間に二本の前足を切断した。禍禍しい緑色の体液が噴出し、鬼蜘蛛はけたたましい叫びをあげてのたうつ。途端、鬼蜘蛛の口元から白い紐上の糸が兵馬に向けて発射される。
「ちっ」
首を捻り、間一髪かわした先には柚子を背にした愛洲がいた。
(いけるか?)
ヒュンッ!
振り返った兵馬の心配を余所に、愛洲はまるで綿菓子を作るがごとく糸を刀で巻きとる。あらかた糸を巻き尽くした刀を投擲の要領で鬼蜘蛛へ投げつけた。
ズンッ!
鈍い音と共に刀の先が蜘蛛の頭部に突き刺さる。
「ギュオゥイィッ!!」
けたたましい悲鳴を上げた鬼蜘蛛は七転八倒し、やがて最後の力を振り絞るかのように緑色の体液を振り撒きながら木々の中へ逃げて行った。
「ふっ、あのような刀の使い方があるとはな」
兵馬は感心し、髭切丸に付着していた体液を払った。
「娘っ!しっかりしろ。魔物とやらは去った。安心しろ」
愛洲が柚子の肩を揺する。やや、遅れて柚子が意識を取り戻した。視線のピントが合い、愛洲の目を見るのも束の間、
「あ、あ、あ…」
上ずった声で愛洲の後方を指差した。
「な、なんだと!?」
振り向いた愛洲はその凄まじい光景に眼を見開く。
刀を構える兵馬の前には蜘蛛の倍はあろう背丈の巨大な人…いや、鬼の姿があった。逆立つ剛毛の髪の間から生えた二本の角。血走った眼。避けるような赤い口の端から突き出た牙。丸太のような太い手足。その一糸纏わぬ体からはおどろおどろしい異様な気配が漂っている。鬼は気だるそうに首を何度も振り回す。
「ゴォォォォォッ!!」
やがて、自分の前に仁王立つ男に目を止めると大きな咆哮を上げた。地が揺れ、木々が薙ぎ倒されるかの咆哮を受けても兵馬は微塵も怯まず、笑みを浮かべる。
「ははっ!遂に俺の前に現れたか。酒呑童子よ!渡辺綱が子孫、この名枯兵馬がお主の首もらい受けるっ!」




